当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「バナッハ=タルスキーのパラドックス」について解説します。
1個のボールを5つに切り分けて、それらを回転と移動だけで組み立て直すと、元と全く同じサイズのボールが2個できる。にわかには信じがたい話ですが、これは1924年にポーランドの数学者ステファン・バナッハとアルフレッド・タルスキーが数学的に厳密に証明した定理です。
数学の全定理の中でも最も直感に反するものの一つであり、数学の基盤そのものに対する深い問いを投げかけています。
何が証明されたのか
正確に言うと、この定理は次のことを主張しています。
3次元空間にある球を有限個の部分に分割し、それらの部分を回転と平行移動だけで再配置すると、元の球と同じ大きさの球を2つ(あるいは3つでも100個でも)作ることができる。
重要なのは、「引き伸ばす」や「圧縮する」といった変形は一切行わないということです。純粋に回転と移動だけ。それなのに体積が2倍になる。明らかに物理法則に反しているように見えますが、数学的には正しいのだと思います。
最小の分割数は5つです。4つでは不可能であることも証明されています。たった5ピースで球を2倍に増やせるという事実は、このパラドックスの衝撃をさらに強めています。
なぜこんなことが可能なのか
トリックは「分割される部分」の性質にあります。
私たちが日常生活でケーキやリンゴを切り分けるとき、切り分けられたピースにはそれぞれ明確な体積があり、全ピースの体積の合計は元の体積と一致します。
しかし、バナッハ=タルスキーの分割で生じるピースは、通常の意味での「体積」を定義できない奇妙な図形です。数学用語で「非可測集合」と呼ばれるもので、点の集合としては存在しているのですが、あまりにも複雑な形状をしているため、何立方センチメートルなのかを数学的に定義することができません。
体積が定義できないピースなので、「体積の合計=元の体積」というルールも成り立たない。だから体積が増えたように見える組み立てが可能になるのだと思います。
非可測集合とは何か
非可測集合の存在を理解するために、1次元の類似例を考えてみましょう。
0から1までの実数の区間を考えます。ここから、ある特殊な規則に基づいて点を選び出してグループ分けします。各グループからちょうど1点ずつ取り出した集合が「ヴィタリ集合」です。
このヴィタリ集合には長さ(1次元の「体積」)を定義できません。もし長さが0なら、平行移動したヴィタリ集合を可算個並べても長さ0のままで、0から1を覆えないはず。もし正の長さなら、可算個並べると無限大になり、有限の区間に収まらないはず。どちらも矛盾するので、長さを定義すること自体が不可能なのではないでしょうか。
バナッハ=タルスキーの分割で生じるピースも、これと同じ本質を3次元に拡張したものです。
選択公理の役割
バナッハ=タルスキーのパラドックスが成立するために不可欠なのが、選択公理と呼ばれる数学の公理です。
選択公理とは、大ざっぱに言うと「空でない集合の族が与えられたとき、各集合から一つずつ要素を選び出す関数が存在する」という主張です。日常的な感覚では当然のように思えますが、無限個の集合が関わる場合にはかなり強力な主張になります。
バナッハ=タルスキーの分割で生じる非可測なピースは、まさにこの選択公理を使って構成されます。選択公理がなければこのようなピースは作れず、パラドックスも発生しません。
このパラドックスがあまりにも直感に反するため、「選択公理を受け入れるべきではない」と主張する数学者もいましたが、選択公理は数学の多くの重要な定理(ツォルンの補題、チコノフの定理、すべてのベクトル空間が基底を持つことなど)の証明に使われているため、捨てるわけにもいきません。
現代の数学では選択公理は基本的に受け入れられており、バナッハ=タルスキーのパラドックスは「直感に反するが正しい定理」として認められています。むしろ、このような反直感的な帰結を受け入れることが選択公理を採用するコストであると考えられています。
なぜ2次元では成り立たないのか
興味深いことに、バナッハ=タルスキーのパラドックスは3次元以上でのみ成立し、1次元や2次元では成立しません。
その理由は、3次元の回転群には「自由群」と呼ばれる構造が含まれているからです。自由群は無限に複雑な組み合わせを生成でき、非可測集合を構成するのに必要な「パラドキシカルな分解」を可能にします。2次元の回転群にはこの構造がないため、同じ手法が使えません。
物理的に実行できるのか
当然ながら、現実世界でボールを2個に増やすことはできません。
その理由は、バナッハ=タルスキーの分割で生じるピースが物理的に実現不可能な形状だからです。それらは無限に複雑な構造を持っており、どんなに精密なナイフでも切り出すことはできません。
物質は原子でできているため、原子より小さな単位で切り分けることが物理的に不可能です。バナッハ=タルスキーのパラドックスは、物質を「点の集合」として理想化した数学の世界でのみ成立する話なのです。
とは言え、数学的に正しい定理が物理的な直感に完全に反するという事実は、数学と物理学の関係について深い問いを投げかけています。数学は物理世界を記述するための言語ですが、数学の中には物理世界に対応物を持たない概念が存在する。バナッハ=タルスキーのパラドックスはそのことを最も劇的に示す例です。
選択公理を認めるかどうか
この定理が受け入れがたく感じられる原因は、証明に使われる選択公理にあります。数学者の立場も一枚岩ではありません。
認めた場合と認めない場合
| 立場 | 選択公理 | 得られるもの | 失うもの |
|---|---|---|---|
| 標準的な数学(ZFC) | 認める | ほぼすべての現代数学が展開できる | バナッハ=タルスキーのような直感に反する定理 |
| ZF のみ | 認めない | 非可測集合が作れず、分解も起きない | 線形代数や解析学の重要な定理が多数失われる |
| 従属選択公理まで | 部分的に認める | 解析学の主要な結果は保てる | 一部の一般的な定理が使えない |
ひとつ挙げておきたいのは2行目です。選択公理を捨てれば確かに球は増えなくなりますが、代償が大きすぎます。
すべてのベクトル空間に基底が存在すること、任意の2つの集合の大きさが比較できること、といった基本的な性質まで失われます。数学の広い範囲が使えなくなるのだと思います。
そのため現在の主流は、「奇妙な結論が出るのは承知のうえで選択公理を採る」という立場になっています。
平面では成り立たない理由
記事の前半で触れたとおり、この定理は3次元以上でしか成立しません。理由は回転の性質にあります。
・平面の回転:どの順番で回しても結果が同じ。可換な群になる ・空間の回転:順番を変えると結果が変わる。非可換な群になる
空間の回転が非可換であることが、球を分解して組み替える操作の余地を生んでいます。平面の回転は可換なので、面積を保つ測度が定義でき、増やすことができません。
3次元という空間の性質そのものが、この定理を可能にしているということになります。私たちが暮らす空間の次元に、こういう形で数学的な意味があったというのは面白いところだと思います。
名前に残った2人の数学者
この定理を1924年に発表したのは、ポーランドのステファン・バナッハとアルフレッド・タルスキーです。
バナッハは関数解析の基礎を築いた人物で、バナッハ空間という概念に名を残しています。タルスキーは論理学者として、真理の定義に関するタルスキーの定理で知られます。
2人が所属していたリヴフの学派は、独特の研究文化で有名でした。「スコットランド・カフェ」という店に集まり、問題を大学ノートに書き留めては議論を重ねていたと伝えられています。
このノートは「スコットランドの書」と呼ばれ、未解決問題に懸賞として生きたガチョウが提示された記録なども残っています。現代数学の重要な成果が、カフェの雑談から生まれていたという形になります。
なお、タルスキーには平面版の未解決問題もありました。「円を有限個に分割して、同じ面積の正方形に組み替えられるか」という円積問題です。1990年にミクローシュ・ラツコビッチが可能だと証明しました。
数学的無限の関連パラドックス
バナッハ=タルスキーのパラドックスと同じく無限集合の直感に反する性質を扱う関連パラドックスです。
まとめ
本記事は「バナッハ=タルスキーのパラドックス」について解説しました。如何だったでしょうか。
球を分解して2個に増やすという結論はあまりにも衝撃的ですが、これは無限と集合という数学の根幹に潜む不思議さを如実に表しています。数学の定理は必ずしも直感的である必要はないということを、このパラドックスは強烈に教えてくれます。
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それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
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