戦略的思考

【戦略的思考】期待効用理論 ─ リスクのある選択肢を比較する基礎理論

【戦略的思考】期待効用理論 ─ リスクのある選択肢を比較する基礎理論

当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「期待効用理論」について解説します。

リスクのある選択肢を比較するとき、単純な期待値だけでは人間の行動を説明できません。結果の「客観的な価値」ではなく「主観的な満足度(効用)」の期待値で選択するという考え方が期待効用理論です。現代の経済学・ファイナンス理論・意思決定科学の基礎となっています。

図解

期待値だけでは説明できない問題

まず「期待値」の概念を確認します。

50%の確率で100万円、50%の確率で0円というくじの期待値は: 100万円 × 0.5 + 0円 × 0.5 = 50万円

このくじと確実な50万円のどちらを選ぶかと聞かれると、多くの人は確実な50万円を選びます。期待値は同じなのになぜでしょうか。

さらに複雑な問いを考えます。50%の確率で200万円、50%で0円というくじ(期待値100万円)と確実な100万円では、あなたはどちらを選びますか。そして「くじを選ぶなら確実に何万円まで諦められるか」と問うと、答えは人によって大きく違います。ある人は95万円でも交換したくないし、別の人は70万円でもくじを手放すかもしれません。

同じ期待値を持つ選択肢に対する評価が人によって異なるこの現象を、期待値だけでは説明できません。

サンクトペテルブルクのパラドックス

期待効用理論の誕生に直接関わった問題が「サンクトペテルブルクのパラドックス」です。1738年にスイスの数学者ダニエル・ベルヌーイが提示しました。

ゲームの内容:コインを投げ続け、最初に表が出るまで続けます。1回目で表が出れば1円、2回目で初めて表が出れば2円、3回目なら4円、n回目なら2^(n-1)円を受け取ります。

このゲームへの参加に何円支払うことが合理的でしょうか。

期待値を計算します: 1回目に表(確率1/2):1円 × 1/2 = 0.5円 2回目に初めて表(確率1/4):2円 × 1/4 = 0.5円 3回目に初めて表(確率1/8):4円 × 1/8 = 0.5円 …以下無限に続く

合計の期待値 = 0.5 + 0.5 + 0.5 + … = 無限大

したがって、期待値を最大化する「合理的エージェント」は、このゲームに参加するために無限の対価を払うべきことになります。しかし現実には誰も数千万円を払ってこのゲームに参加しようとはしません。

ベルヌーイはこのパラドックスを解決するために、「賞金そのもの(金額)ではなく、賞金から得られる効用の対数に比例する量で評価すべきだ」と提案しました。これが期待効用理論の原型です。

対数効用関数 u(x) = log(x) を使うと、サンクトペテルブルクゲームの期待効用は有限値に収束し、現実的な参加料(数円〜数百円程度)が導出されます。

ベルヌーイの効用関数と限界効用逓減

ベルヌーイの提案の核心は「限界効用逓減の法則」です。

所得や富が増えるにつれて、同じ追加額から得られる満足度(限界効用)は減少します。

  • 財産が0円から1万円に増えたときの満足度の増加
  • 財産が100万円から101万円に増えたときの満足度の増加
  • 財産が1億円から1億1万円に増えたときの満足度の増加

これら3つを比べると、金額の増加量は同じ1万円でも、満足度の増加は1つ目が最も大きく、3つ目が最も小さいはずです。

この性質(効用関数が凹型であること)が、リスク回避行動の数学的根拠です。

凹型の効用関数では、不確実な選択肢(くじ)の期待効用は、確実な選択肢(期待値を確実に得る)の効用より小さくなります。これがリスク回避者の行動パターンです。

逆に、凸型の効用関数を持つ人はリスク選好者(確実なお金よりも期待値の同じくじを好む)であり、線形の効用関数を持つ人はリスク中立者(期待値のみで判断する)です。

フォン・ノイマン=モルゲンシュテルン公理

期待効用理論に現代的な数学的基礎を与えたのは、1944年のジョン・フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルンの共著「ゲームの理論と経済行動」です。

彼らは「合理的な意思決定者なら守るべき公理」として次の4つを提示しました。

1. 完備性(Completeness):任意の2つの選択肢を比べたとき、AをBよりも好む、BをAよりも好む、または無差別(どちらでもよい)のいずれかが成立する。「比べられない」という事態がない。

2. 推移性(Transitivity):AをBよりも好み、BをCよりも好むなら、AをCよりも好む。選好に矛盾がない。

3. 連続性(Continuity):AをBよりも好み、BをCよりも好む場合、pA + (1-p)CというくじがBと無差別になるような確率pが存在する。

4. 独立性(Independence):どちらかの選択肢の一部を同じ第三の選択肢に置き換えても、元の選好順序は変わらない。

これら4つの公理を満たす選好関係は、必ず「効用関数の期待値」として表現できる──これがフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン定理(期待効用定理)です。

逆に言えば、これら4つの公理を受け入れる「合理的な意思決定者」は、必然的に期待効用を最大化する行動をとるべきだということです。

リスク回避とリスクプレミアム

期待効用理論の最も重要な応用が「リスク回避(Risk Aversion)」の定量的な分析です。

リスクプレミアム:ある不確実な選択肢(くじ)の期待値から、その人がその不確実性を回避するために諦めてもよい金額を引いた差です。

例:確率50%で100万円、50%で0円というくじ(期待値50万円)。ある人がこのくじを確実な35万円と無差別と感じるなら、リスクプレミアムは50万円 − 35万円 = 15万円です。

確実性等価(Certainty Equivalent):ある不確実な選択肢と無差別な確実な金額(上の例では35万円)のことです。

リスク回避度の指標として経済学では次の2つが使われます:

  • 絶対リスク回避度(ARA):u”(x) / u’(x)(効用関数の曲率)。財産が増えても変わらない場合は「絶対リスク回避度一定(CARA)」型。
  • 相対リスク回避度(RRA):x × ARA。財産に対するリスク許容度の割合。

これらの指標は、ポートフォリオ理論・保険設計・年金制度設計で資産配分の最適化に使われます。

保険の合理性の説明

保険はリスク回避の最も典型的な実践例であり、期待効用理論によってその合理性を説明できます。

自動車事故の確率が1%で、事故時の修理・賠償費用が500万円だとします。年間の期待損害は5万円です。保険料が7万円なら、期待値だけ見ると保険に入ることは「年2万円の損」です。

しかし、500万円の突然の損害を被る確率が1%あるとき、その500万円がもたらす効用的打撃(生活基盤の崩壊・ローンの返済不能など)は、保険料の7万円の効用的コストよりはるかに大きいです。

期待効用の観点では、大きな損害をリスクプレミアムを払って回避することは合理的です。保険会社は多数の顧客からリスクを引き受けてリスクをプールすることで、個々のリスクを平準化して利益を得ます。

同様の論理が次の行動を説明します:

  • 株式投資よりも分散投資(ポートフォリオ)を好む
  • 大きな損失リスクがある投資よりも低リターン・低リスクの預金を好む
  • 中小企業が収益変動を平滑化するためにヘッジ取引を行う

アレのパラドックスと期待効用理論の限界

期待効用理論は強力な理論ですが、1952年にモーリス・アレが提示した「アレのパラドックス」によって、現実の人間行動と一致しないことが示されました。

問題A

  • 選択肢A1:確実に100万円もらえる
  • 選択肢A2:89%で100万円、10%で500万円、1%で0円(期待値139万円)

問題B

  • 選択肢B1:11%で100万円、89%で0円(期待値11万円)
  • 選択肢B2:10%で500万円、90%で0円(期待値50万円)

期待効用理論に従えば、A1 > A2 を選ぶ人は B1 > B2 を選ぶべきですし、A2 > A1 を選ぶ人は B2 > B1 を選ぶべきです(独立性公理より)。

しかし実験では多くの人が A1 > A2 かつ B2 > B1 を選びます。これは独立性公理と矛盾します。

アレのパラドックスが示しているのは、人間が「確実性(1%から0%への変化)」を特別に過大評価する傾向(確実性効果)があるということです。この傾向は期待効用理論では説明できません。

アレのパラドックス以外にも、期待効用理論が説明しにくい現象として:

エルスバーグのパラドックス:確率が明確な場合(リスク下)と確率が不明な場合(不確実性下)で、人間の選好が一貫しない(曖昧回避)。

小確率の過大評価:宝くじ(当選確率1/1,000万)を買う行動は期待効用最大化では説明しにくい。これはプロスペクト理論の確率加重関数で説明されます。

【戦略的思考】プロスペクト理論 ─ 人間は損失を利益より約2倍大きく感じるsenkohome.com/strategic-thinking-prospect-theory/

期待効用理論の応用

理論的な限界があっても、期待効用理論は多くの実用的な分野で使われています。

ポートフォリオ理論:マーコウィッツの平均分散アプローチは、投資家のリスク回避度を前提に、期待リターンとリスク(分散)のトレードオフを最適化します。効率的フロンティア上のポートフォリオの選択は、投資家の効用関数を最大化する問題です。

保険数理:保険料の設定・リスク移転の価格付け・再保険の設計は、期待効用理論と統計的リスクモデルを組み合わせて行います。

政策評価:規制変更・インフラ投資・社会保障制度の設計において、異なる所得層の限界効用が異なることを考慮した社会厚生関数は期待効用理論に基づきます。

意思決定分析:ビジネスの投資判断・R&D戦略・M&Aの評価などで、決定木と期待効用を組み合わせた「意思決定分析(Decision Analysis)」が使われます。

まとめ

本記事は「期待効用理論」について解説しました。如何だったでしょうか。

期待効用理論は「合理的な意思決定者が不確実な状況でどう選択すべきか」を示す規範理論として、ファイナンス・保険・政策設計の基礎です。

「期待値だけでなく、結果の主観的な満足度(効用)も考慮する」という発想は、保険・投資・個人の財務判断においてより現実的な意思決定を可能にします。アレのパラドックスが示す限界は、プロスペクト理論や行動経済学という発展的な研究の起点にもなっています。

フレームワーク一覧・ゲーム理論概論は以下からどうぞ。

それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。