当サイトを閲覧いただきありがとうございます。本記事は、ケルト神話の原典を解説するシリーズの第1弾です。
今回は、アイルランドの神話物語群の中心である「侵略の書(しんりゃくのしょ)」をもとに、神々の時代を詳しく見ていきます。
ケルト神話の原典全体の見取り図については、以下のまとめ記事を参照してください。
ケルト神話の原典 ― 四つの物語群と写本
本題に入る前に、ケルト神話がどんな原典で伝わるのかを押さえておきましょう。ギリシアや北欧と違い、ケルト人(ドルイド)は教えを文字に記すことを避け、口伝で守りました。そのため神話が文字になったのは、アイルランドがキリスト教化した後、修道院の修道士たちが中世(12世紀頃〜)に書き留めてからです。『褐牛の書(レボル・ナ・ヒドレ)』や『レンスターの書』といった写本が、その代表です。
伝えられた物語は、内容によって大きく四つの「物語群(サイクル)」に分けられます。
| 物語群 | 内容 |
|---|---|
| 神話物語群 | 神々の一族トゥアハ・デ・ダナーンと侵略の書(=本記事) |
| アルスター物語群 | 英雄クー・フーリンと「クーリーの牛捕り」(記事②) |
| フィアナ物語群 | 戦士団フィアナとフィン・マック・クール(記事③) |
| 王たちの物語群 | 歴代の王にまつわる伝説 |
本記事はこのうち、世界の始まりと神々を語る「神話物語群」、とりわけその中心である「侵略の書」を扱います。
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「侵略の書」とは ― アイルランドへの6つの渡来
「侵略の書(レボル・ガバーラ・エーレン)」は、アイルランドに次々とやってきた6つの種族の興亡を、世界の始まりから順に記した、神話の歴史書です。
物語は、大洪水の前後にやってきた一族から始まり、いくつもの種族が渡来しては去っていきます。その中で特に重要なのが、5番目に渡来した神々の一族「トゥアハ・デ・ダナーン」と、6番目にやってきて現在のアイルランド人の祖となった人間の一族「ミレシア族(ゲール人)」です。
| 渡来した種族 | 概要 |
|---|---|
| ケスィル族 | 大洪水の前に渡来したとされる最初の一族 |
| パーホロン族 | 初期の渡来者。疫病で滅びる |
| ネメド族 | 魔神フォモールに苦しめられる |
| フィルボルグ | アイルランドを分割統治した種族 |
| トゥアハ・デ・ダナーン | 魔法と技芸に長けた神々の一族 |
| ミレシア族 | 神々を破り、現在の人類の祖となる |
この「渡来と興亡」の大きな流れを図にすると、次のようになります。神々の一族が登場し、魔神を退け、最後に人間に地を譲って去っていく――というケルト神話の骨格が見えてきます。
トゥアハ・デ・ダナーン ― 神々の一族
「トゥアハ・デ・ダナーン」とは「女神ダヌの一族」を意味し、魔法・詩・医術・鍛冶など、あらゆる技芸に秀でた神々の一族です。彼らは4つの宝物(無敵の剣、必ず勝つ槍、飢えを満たす大釜、正統な王の下で叫ぶ運命の石)を携えてアイルランドへやって来ました。
主な神々は以下のとおりです。
| 神 | 司るもの |
|---|---|
| ダグザ | 父なる神。生死を操る棍棒、決して空にならない大釜、季節を操る竪琴を持つ |
| ルー | 光の神。あらゆる技に長けた万能の戦士「サウィルダーナハ」 |
| ヌアザ | 一族の王。「銀の手のヌアザ」 |
| モリガン | 戦いと運命、死を司る女神。カラスの姿をとる |
| ブリギッド | 詩・医術・鍛冶を司る女神 |
| ディアン・ケヒト | 医術の神 |
| マナナン・マクリル | 海の神。霧や魔法の品を操る |
4つの秘宝 ― トゥアハ・デ・ダナーンの宝物
トゥアハ・デ・ダナーンは、4つの都市からそれぞれ「4つの秘宝」を携えてアイルランドへやって来た、とされています。これらはケルト神話を象徴する宝物です。
| 秘宝 | 力 |
|---|---|
| ダグザの大釜 | どれだけ食べても決して空にならず、誰も満たされぬまま立ち去ることがない |
| ヌアザの剣(クラウ・ソラス) | ひとたび鞘を抜けば、誰も逃れられない無敵の剣 |
| ルーの槍(ブリューナク) | 握る者に必ず勝利をもたらす、決して的を外さない魔槍 |
| 運命の石(リア・ファル) | 正統な王が触れると喜びの叫びをあげる石 |
これらの宝物は、後の「聖杯伝説」(ダグザの大釜)や「エクスカリバー」(無敵の剣)など、後世のヨーロッパの物語にも影響を与えたと考えられています。
主要な神々の素顔
父なる神ダグザ
「ダグザ」は、「善き神(すべてに長けた者)」を意味する、トゥアハ・デ・ダナーンの長老格の神です。大食漢で豪快な性格として描かれ、3つの宝物を持っています。一方の端で殴れば人を殺し、もう一方の端で触れれば生き返らせる「巨大な棍棒」、決して空にならない「大釜」、そして季節を巡らせ、人の感情を操る「魔法の竪琴」です。あるとき敵に奪われた竪琴を取り返しに行ったダグザが、竪琴に呼びかけると、竪琴が自ら飛んできて敵をなぎ倒した、という逸話も残されています。
海の神マナナン・マクリル
「マナナン・マクリル」は、海を支配する神です。波を駆ける馬と、ひとりでに進む船「波越えの船」を持ち、自在に霧を操って、身を隠すことができました。彼は異界(常若の国)の王ともされ、人間や神々に数々の魔法の品を授ける、知恵深い存在として描かれます。マン島の名は、この神に由来するとも言われます。
2度のモイ・トゥラの戦い
トゥアハ・デ・ダナーンは、アイルランドの覇権をめぐって、2度の大きな戦いを経験します。
第1次の戦い ― 銀の手のヌアザ
最初の戦いは、先住の「フィルボルグ」との戦いでした。トゥアハ・デ・ダナーンは勝利しますが、王「ヌアザ」はこの戦いで片腕を失ってしまいます。
ケルトの掟では、「体に欠損のある者は王になれない」とされていました。そのためヌアザは王位を退かざるを得ず、医術の神が作った「銀の義手」を得て「銀の手のヌアザ」と呼ばれるようになります(後に本物の腕を取り戻します)。
ヌアザに代わって王となったのが、フォモールの血を引く美しい「ブレス」でした。しかしブレスはひどく吝嗇(けち)で圧政を敷いたため、人々の不満を買って退位させられます。
光の神ルー、タラの宮廷に現れる
第2次の戦いの前に語られる、有名な「ルーの登場」の場面があります。
ある日、王宮タラの門に、見知らぬ若者ルーが訪れます。門番は「一芸に秀でた者でなければ、王宮には入れない」と告げました。そこでルーは、自分の技を次々と名乗ります。「私は大工だ」「鍛冶だ」「戦士だ」「竪琴弾きだ」「詩人だ」「魔法使いだ」「医者だ」——。
門番はそのたびに「その技を持つ者なら、もう宮廷にいる」と断ります。するとルーは、こう言い返しました。「では問おう。これらすべてを一人で兼ね備えた者が、ほかに一人でもいるか」
これには門番も返す言葉がなく、ルーは王宮に迎え入れられます。こうしてルーは「サウィルダーナハ(諸芸に長けた者)」と認められ、フォモールとの戦いの総指揮を任されることになったのです。
第2次の戦い ― 光の神ルーと邪眼のバロール
退位を恨んだブレスは、魔神「フォモール」の軍勢を率いて攻め寄せます。これが運命の「第2次モイ・トゥラの戦い」です。
総指揮を任された光の神「ルー」のもとで、神々は決戦の準備を整えます。鍛冶の神ゴヴニュは折れた武器を瞬時に鍛え直し、医術の神ディアン・ケヒトは「癒やしの泉」で傷ついた戦士を生き返らせました。神々の技術と魔法を結集した総力戦でした。
フォモール側の最強の存在が、「バロール」でした。彼は見たものすべてを破滅させる「邪眼」を持ち、その目はあまりに重く、数人がかりでまぶたを持ち上げないと開けられないほどでした。
実はルーは、予言によって「孫に殺される」と恐れたバロールの、その孫にあたる存在でした。決戦の場で、バロールが邪眼を開こうとした、まさにその瞬間。ルーは石つぶて(あるいは魔法の槍)を放ち、バロールの邪眼を眼窩ごと撃ち抜きました。後ろへ向いた邪眼は、逆にフォモールの軍勢を焼き滅ぼし、こうして予言どおり孫ルーが祖父バロールを倒して、戦いは決着しました。
神々の時代の悲話 ― リルの子らとトゥレンの子ら
神々の時代を舞台にした物語の中でも、アイルランドで特に愛されてきたのが、「アイルランドの三つの悲しみの物語」と呼ばれる悲話です。そのうち2つが、このトゥアハ・デ・ダナーンの時代を舞台にしています(残る一つが、記事②で扱う「ディアドラの悲恋」です)。
一つが「リルの子ら」です。海神とも縁の深い神「リル」には、4人の愛らしい子どもがいました。ところが、子らの継母となった「イーファ」が嫉妬にかられ、魔法で4人を白鳥に変えてしまいます。子らは900年もの長い年月を、白鳥の姿のまま湖や海で過ごさねばなりませんでした。美しい歌声だけは保ったまま、です。やがて時が満ち、キリスト教の鐘の音とともに人間の姿に戻りますが、そのときにはもう、900歳の老人になっていた――という、切なくも美しい物語です。
もう一つが「トゥレンの子ら」です。トゥレンの3人の息子は、光の神ルーの父「キアン」を殺してしまいます。父の死を知ったルーは、罪のつぐない(賠償)として、世界中の宝を集めてくる、ほとんど不可能な数々の難題を課しました。3兄弟は超人的な冒険の末にほぼすべてをやり遂げますが、最後の試練で深手を負い、命を落とします。英雄的な冒険譚でありながら、悲劇に終わる物語です。これらの悲話は、ケルト神話が「栄光と悲哀が分かちがたく結びついた物語世界」であることを、よく示しています。
神々から「妖精」へ
フォモールを退けて全盛を誇ったトゥアハ・デ・ダナーンでしたが、やがて最後の渡来者である人間の一族「ミレシア族(ゲール人)」がやって来ます。
トゥアハ・デ・ダナーンは彼らと戦って敗れ、アイルランドの地上を人間に明け渡すことになりました。そして神々は、地下や丘(古墳)の中にある別世界「ティル・ナ・ノーグ(常若の国)」へと姿を消します。
地下の塚(シー)に住むようになった彼らは、後に「アシー(妖精)」と呼ばれるようになりました。これが、ケルトに伝わる「妖精」の起源です。かつての偉大な神々が、時代とともに小さな妖精として語り継がれるようになった、というわけです。
登場キャラクターの強さは? ― 最強ランキング
本記事に登場した神々・英雄は、「神話・宗教・伝説 最強ランキング」でも強さ順に紹介しています。原典での活躍と、その「強さ」をあわせてお楽しみください。
バロール(68位)・ルー(72位)・ヌアザ(79位)・ダグザ(83位)
もっと深く知りたい方へ
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まとめ
本記事では、ケルト神話の「侵略の書」をもとに、神々の時代を詳しく解説しました。如何だったでしょうか。
魔法と技芸の神々「トゥアハ・デ・ダナーン」が、魔神フォモールとの2度の戦いを制し、光の神ルーが邪眼のバロールを倒す——そして敗れた神々が妖精となって地下へ去っていくという、ケルト神話独特の世界観をつかんでいただけたかと思います。
次回の記事②では、人間の時代を舞台にした、ケルト神話最大の英雄「クー・フーリン」の物語を解説していきます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
📚 シリーズ:ケルト神話の原典解説(2/4)