当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「ウィグナーの友人」のパラドックスについて解説します。
シュレーディンガーの猫は有名ですが、それをさらに一歩進めた思考実験があります。猫を観測した友人がいて、その友人を外から見ている自分がいるとき、友人は確定した結果を見ているのに、自分にとっては友人ごと重ね合わせ状態にあることになります。
友人が先に観測する状況
ノーベル物理学賞受賞者ユージン・ウィグナーが1961年に提唱した思考実験です。
密閉された実験室で友人が量子力学の実験を行います。例えば、光子が検出器に当たるかどうかを観察しています。友人は結果を観測し、「検出された」または「検出されなかった」のどちらかを確認します。
一方、実験室の外にいるウィグナーは、友人が実験を行ったことは知っていますが、結果を聞いていません。
誰の記述が正しいのか
量子力学の標準的な解釈によれば、系は観測されるまで重ね合わせ状態にあります。
友人の視点では、観測した瞬間に量子状態は確定します。友人には明確な結果が見えています。
ウィグナーの視点では、実験室全体(友人を含む)がまだ重ね合わせ状態にあります。ウィグナーにとっては、友人が「検出された」と思っている状態と「検出されなかった」と思っている状態が共存しているのではないでしょうか。
友人はドアを開けてウィグナーに結果を伝えます。このとき、ウィグナーにとっては初めて状態が確定しますが、友人はずっと前から結果を知っていました。
同じ物理系に対して、二人の観測者が異なる記述を持つことは許されるのでしょうか。
意識は特別な役割を持つのか
ウィグナー自身は当初、この思考実験から「意識が波動関数を収縮させる」という結論を導きました。つまり、友人の意識が介入した時点で本当に状態は確定しており、外部のウィグナーの記述は不完全なのだという立場です。
とは言っても、この「意識による収縮」説には多くの物理学者が反対しています。意識に物理的な特別な役割を与えることは、物理学を主観に依存させてしまうからです。
シュレーディンガーの猫との違い
ウィグナーの友人はシュレーディンガーの猫を拡張したものですが、決定的な違いがあります。猫は意識を持つかどうか議論がありますが、友人は明確に意識を持った観測者です。
シュレーディンガーの猫では「猫は本当に生きていると同時に死んでいるのか?」が問題でした。ウィグナーの友人では、友人は確実に一つの結果を見ているのに、外から見ると重ね合わせ状態にあるように記述されるという矛盾が問題です。つまり、意識ある存在が重ね合わせ状態にあるとはどういう意味か、という問いをより先鋭化しているのです。
各解釈での取り扱い
「コペンハーゲン解釈」では、観測の境界をどこに置くかが曖昧であるという問題を認めつつも、実用的には問題が生じないとしますが、友人が観測した時点で状態が確定するのか、ウィグナーが結果を聞いた時点で確定するのかは明確にできません。
「多世界解釈」では、友人が観測した時点で世界が分岐し、ウィグナーが結果を聞いた時点でさらに分岐します。矛盾は生じませんが、世界の数が爆発的に増えるという代償があります。
「QBism(量子ベイズ主義)」では、量子状態はそもそも各観測者の信念を表すものであり、二人が異なる状態記述を持つことは問題ではないとします。量子力学は客観的な世界の記述ではなく、各主体の経験を整理するためのツールだという立場です。
最近の展開
2018年に物理学者チャスラフスキーらが発表した「拡張ウィグナーの友人シナリオ」は大きな注目を集めました。このシナリオでは、ウィグナーと友人のペアが2組登場し、ベルの不等式に類似した実験を行います。
結果として導かれるのは、次の3つの仮定を同時に満たすことは不可能だということかと思います。
- 観測には一つの確定した結果がある(事実の一意性)
- 自由に測定設定を選べる(自由選択)
- 過去の事実は変わらない(局所性に類似した仮定)
結局のところ、「誰にとっても一つの客観的事実がある」という前提そのものを放棄しなければならない可能性が示されました。2019年には英ヘリオット・ワット大学のプロイエッティらが光子を使った実験でこの理論的予測を部分的に確認しています。
量子力学の基礎に関わる問題が、思考実験の段階から実験的検証の領域に入りつつあります。
実験室に持ち込まれた思考実験
長らく机上の話だったウィグナーの友人ですが、近年は実験の対象になっているという感じでしょうか。
2019年、エディンバラの研究チームが、6つの光子を使って拡張版のウィグナーの友人を実現したと報告しました。「友人」の役を光子に担わせ、観測結果を記録する部分まで含めて量子系として扱う構成です。
結果は、全員が同じ客観的な事実を共有しているという前提と矛盾するというものでした。
もう少し正確に言うと、次の3つを同時に成り立たせることができないことが示されています。
・観測結果は観測者によらず1つ:誰にとっても同じ事実がある ・局所性:離れた場所での選択が結果に影響しない ・自由な選択:測定の設定を自由に決められる
どれを捨てるかで、立場が分かれます。1つめを捨てると、「事実は観測者ごとに違う」という、かなり受け入れがたい結論になります。
誰にとっての事実なのか
この結果が示唆するのは、素朴な意味での客観性が量子論と相性が悪いということです。
ウィグナーにとって、友人と装置は重ね合わせの状態にあります。友人にとっては、結果はすでに1つに確定しています。
どちらの記述も、それぞれの立場では正しい。同じ出来事について、2つの矛盾する記述が同時に成り立つという状況です。
・関係論的解釈:状態は系と系の関係に対して定義されるものだと考える ・QBism:量子状態は各主体の信念の記述であり、共有される客観的実体ではないとする ・多世界解釈:どちらも起きており、矛盾は生じないと考える
いずれも、「絶対的な事実がひとつある」という素朴な前提を、どこかで弱めています。
物理学の議論としては未決着ですが、思考実験が実験で試せる段階まで来たこと自体が、私はこの30年ほどのいちばん大きな変化だと思っています。
シュレーディンガーの猫から何が進んだのか
この2つの思考実験は、しばしば同じものとして紹介されますが、問いの立て方が一段違います。
猫の話では、観測する側は人間ひとりです。箱の中に何があるかは分かりませんが、「観測すれば確定する」という点に争いはありません。
ウィグナーの友人では、観測者そのものを量子系として扱うところが追加されています。観測する人が、別の誰かにとっては観測される対象になる、という入れ子の構造です。
| 論点 | シュレーディンガーの猫 | ウィグナーの友人 |
|---|---|---|
| 重ね合わせる対象 | 猫(生死) | 観測者(認識した内容) |
| 問われること | 大きなものが重ね合わさるか | 誰の記述が正しいか |
| 観測者の数 | 1人 | 2人(入れ子) |
| 争点 | 収縮はいつ起きるか | 事実は共有されるか |
猫の問題は、デコヒーレンスの理解が進んだことで実務的にはかなり片付きました。大きなものは環境と絡み合うので、重ね合わせが保たれない。
ところがウィグナーの友人は、この説明では解けません。友人が完全に孤立した実験室にいると仮定すれば、デコヒーレンスは起きないからです。
孤立を保てるなら、友人の認識ごと重ね合わせになるはずで、しかし友人本人は1つの結果を見たと言い張る。ここが残る難しさになっています。
現実には人間ひとりを孤立させることは不可能ですが、思考実験としては原理の問題を突いています。だからこそ、光子を使った縮小版の実験が意味を持つということですね。
量子力学の関連パラドックス
ウィグナーの友人と同じく量子力学における観測問題を扱う関連パラドックスです。
まとめ
本記事は「ウィグナーの友人」について解説しました。如何だったでしょうか。
シュレーディンガーの猫よりもさらに深いレベルで、観測とは何か、事実は観測者に依存するのかという根本的な問いを突きつけてくるパラドックスです。量子力学が完成して100年近く経つ今も、その解釈をめぐる議論は続いています。
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