はじめに
最近では新NISA等の後押しもあって投資の世界に足を踏み入れる人達が増えてきていると思います。 そういった人達にオススメされる大半は長期投資を前提とした、オルカンやS&P500のようなインデックスファンドの傾向が強いです。 実際、私も投資初心者に何を勧めるかと問われれば、オルカンやS&P500のように安定して上昇が見込める商品になります。 これらは分散投資の効果によってリスクが非常に低く、リターンも数%とはいえ安定して稼げるのと、何よりも深く投資について考える時間が必要無いことが最大のメリットでしょう。 今回ご紹介する『マネーの公理』という書籍はそういった一般的な投資家の思考とは真逆の投資戦略について書かれたものとなっています。 この本で書かれていることは「賭けて勝つための方法」となっており、普通の投資家であれば極力避けたいと考える「リスク」への向き合い方を説いています。 私は過去に『バビロンの大富豪』についても記事にしたことがありますが、この本で書かれていることは『バビロンの大富豪』とは正反対でありながら、どちらの書籍で書かれていることも投資の本質を突いていると感じています。 これまで様々な投資本を読んできた人達、そして投資にある程度慣れてきたが行き詰まり感を感じている人達にはぜひ読んで欲しい書籍となっています。 基本的にほとんどの投資本は現在の資産を維持しながら増やす方法について書かれていますが、本書籍は何も持たない人がリスクをとって、金持ちになるための方法について書かれています。 本記事では『マネーの公理』の概要とそこから得られる教訓について載せていますので、興味を持った人は書籍の方も買って読んでもらえればと思います。
本記事は『マネーの公理 スイスの銀行家に学ぶ 設けのルール』の内容を引用して執筆しております。
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『マネーの公理(THE ZURICH AXIOMS)』の概要
『マネーの公理』は英語版の「THE ZURICH AXIOMS」を日本語に訳したもので、そのまま訳せば「チューリッヒの公理」と呼ばれる書籍です。 日本語版が何故チューリッヒの部分をマネーに変えたのかは後書きを読んでも分かりませんでしたが、恐らくは日本人にチューリッヒという言葉は馴染みが無いので、分かりやすいタイトルにしただけだと思われます。 「チューリッヒの公理」とはスイス人の投機家クラブで生まれた概念であり、スイス人の人生観を表したかのような投資ルールのことです。 スイスという国は山岳が多くて農地は少なく、鉱山資源はほぼ存在せず、海にも面しておらず、300年間も欧州の国々の戦争に巻き込まれなかったのは、このスイスという土地を欲しがる侵略者が誰もいなかったことに起因すると書籍では述べています。 それにも関わらず、スイスは世界的に見ても繁栄した国であり、その理由は世界で最も賢い投資家、投機家、ギャンブラーとしてスイス人が大成したからであると書籍では語られています。 多くのスイス人が「合理的にリスクを取る」ことを厭わず、真正面からリスクに向かい、それをどう管理するか考えることによって世界的な銀行家となることが出来たのです。 ちなみに最近の若い世代は知らないかも知れませんが、ゴルゴ13という漫画では仕事の報酬はスイス銀行で受け取るという話しからも分かる通り、スイスの金融業は世界中からお金が集まる程に発展しています。 この書籍にはそういったスイス人投機家達の思考を「12個の公理」と「19個の副公理」に体系化したものであり、「勝つためにはリスクを取る必要があり、そのリスクを管理するにはどうすれば良いか」について書かれています。 尚、本書籍では「投資」と「投機」に明確な違いは無いものとして扱っており、私も書籍の言葉を借りて以降では主に「投機」の呼称を使うようにしていきます。 それでは本書籍で書かれている各公理について以下に概要を記載いたします。
第一の公理 リスクについて
第一の公理では「お金をリスクにさらせ」と助言している。 大多数の貧乏人が這い上がる唯一の現実的なチャンスを手にするためにはリスクを受け入れる必要があり、その代償は「心配」という状態である。 この「心配」は現代の心理学が信じているような病気ではなく、慣れてしまえば人生のスパイスとして楽しめるようになるだろう。
心配は病気ではなく健康の証である。もし心配なことがないなら、十分なリスクをとっていないということだ
ほとんどの人は、まるで世界で最も重要なもののように「安全」を掴もうとする。「安全」は冬の夜の温かいベッドの中にいるような安堵感をもたらしてくれる。
最近の精神科医や心理学者もそれを良いことだと言い、精神的な健康とは何にも増して穏やかであるということを意味しているのが近代心理学の前提となっている。
しかし、冷たい真実がここにある。裕福な親戚がいない限り、大多数を占める貧乏人クラスから這い上がる唯一の方法はリスクを取ることである。
給与や賃金収入で金持ちになることは不可能であり、安全な銀行預金等をしていたところで、人生においては物乞いをしなくて済むかどうかの違いにしかならない。
もちろん、リスクを取ることは利益の可能性ばかりではなく、損失の可能性も意味している。
ただ、金持ちになろうとして今より少し貧乏になったからといって、貧乏人のままでいることとどれだけの違いが有るだろうか。
リスクを取れば、眠れぬ夜があり、将来に怯えて暮らす日も増えるだろう、それでも何かを心配している状態は投機家にとって日常であり、それと引き換えに多くのものを得ることが出来る。
投機と聞けば軽率なチャンスを求めて駆り立てられている者たちという印象が強いかも知れないが、「すべての投資は投機である。唯一の違いは、ある人はそれを認め、ある人はそれを認めないことだ」としている。
世の中には本当の意味で安全な商品等は存在せず、安全な商品と呼ばれる投資対象はリスクが低い商品というだけである(その分リターンも低い)。
投資という言葉を使いたがるのは自分達が賢明で注意深い行動をしているのだと思い込みたいだけであり、利益を求めて何かに賭けるというのは全て投機なのだ。
副公理Ⅰ いつも意味のある勝負に出ること
「失っても大丈夫な金額だけ賭けること」という昔からの決まり文句に従って、痛くない金額だけを賭け続けても貧乏人は貧乏なままだろう。 システムを打ち負かす唯一の方法は勝負に出ることだ。破産するような金額を賭けろと言っているのではなく、傷つくことを恐れてはいけないという意味である。 あなたはゆっくりスタートして、経験を積んで精神を鍛えてから賭け金を増やしたいと考えるかもしれないが、投機をするのなら少しでも良いから心配になる金額を賭ける必要がある。 もしも、勝てればあなたの人生を大きく変える勝負になったであろう。例え負けて損失を出しても世界が終わるだけの負けでなければ再び挑戦できる。 「いつも意味のある勝負に出ること」こそが投機家にとって必要なのである。
副公理Ⅱ 分散投資の誘惑に負けないこと
分散投資には3つの重大な欠陥が存在する。 1.いつも意味のある勝負に出ること(副公理Ⅰ)に反する 2.分散投資は、利益と損失が互いに相殺し合う状況を作る 3.分散投資をすることで、あなたは空中にある数多くのボールを同時に何とか維持しようとしているジャグラーになっている 1については先に解説した通り、仮に分散した少額を賭けて勝ったとしても、得られる利益は取るに足らない金額にしかならないためである。 2については「分散投資はリスクを低減するが、あなたが金持ちになるという希望も同じくらい低減させる」ためであり、片方で勝っても片方で負けていて損益が相殺されてしまったら、何のための投資だったのかが分からなくなる。 3についてはより多くの投機を行うほど時間と勉強が必要となり、複数の投機で同時に問題が起きたときに対処が間に合わずに致命的な状況に陥る可能性があるためである。 これら3つの欠陥に対して、「安全」という利点だけで分散投資が素晴らしいものとは言えなくなるだろう。 そのため、同時に投機をする場合はどれだけ多くても最大6つ、通常は3つか4つ程度に抑えることが望ましい。 無論1つだけの投機でも問題ない、多少の数は好みの差だが多過ぎる分散投資は止めるべきである。
第二の公理 強欲について
第二の公理は投機が上手くいっている時は「常に早すぎるほど早く利食え」と言っている。 ブームがピークに達するのを待ってはいけない、勝利が続くと期待してはいけない、幸運を乱用してはいけない、勝利は続かないと考えなければならない。 あらかじめ決めたゴールに達したら、すぐに手仕舞って立ち去るべきであり、これを実行しない唯一のケースは、全く新しい状況が生まれて勝ち続けることが確実だと思えるときだけである。
常に早すぎるほど早く利食え
アマチュアはだらだらとゲームに長く留まり、そして損をする。その原因は強欲であり、強欲を管理出来るようになる必要がある。 「常に少額を賭け、素早く降りる。強欲に支配されてはいけない。適当な利益が出たら、現金に換えて、立ち去ること」が重要なのだ。 もちろん、あなたが去った後に続けていれば大金が手に入るような状況になることもあり、自分の決断が間違っていたと激しく後悔することもあるだろう。 この時の痛みは味わったことのある人しか分からず、ウォール街でも「置いてきぼりの憂鬱」と呼ばれる程に重いもので、投機家が耐えなければならないあらゆる痛みの中でも最も強いものの一つである。 しかし、誰にも投機のピークがどのタイミングなのかを知ることは不可能であり、ピークがわからないのなら、まだ先だと考えるのではなく、もう近いと考えなければいけない。
副公理Ⅲ あらかじめどれだけの利益がほしいのかを決めておけ。そして、それを手に入れたら投機から手を引くのだ
投機が成功して富が増えると、以前から自分がその資産を持っていたように感じてしまう現象が良く起きる。 そして今のポジションが普通のことだと思い込み、手仕舞うべきだとは考えなくなってしまう。 投機の世界には明確なゴールが存在せず、ほとんどの場合で終わりは自分で決める必要がある。 終わりを決めることは非常に難しく、多くの投機家がそのコツを掴むことが出来ない(その必要性を認識すら出来ない)。 そのため、投機を始めるときに最初から目標を決めておくこと。この目標は何でも構わないが、大げさな金額にはせず控えめにしておくのが良い。 例えば、株であれば株価がXXまで上がれば売却する等を決めておき、そこを達したら投機を止めるのだ。実際それほど簡単には出来ないが、何も決めないよりは遥かにマシとなる。 そして、投機の終わりを自分に納得させるための優れた方法は、自分に何かしらの褒美を儲けることだ。 儲けの一分を使って、新しい車、新しいコート、一番高級なレストラン、何でも構わないが明確な褒美を設けることによって、終わりの感覚をもたらすことが出来る。
第三の公理 希望について
第三の公理は投機が上手くいっていないときは、「問題が発生したら、うろたえずにすぐに立ち去れ」と教えている。 困難に陥ったら感情に流されてはいけない。だが、実際には障害が3つ存在し、それを乗り越える必要があることを公理は伝えている。 障害を乗り越える方法は個人の内面問題であり、人によって克服のためのアプローチは異なるため、公理はその方法に助言を与えてはくれない。
船が沈み始めたら祈るな。飛び込め
投機の半分以上はあらかじめ決めたゴールに達する前に上手くいかなくなると考えておく方が良い。 成功する投機家はその場合に躊躇することなく、手仕舞いすべく行動する。 そして、多くの投機家がどんな失敗よりも多大なコストを被るのは、沈没しつつある船から飛び降りることが出来なかったときである。 このタイミングで重要なのは「沈み始めたら」であり、「船が半分水に浸かるまで」待ってはいけない。期待したり、祈ったりしてはいけない。 起こりつつある問題が修正可能なものか自問して、明確に状況が改善に向かうことを示す証拠が見つけられない限りは手遅れになる前に行動すべきである。 この助言は株式や商品先物のように日々売買される市場では数字に置き換えて考えることが出来る。 投資家ジェラルド・ロブの経験則は株価が自分が保有している間に付けた最高値から10%~15%下落したら、利益が出ているか、損をしているかに関わらず売却すべきというものである。 もう一人の投資家フランク・ヘンリーはもう少し余裕を見て、10%~20%としていたがほとんどのプロ投資家は同様のルールを採用している。 あなたは小さい損失を出すことによって、自らを大きな損失から守ることが出来る。 ただし、この公理は単純なようで非常に難しい。その理由として3つの障害が存在する。 「第一の障害」は第二の公理と同じように、自分が損切りした後に下落していた株が突然高騰するのではないかと考えることだ。 これが起きた時は非常に痛いが、起きる可能性は小さく、大抵の場合で正しい選択は価格が明らかに下落し始めたときに逃げ出すことである。 「第二の障害」は投資を途中で断念しなければならないということだ。 三流投機家はもう少し待てば失った額を取り戻せるところまでは回復するのでは無いかと期待しながら待ってしまうが、その本能を克服して損切り出来なければ、いずれ破産するかも知れない。 「第三の障害」は自分が間違っていることを認めなければならないということだ。 一部の人にとっては途方も無い苦痛であり、典型的な負け犬はこの痛みを回避しようとして、悪い投資から抜け出せなくなる。
副公理Ⅳ 小さな損失は人生の現実として甘んじて受けよ。大きな利益を待つ間には、何度かそういう経験をすると考えろ
小さな損失を喜んで受け入れるべきである。何故なら小さな損失は、大きな損失から我々を守ってくれるからである。 とは言え、それが無理な要求なのは多くの投機家を見ればわかる。ただし、喜んで受け入れる事は出来なくても、潔く受け入れることは出来る。 なにより、投機において小さな損失が発生するのはコストの一部と考えて受け入れることが出来なければ、投機で大きな利益を期待する権利は無い。 また、逆指値注文を利用することで自動的な損切りのメカニズムを使うことが出来るが、出来れば自分自身で困難な決断を下す能力とそれに従う能力を訓練した方が良いと思う。
第四の公理 予測について
第四の公理は「決して上手くいかないので、予測に基づいて投機を行うな」と教えている。 すべての予言は他人のものも自分のものも含めて信じてはならない。 重要なのは現時点で実際に起こりつつあること、起きたときに即座に反応すること、この2つを基本に考えるべきである。 お金を投資するという行為は一種の予測であり、「私はこれが成功すると期待する理由がある」と言う人もいるかも知れないが、それが絶対的なものだと考えてはいけない。 第三の公理で語った通り、自分が間違った賭けをしたという可能性に目を瞑ってはならない。
人間の行動は予測できない。誰であれ、未来がわかると言う人を、たとえわずかでも信じてはいけない
"預言者になることは簡単である。25個の予想を立てて、その中で本当になったものだけ話せば良いのだ。" 投資の世界で賢人と呼ばれる人達は頻繁に予測を行うが、大体は後から何度も修正され、最終的にあっていた予測のみを取り上げる。 有名な預言者の言葉に魅力を感じる人は多く、預言者が上がると言えば多数の信奉者が熱心に買い漁って、本当に上がることもあるが、それも絶対ではない。 すべての預言者は時々正しいし、時々間違っている。つまり、将来を垣間見ようとする実りのない行為など忘れてしまうほうが良い。
第五の公理 パターンについて
第五の公理では「秩序が存在しないところに秩序を見つけるな」と警告している。この公理が最も重要かもしれないと書籍では述べている。 有利な賭けや見込みのある投資を見つける望みを捨てろと言っているのではない。むしろ、自分の興味の有る投機対象は徹底的に研究すべきである。 しかし、そこに秩序の幻想を見出してはならない。たとえ勝率を上げる方法が分かったとしても、そこには幸運という圧倒的に大きな存在を無視することは出来ない。 この公理を学んだ、あなたがすべき内なる独白は以下のようになるべきである。 「さて、私はよく研究したし、やり方も分かっている。この賭けは私に勝利をもたらすだろう。でも私は勝敗を左右するランダムな出来事を予測することもコントロールすることもできない。間違う可能性が大きいことも知っている。万が一、間違いが起こった時に直ぐに対応が出来るよう、フットワークを軽くしておこう。」
カオスは、それが整然と見え始めない限り危険ではない
金融の問題を含め、人間に関することで秩序あるデザインを見出したと思った瞬間に、あなたは危険にさらされる。 投資の世界では誰もが合理的なアプローチに基づいた公式を探しているが、残念ながらそんなものは存在しない。 これまで大勢の賢い投機家や投資家が自分は相場の法則性を見つけたと公言し、そして暫くの間のその法則で大金を稼げたとしても、最後はほとんどが破産した。 実際に金融の経験知識共に豊富で、膨大な情報が蓄えられたデータベース、最新のコンピュータ等の道具も完備されている、投資信託の運用のプロ達ですらパフォーマンスは市場平均と大差が無い。 また、世の中には大金を手に入れて著書でその公式を公開している人も多い。彼らは自分にとっての真実を述べているのであろうが、現実は単に幸運だったから金持ちになっただけなのだ。 そういった人達の多くは幸運の存在を無視したり、存在しないふりをしたり、省略しようとする。 だが、現実は幸運の重要な役割を無視した公式は決して信頼できないということだ。 カオスの中に何かが見えたと主張する人達を決して信用してはならない。
副公理Ⅴ 歴史家の罠に気をつけろ
歴史家の罠という幻想がある。これは「歴史は繰り返す」という根拠の無い確信を基本としている。 Aという出来事の後にBという出来事が続いたとして、数年後にまたAという出来事が起きた場合に誰もがBという出来事が起きると考える。 この罠にハマってはいけない。ときには歴史は繰り返されることもあるが、めったに繰り返されないし、いずれも十分に信頼がおけるものでは決して無い。 過去において常に正しかったとしても、それは公式ではなくただ偶然が続いていただけと理解しておく必要がある。
副公理Ⅵ チャーティストの幻想に気をつけろ
チャートは数字の変化をより鮮明に見たいというだけであれば非常に便利であるが、将来の価格をチャートを描くことによって突き止めることが出来ると考えてはいけない。 チャーティストの幻想は本来無秩序な一連の数字を直線を引くことで、重要なトレンドのように見せることが出来るし、そこには秩序が有るように感じてしまう。 右肩上がりの線でとても太く、真っすぐで、決して止まらないかのように見えるチャートがあったとしても、それに賭けてはいけない。
副公理Ⅶ 相関と因果関係の妄想に気をつけろ
人間の心は秩序を求める。カオスを見るのが不快で、現実から幻想に逃げることが満足のいく唯一の解決方法ならば、人はそうしてしまう。 ウォール街では常にあれやこれやの因果関係を考察されており、例えば共和党の大統領が誕生した初年度は株式市場が低迷するというジンクスがあった。 共和党と株式市場の直接的な関係は無いはずだが、このようなジンクスは世界中至る所に存在し、それぞれにもっともらしい仮説が複数話されていることが多い。 これらジンクスに対してどう行動するかについては、何もしないが正解となる。 ジンクスは将来作用するかもしれないし、しないかもしれない。それを予測すること等は出来ず、これはカオスの一部でしか無いと受け入れるべきである。
副公理Ⅷ ギャンブラーの誤謬に気をつけろ
「ギャンブラーの誤謬」とは偶然の勝ちが連続したときに、「今日はラッキーな日だ」と勘違いして慎重さを欠いたままお金をリスクに晒し、悲惨な結果を見ることである。 誰もが似たような経験をしたことがあるはずであり、多くのギャンブラーはツキが回ってきたときに賭けて勝てと教えてくれる。 だが、この話からわかることは「勝利が連続して起こることが有る」ということだけで、それがいつ始まって、いつまで続くかを知ることなどは出来ない。 第二の公理で学んだように幸運が永遠に続くと考えるのは危険であり、ましてやそれが秩序だったのものなどと考えてはいけない。
第六の公理 機動力について
第六の公理は「機動力を失わないように」と忠告している。 忠誠心や利益が出るまで待ちたいというこだわり等の根を下ろしてしまう状態を避けて、いつでも迅速にチャンスをつかむための準備が出来ていなければならないと教えている。 ただし、これは一つの投機から次の投機へと跳ね回らなければならないと言っている訳ではない。投機の行動は全て勝算を慎重に評価してから実行すべきである。 しかし、投資対象が明らかに価値を失いつつ有り、明らかにそれよりも見込みのある投資先が現れた場合には、すぐに根を切断して動く必要があると伝えている。
根を下ろしてはいけない。それは動きを遅らせる
根を下ろすことは色んな意味で良いことである。昔からの友人や隣人に囲まれていれば、馴染の場所に属しているという心地良い満足がもたらされる。 しかし、慣れ親しんだ、心地良い状態を求めるほど投機家としての成功は小さくなる。 公理が問題にしているのは、心の状態や考え方、人生の習慣において「根を下ろす」かどうかということである。
副公理Ⅸ 忠誠心やノスタルジーといった感情のせいで下落相場に捕まってはいけない
投機をしていれば、愛着心かお金を選ばなければならない時がある。 本書籍を読んでいるのだからお金に興味があるのは当然だろうが、お金を投資した対象に強く執着することは間違っている。 理性的に考えれば手仕舞いすべき時に、忠誠心や愛着心を引き合いに出して根を下ろしてしまうと、致命的な損失を招くことが多い。
副公理Ⅹ より魅力的なものが見えたら、ただちに投資を中断しなければならない
投機対象に根を下ろしてしまう中で良くあるのは、「自分が投機をやっているのか趣味を楽しんでいるのか分からない状態」に陥ることである。 これは投機目的で始めたはずの、切手や絵画等のコレクションを集めているうちに芸術家気取りの考えが芽生えてしまい、売ることが出来なくなってしまうケース等がある。 あなたは自分が投機家かどうかを決断しなければならない。 物に愛着を感じてはいけない。愛着は人だけに感じるべきものだ。物に愛着を持つと、必要が生じたときに素早く行動する機動力が低下する。 他に良くあるケースとして、投機した商品が値下がってしまっため、利益が出るまでこの商品を持ち続けたほうが良いと考えて根を下ろしてしまうことだ。 しかし、他に値上がりすると確信出来る商品を見つけているであれば、そちらに乗り換える方が正しい。どこに投資しようとも同じお金である。 一度損失を出した商品に何か貸しが有るという気持ちで投機し続ける人は多いが、投資先に執着してはいけない。 もちろんその決断が後悔を生むことはあるだろうが、その可能性に執着するよりも、早く利益を獲得するためにはどちらの投機が有利かという考えによってのみ決断を下すべきである。
第七の公理 直感について
第七の公理では「すべての直感を嘲笑することも、無差別に信頼することも間違いである」と教えている。 直感は確実に信頼できるものではないが、慎重かつ懐疑的に対処すれば、有効な投機ツールになりうる。 公理では直感をテストし、その直感が生まれたことを裏付けるだけの情報の保存場所が自分の心の中に識別出来るのであれば、その直感は信頼しても良いと伝えている。 逆にそういった情報を何も持っていないのに生まれた直感は無視すべきである。
直感は説明できるのであれば信頼できる
あなたは投機家として活動する中で、頻繁に直感を感じることになるだろう。この現象のアプローチには3つの異なる方法が存在する。 それが「軽視」「盲信」「識別」の3つであり、多くの投資家や投機家は直感を「軽視」し、また一部の人は合理的な分析が異なる事実を示しているときでさえ、直感を「盲信」する。 チューリッヒの公理では直感を「識別」し、有用なものとそうでないものに分けるべきだと伝えている。 そもそも直感というのは神秘的なものではなく、大抵は心のどこかに保管されている情報に基づいたものであり、自分がその情報を持っていることに気づけていないときに起きる。 直感を感じたときに最初にすべきことは、その直感を生み出すほどの巨大なデータの図書館が、貴方の心の中に存在しているかどうか自問することである。 もちろん、自問したからといって不正確な直感に惑わされることはないと言う保証はない。そもそも確固たる情報に基づく直感でさえ間違う可能性がある。 だが、それでも自分がその分野について深く調べたうえで起きた直感であれば一定信頼は出来る。無論、100%信用できる公式ではないことは理解しておく必要はある。
副公理Ⅺ 直感と希望を混同するな
自分が起きて欲しいことが起きるという直感に対しては、常に懐疑的である必要がある。 そのような直感が全て間違っているということではないが、特別な注意を払ってその直感を検証し、いつもの倍は警戒すべきである。 なぜならそれは自分が強く望んだことによって生まれた直感、すなわち希望でしかない可能性が高いからである。
第八の公理 宗教とオカルトについて
第八の公理では「お金と超自然現象が組み合わさると、投機は突然上手くいかなくなる」と言っている。 迷信の助けを期待することは、役に立たないどころかあなたを「心配していない状態」に落ち着かせ、投機家にとって非常に危険となる。 お金を賭ける時は頼れるのは自分一人だと覚悟しなければならない。自分以外の何物にも頼らず、自分自身の冷静な判断力だけを頼るのだ。
宇宙に関する神の計画には、あなたを金持ちにすることは含まれていないようだ
もし神がいるとしても、この至高の存在はあなたが金持ちとして死ぬか、貧しく死ぬかについて関心を持っている証拠はない。 多くの人々はお金のために祈るが、神を頼りにした投機をしてはならない。神があなたを守ってくれるとしても、財布まで守ってくれると考えるのは浅はかである。 オカルト的な思考への傾倒は、あなたの健康には無害かも知れないが、あなたのお金にとっては有害である。
副公理Ⅻ 占星術が当たるのであれば、すべての占星術師は金持ちであろう
米国でのオカルト信仰の代表は占星術であり、調査によれば約3200万人の米国成人が占星術の価値を信じている。 だが、もしも占星術が本当に当たるのであれば、すべての占星術師はお金について占い、その結果を基にした投機でお金持ちになっているはずである。 だが、現実は占星術師も様々なオカルト集団の信者達も金持ちになどなっていない。 投機を長く続けていれば、遅かれ早かれ、神秘的な大当たりを経験する可能性はある。ただし、それは神秘的なアプローチが素晴らしい金儲けの方法であることを保証しない。
副公理XIII 迷信を追い払う必要はない。適当な所に置くことができれば楽しめる
ほとんどの人が「宗教」であれ「占星術」であったり、迷信(ここでは超自然的な信仰全般を指す)の一つや二つは信じているが、それらを全て捨てる必要はない。 迷信が資産形成に与える具体的な影響を及ぼすかを知り、その影響が極めて小さいときに楽しんで使うのであれば問題ない。 例えば、合理的な分析ではどうにもならない完全な運で勝敗が決まる状況のときは、好きな迷信に頼っても問題ない。 正しい方法で正しいときにだけ迷信を使い、大事な決断のときに迷信に頼らなければ、迷信を全て追い払う必要はない。
第九の公理 楽観と悲観について
第九の公理は「楽観主義は投機家の敵である」と警告している。
お金を投資する前には、物事が悪い方向に進んだ場合に、自分をどう救うのかを自問すべきだ。
それがはっきり分かっているなら、楽観よりも良い何かを持っていることになる。あなたは自信を持っている。
楽観は最高を期待することを意味し、自信は最悪に対処する術を知っていることを意味する。楽観のみで行動してはならない
楽観的な人々は陽気だから、憂鬱なときには楽しい仲間である。しかし、個人的な資産形成においては楽観主義の役割についてはきわめて慎重であるほうが良い。 投機の世界では多くの場合、見える以上に悪い。少なくとも見えるほど悪くないことよりも、見える以上に悪い事のほうが多いだろう。 「楽観のみで行動してはならない」と公理は教えている。楽観の代わりに自信を探すのだ、自信は最高を期待するところからではなく、最悪に対処する術を知ることから生まれる。 これまでの公理で伝えた通り、将来を期待してリスクを取ることは悪いことではない。だが、結果が期待に反したときに、どのように自分を救うべきかを考えておく必要はある。 第三の公理でも教えた通り、損切りをすることで致命的な大損は回避できる。そのため、最悪の場合はここまで下がったら、売却すると最初から出口を決めておく。 最悪にどう対処するかを知ること。それこそが自信である。 株や債券等は現金化しやすいが、不動産等であれば即座に現金化して逃げることは難しいため、尚更最悪の状況となった場合に対処方法を考えておく必要がある。
第十の公理 コンセンサスについて
第十の公理は「大多数は常に間違っている訳では無いが、正しいよりも間違っていることの方が多い」と教えている。 群衆とともに行動する投機は本質的に値段が高いときに買い、値段が安いときに売る傾向を持つ。 何も考えずに大多数に同意して、あるいはそれに反して賭けてはならない。
大多数の意見は無視しろ。それはおそらく間違っている
有名な哲学者であるデカルトは投機家としても成功しており、彼が繰り返し言ったのは「ギャンブルに勝つ秘訣は自分自身で納得するまで他人の意見を無視する」ということだった。 自称専門家が主張する真実を疑い、大多数の意見を避けることが投機では重要となる。 実際それらの意見を聞いて行動する大多数の人達は金持ちではないのが現実である。
副公理XIV 投機の流行を追うな。往々にして、何かを買う最高のときは、誰もそれを望まないときである
株式を買う最高のタイミングはいつだろうか。もちろん安いときである。逆に売る最適のタイミングは高いときである。 そんな当然のことを多くの人達が出来ないのは、それだけ流行の圧力に反して行動することが難しいということである。 投機家が流行に流されていると自覚するためには「私がこの決定を下すのは、それが賢い選択だからか、それとも皆が賢い選択だと言っているからなのか」と自問することである。 ただし、この公理は群衆がしていないことをすべきだと言っているのではない。群衆の圧力に頑固に抵抗すべきときがあるということだ。 常に大多数の反対に賭けることを教義とする「逆張り投資家」のアイデアは悪くないが、それを秩序の幻想にしてしまえば第五の公理で教えた通り、大きな損失を被ることになるだろう。 群衆は常に間違っている訳では無い。それを忘れて常に反対に賭けると言う行為も群衆と同じく何も考えずに賭けているのと変わらないのである。
第十一の公理 執着について
第十一の公理では「執着を持って投資対象を追いかけてはいけない」と助言している。 投資先に貸しがあるという考えは捨てるべきだし、上手く行っていない投資を難平買いで救おうとするような考えを持ってはいけない。 純粋にその投資からの利益のためだけに投資先を選択するという自由を重視すべきだ。
もし最初に上手くいかなければ、忘れろ
最初に上手く出来なくても何度も何度も挑戦してみろと言った過去の格言は状況によっては良い助言だが、投機においては破滅へと導くこともある。 偶に「社会的貢献に熱心な会社にだけ投資しよう」等と考える人が居るが、自分が金儲けのために市場に居ることさえ忘れなければ、そういった方針で投資先を選択することは別に間違っていない。 だが、そういった感情が強くなりすぎて投資先に執着を持ってしまうと、自分はこの投資先に「貸し」があると思い込む様になってしまう。 そこで損をしてしまうと、自分はこの投資先に貸しがあるのだから、借りを返して貰う必要があると考え、その投資先を執拗に追いかけてしまう人が多く居る。 しかし、投資対象を擬人化して貸し借りが有る等と考えるのは、非論理的である。投資対象に執着することはせずに最初に上手くいかなければ止めてしまって構わないのだ。
副公理XV 難平買いで悪い投資を何とかしようとするな
難平買いやドルコスト平均法として知られるテクニックは一見すれば疑う余地のないほど論理的に思える。 しかし、それらは自分自身を騙しているに過ぎない。どんなに問題を回避しようとしても、あなたが高値掴みしたという事実は変わらないからだ。 もし難平買いをしたくなった場合は「なぜこの投資先を選ぶのか。割安な株は他にもたくさんあるはずだ。この投資は本当に自分にとって最も有望なのだろうか。それとも単に難平買いをすることで自分を気持ちよくさせたいだけなのか」と自問すべきである。 難平買いで平均コストを下げることによってあなたは幸せな気分になれるかもしれないが、それは心理的なトリックに過ぎず、金持ちになる方法ではない。
第十二の公理 計画について
第十二の公理は「自分が見ることの出来ない将来を計画する無益と危険さ」について警告している。 長期契約や長期投資に根を下ろしてはいけない、実際に何かが起きたときに反応すべきだ。好機が来ればお金を投資し、危険が不気味に現れたら撤退するのだ。 あなたにとって唯一必要な長期計画は「金持ちになろうとする意志」だけである。
長期計画は、将来を管理できるという危険な確信を引き起こす。決して重きを置かないことが重要だ
イソップ物語の蟻とキリギリスの話は、現実では蟻の方が巣から燻り出されたり、ブルドーザーで破壊されたりしてひどい目にあうことが多い。 それは第六の公理で教えた通り、根を下ろしたことによるものであり、長期計画を立てたことに起因している。 長期計画は「将来を管理できる」という確信を引き起こす。これは非常に危険な確信である。 今日の傾向を延長すれば将来が見えると考えるのは誤った行為であり、突然起こる好況や恐慌、激変、戦争、破壊、崩壊等、次の20年がどうなるかは誰にも分からない。 だから、長期計画を立てようとはしてはいけない。重要なのは将来の知ることが出来ない出来事に対処するために計画するのではなく、実際に出来事が姿を表したときに対処するためにフットワークを軽くしておくことである。
副公理XVI 長期投資を避けよ
長期投資は苦痛を伴う決断を頻繁に下す必要から開放され、証券会社に支払う手数料も節約できるることが最大の魅力である。 しかし、見えすらしない20年後や30年後に賭ける「大いなるギャンブラー」でもある。 すべての投資は、少なくともの三ヶ月ごとには再評価して、投資を継続することが正当化出来るかどうかを確認しなければならない。
書籍を読んだ所感
『マネーの公理』という書籍はここまでに概要を記載した通り、「チューリッヒの公理」による「12個の公理」と「19個の副公理」を解説する内容でした。 この本を読んで衝撃を受けた投資家は非常に多いと思いますが、他の有名書籍と比べて、この本を紹介している人は非常に少ない気がしています。 その理由も読めば大体分かると思いますが、リスクをとって投資をしろとか、長期投資はするなとか他の投資本と言っていることが真逆なので、紹介し辛いのだと思います。 ただ、最初にも述べた通り、私はこの書籍で言っていることは投資の一つの本質を示していると感じています。 現在、投資の世界に入ってくる人達はオルカンやS&P500を長期投資で持てば良いと教えられて始めている人が多いでしょうが、この考えは多くの公理に反しています。 確かにこれまで世界経済は成長を続けてきていて、米国もこれまで通り何だかんだで世界一の経済大国の座は簡単に譲らないと思います。 ですが、それはあくまで過去がそうだったからというだけで未来を保証するものでは決して有りません。 2020年にも新型コロナによって世界中がパンデミックで大混乱しましたし、過去にも戦争・世界恐慌を含めて大きな災難が幾度もありました。 そういった大きな災難は今後も起きるでしょうし、次に起きる災難は米国や世界に致命的な影響を及ぼすかもしれませんし、これまで通りその後に元に戻るかなんてことは誰にも分からないのです。 ですので、書籍にも書いてあるとおり、そもそも絶対に安全な「投資」なんて存在しないのです。 利益を求める行為はどれだけ過去の傾向から分析した賢い方法であったとしても、それは「投機」であるということを心に留めておく必要があります。 世界一の投資家であるウォーレン・バフェット氏は手堅い長期投資で富を築きましたが、それは絶対の公式ではなく、たまたまアメリカが長期的に成長し続けたという幸運の元にあります。 仮にウォーレン・バフェット氏が日本で生まれて、バブル崩壊の真っ只中で投資を始めていたら、同じ理論で長期投資をしていても、損失を取り戻すのにすら30年近くの時間が必要となり、金持ちになるのは難しかったでしょう。 世の中には金持ちと貧乏人という、分かりやすい勝ち組と負け組がありますが、それらの立ち位置は幸運に大きく左右されて居るのにも関わらず、誰もが人格や才能によって決まったように思い込んでいます。 尚、この話については2022年のイグノーベル賞を受賞した「才能と運」という論文でも「最も成功するのは、平均より少し才能があって幸運な人」と結論付けられています。 そういった様々な思い込みについて、本書籍は真っ向から否定しています。私がこれまでに読んだ書籍の中でここまで論理的に幸運の大きさを説いていたのはこの本だけです。 この本を読んで投機家として新しい道を目指すのも自由ですし、これまで通り確率の高さを理由に安定した長期投資を続けるのも自由だと私は思います。 いずれにしても、物事には様々な視点での思考が必要ということをこの本は何よりも教えてくれたと思います。 なので、ここまで記事を読んでいただいた人で内容の詳細が気になる人は是非書籍の方も読んでもらえると幸いです。 最後にこの本を読んでいて私が特に印象に残った言葉については、以下に載せて個別で感想を少し書いていきます。
「賭けて勝つ」、誰もが勝ちたいと考えているが、誰もが賭けたいと考えている訳ではない
これは公理の説明をする前の「はじめに」の章で出てくる言葉です。この本を体現した言葉でもあります。 特に「誰もが勝ちたいと考えているが、誰もが賭けたいと考えている訳ではない」という言葉は非常にしっくり来ました。 世の中には金が欲しいという人は大勢居ても、自分自身を危険に晒して賭けに出る人は本当に僅かしか居ないと思います。 大金が稼げないと分かりつつも、日々の安全な仕事を取り、もっとお金が欲しいとただ嘆くだけです。 特に日本という国は過剰に求めさえしなければ、日々の安全な仕事で毎日食事をすることも、温かい家で暮らすことも出来るので、尚更その状況から賭けに出る必要性がないのでしょう。 ですが、賭けなければ勝つことは出来ません。リスクを取らなければ貧乏人は金持ちになることは決して出来ないのだと教えてくれる言葉です。
人生はすべてギャンブルである
この言葉も「はじめに」の章で出てくる言葉です。 本書籍では幸運について語ることが多く、この「人生はすべてギャンブルである」という言葉は賭けだけでなく、幸運は人生全てに大きな影響を持っていることについて教えてくれています。 金持ちや貧乏人、有名スポーツ選手もうだつの上がらない社会人も、才能以外にもどこかで幸運に恵まれたか、そうでなかったかの違いで立場が大きく変わったと思います。
給料(給与)で金持ちになった人はいない
この言葉も「はじめに」の章で出てくる言葉です。 これも一つの真理であり、よっぽどの高給取りの人であればそれなりの財産を築くことは出来るかも知れませんが、99%の人は給与では金持ちにはなれないのが現実です。 次の言葉にも続きますが、給与では金持ちになれないのであれば、現在金持ちでない人達はこのままを受け入れるか、リスクをとって這い上がるかを選ぶ必要があります。
大多数を占める貧乏人クラスから這い上がる唯一の方法はリスクを取ることである
この言葉は「第一の公理」の章で出てくる言葉です。 この書籍で「なぜリスクを取る必要があるのか」を教えてくれている重要な言葉です。 要はリスクをとって勝負に出なければ、貧乏人は一生貧乏なままであるという冷たい真実を突きつけています。 一生懸命努力すればとか、いっぱい勉強して良い仕事を探せばとか、そういった安易な言葉を投げかけることが出来るかも知れませんが、それらすら幸運を期待する必要がありますね。 この言葉は冷たく感じるかも知れませんが、逆に言えばリスクとって勝負に挑めば貧乏人から這い上がるチャンスが存在することを意味しています。 あとはそのリスクとの向き合い方です。そしてその向き合い方はその後の公理で教えてくれています。 なぜリスクをとった投機が必要なのか考えた時は、この言葉を思い出しましょう。
すべての投資は投機である。唯一の違いは、ある人はそれを認め、ある人はそれを認めないことだ
この言葉も「第一の公理」の章で出てくる言葉です。 どれだけ自分なりに研究しても、安定した商品を買ったとしても、利益を求めて投資をしている時点でそこには必ずリスクが存在するため、すなわち投機でしかないのである。 投資という言葉にこだわる人は自分が賢明で思慮深いのだと言いたいだけで本質は変わらないという、世の中の投資家達に対してド直球な煽りを入れている言葉です。 この言葉は自分が自信を持った投資をしている時ほど思い出したい言葉です。 どれだけ自信があったとしても、そしてどれだけ順調に進んでいたとしても、その投資は投機なのだと、必ずリスクが有ることを忘れてはいけないという戒めになってくれる言葉です。
幸運の重要な役割を無視した公式は決して信頼できない
この言葉は「第五の公理」の章で出てくる言葉です。 この書籍で一貫して主張している幸運の重要さを表している言葉です。 一見して完璧な理論に見えたとしても、そこにはほぼ必ずと言っていいほど幸運の要素が絡んでおり、それを忘れれば手痛い損失を被ることになることを意味しています。 成功した人ほど自分は努力したから、才能があったから、といった幸運の要素が小さかったような言い回しをしますが、実際は幸運が大きなウェイトを占めており、仮に同じことを続けた人達が同じように成功することなどは無いということです。 故に成功者達の話を聞くのは勉強になると思いますが、必ずそれらは幸運が味方したからだという事実を忘れないようにしましょう。
直感は説明できるのであれば信頼できる
この言葉は「第七の公理」の章で出てくる言葉です。 基本的に私はこれまで直感を信じることはあまりなかったのですが、投資で大きく買った時は直感を信じたときが多かったのを思い出しました。 その理由がこの言葉で一定理解できました。確かに直感で勝った時は対象について誰よりも調べたと言える状態になっていました。 この公理では同じようにその直感が信じるに足るかは自問して考えるのが良いと教えてくれていたので、今後は直感が働いた場合は自問する癖をつけていこうと思います。
最悪にどう対処するかを知ること。それこそが自信である。
この言葉は「第九の公理」の章で出てくる言葉です。 本書籍で一番格好いい言葉だと思います。「最悪にどう対処するかを知ること。それこそが自信である。」ってドヤ顔で人に言えたらCOOL!!と言ってもらえると思います。 本書籍では一貫してリスクを取ることの必要性について説いていますが、それと同時にどうすればリスクが顕在化したときに身を守れるかも教えてくれています。 最悪の状況になってから慌てふためく人達の多さを考えると、この言葉の重要さが本当によく分かります。 そして逆に最悪の場合でもどうにか出来るという事実は自分に自信を持たせてくれるため、投資にも健全に向き合うことが出来る様になるのだと思います。
長期投資家は大いなるギャンブラーである
この言葉は「第十二の公理」の章で出てくる言葉です。 バフェットが聞いたらどんな反応をするのか一番気になる言葉です。 最近では特に長期投資ほど安全で確実な投資方法は無いという風潮が強くなっていますが、それに一石を投じています。 過去を参考にした公式はあくまで、「過去と同じ状況が続けば」予定通りになるということでしかなく、本来はだれもその状況を保証することなど出来ないのが現実です。 私は長期投資の全てを否定しません。これまでの実績を考えれば確率的にはこれまでと同じ傾向が続く方が可能性は高いと考えているためです。 ですが、そこには必ず幸運の要素が絡むことは忘れてはいけません。長期投資も幸運を当てにした投機であるということには投資家全員が覚えておく必要があるでしょう。
まとめ
本記事を閲覧頂きありがとうございました。 『マネーの公理』は面白い書籍にも関わらず、日本の投資家にそれほど読まれている印象が無い本でしたので、新鮮な内容が多かったのではなかったかと思います。 日本人は特にリスクを極力避ける人が多い印象がありますので、この書籍から得られる学びは非常に多いと思います。 ちなみに私が以前紹介した『バビロンの大富豪』とは全く異なる主張をしている本書籍ですが、私はどちらも一つの真理であると感じています。 『バビロンの大富豪』が言うように長い時間を賭けて富を築くのも一つの答えですが、実際に投資をしている人達からすれば「仮に30年後や40年後に多少金持ちになっても仕方ない」と考える人のほうが多いと思います。 その一方で『マネーの公理』はリスクをとって勝つことが出来れば、貧乏人から金持ちにそれほど時間が掛からずいくことも出来るはずです。 もちろん、それには幸運が味方しなければ難しいでしょうが、それでも数十年後に確率で多少お金が持てる方法よりも、幸運に頼る方法を選択する人はきっと多いでしょう。 どちらが正解ということは無いと思います。投資家(投機家)の人達がどちらが好みで、どちらの道を進むかというだけのことだと思います。 ちなみに以前紹介した『バビロンの大富豪』の記事についても以下に載せておきますので、興味があれば閲覧ください。 それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
【書評・要約】お金持ちを目指す人の必読書『バビロンの大富豪』の概要と現代にも活かせる富を増やす考え方 – センコの活動記録 (senkohome.com)
【書評・要約】お金持ちを目指す人の必読書『バビロンの大富豪』の概要と得られる学び
本記事は『バビロンの大富豪(The Richest Man in Babylon)』の概要(要約)と私の感想(レビュー)を載せています。本書籍は「お金持ちになるための必読書」として有名で「7つの知恵」や「五つの黄金法則」を始めとした「富を手に入れるための原則」について詳しく書かれているものなっています。
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