当サイトを閲覧いただきありがとうございます。本記事は、世界の神話・宗教の「原典」を解説するシリーズの一篇で、キリスト教の聖書を扱う全8記事のうちの第6弾です。
前回(記事⑤)は、イエス・キリストの生涯を描く福音書を解説しました。本記事で扱うのは、その続編『使徒言行録(しとげんこうろく)』全28章です。イエスが天に昇った後、残された弟子たちがいかにして「教会」を生み出し、福音がエルサレムからローマ帝国の中心まで広がっていったのか――キリスト教が世界宗教へと歩み出す、誕生の物語です。
福音書の解説はこちらの記事を参照してください。
『使徒言行録』とはどんな原典か
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 章数 | 全28章 |
| 著者 | ルカ(ルカによる福音書の続編) |
| 主な登場人物 | ペトロ、ステファノ、フィリポ、パウロ |
| 中心テーマ | 聖霊に導かれた教会の誕生と、福音の世界への拡大 |
『使徒言行録』は、ルカによる福音書を書いたルカが、同じ「テオフィロ」という人物に宛てて書いた続編です。新約聖書27巻の中で、唯一の「歴史書」にあたります。
冒頭で、復活したイエスは弟子たちにこう告げて天に昇ります。「あなたがたは、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」。実はこの一句が、本書全体の設計図になっています。物語は文字どおり、エルサレム(1〜7章)→ ユダヤ・サマリア(8〜12章)→ 地の果て=ローマへ(13〜28章)と、同心円状に広がっていくのです。
キャラ絵で学ぶ! キリスト教図鑑Amazonで見る →
キリスト教って、何なんだ?(超入門書)Amazonで見る →
ペンテコステ ― 聖霊が降り、教会が生まれる
物語の幕開けは、2章の「五旬節(ペンテコステ)」の出来事です。イエスの昇天後、エルサレムの一つの家に集まって祈っていた弟子たちの上に、突然、激しい風のような音が響き、炎のような舌が分かれて一人ひとりの上にとどまりました。
すると弟子たちは聖霊に満たされ、習ったこともない様々な国の言葉で、神の偉大な業を語り出したのです。祭りのためにエルサレムへ来ていた各国のユダヤ人たちは、それぞれ自分の故郷の言葉が聞こえてくることに仰天しました。
このときペトロが立ち上がり、最初の説教を行います。「あなたがたが十字架につけたイエスを、神は復活させ、主とされた」。この言葉に心を打たれた約3000人がその日に洗礼を受けました。キリスト教では、この日を「教会の誕生日」と呼びます。
誕生したばかりの共同体の姿も、印象的に記されています。信者たちは財産を共有し、パンを裂き合い、毎日心を一つにして祈った――。後のあらゆる教会が立ち返る、原点の風景です。
ペトロの奇跡と、最初の試練
教会の前半の主役は、イエスの一番弟子ペトロです。かつてイエスを3度も「知らない」と言ってしまった彼が、見違えるほど大胆な指導者となって登場します。
神殿の門の前で、ペトロは生まれつき足の不自由な男に「金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち、歩きなさい」と告げ、男を立ち上がらせました。こうした奇跡と説教によって信者は増え続け、ついに宗教当局は使徒たちを逮捕します。しかし議会で脅されても、ペトロらの答えは明快でした。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」。
一方、内部の問題も隠さず記されます。土地の代金をごまかして献金したアナニアとサフィラの夫妻が、聖霊を欺いた罪でその場に倒れて息絶える、という厳しい場面もあり、誕生したばかりの共同体の緊張感を伝えています。
最初の殉教者ステファノ
7章では、教会に最初の犠牲者が出ます。知恵と聖霊に満ちた奉仕者ステファノは、議会で堂々とイスラエルの歴史を語り、「あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている」と痛烈に批判しました。
激怒した人々はステファノを都の外へ引きずり出し、石を投げつけて殺します。彼は死の間際、イエスと同じように「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と祈りました。キリスト教最初の殉教者です。
そして原典は、この処刑の場に意味深な形で一人の青年を立たせています。石を投げる者たちの上着の番をしていた、サウロという男――後の使徒パウロその人です。この迫害をきっかけに信者たちは各地へ散り、皮肉にも、それが福音をエルサレムの外へ運ぶことになりました。エチオピアの高官に洗礼を授けるフィリポの物語など、福音はすでに国境を越え始めます。
ダマスコ途上の光 ― パウロの回心
9章で、本書最大の転換点が訪れます。教会迫害の急先鋒だったサウロ(パウロ)が、信者を捕らえるためダマスコへ向かう途中、突然、天からの光に打たれて地に倒れたのです。そして声が響きます。
サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか。
「主よ、あなたはどなたですか」と問うサウロに、声は答えました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。目が見えなくなったサウロは、3日後にダマスコの信者アナニアの祈りによって視力を取り戻し、洗礼を受けます。教会を滅ぼそうとしていた男が、福音を世界へ運ぶ最大の使徒へ――キリスト教史上、最も劇的な転身でした。
異邦人への扉 ― ペトロとコルネリウス
10章では、もう一つの決定的な一歩が記されます。ペトロが幻の中で、あらゆる動物の入った大きな布が天から降りてくるのを見て、「神が清めたものを、清くないなどと言ってはならない」という声を聞くのです。
導かれるまま、ペトロはローマの百人隊長コルネリウス――つまり異邦人(ユダヤ人ではない人)の家を訪れ、福音を語ります。すると聖霊が異邦人たちにも降り、ペトロは悟りました。「神は人を分け隔てなさらない」。ユダヤ人の宗教として生まれたキリスト教が、全人類への宗教へと扉を開いた瞬間です。
パウロの伝道旅行 ― 地中海世界へ
13章からは、舞台が一気に地中海世界へ広がります。アンティオキアの教会から送り出されたパウロは、生涯に3回の大伝道旅行を行いました。
| 旅行 | 主な経路 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 第1回 | キプロス島・小アジア | 各地に教会を設立。迫害と石打ちにも屈せず |
| 第2回 | 小アジア→ヨーロッパへ | フィリピ・テサロニケ・アテネ・コリントで宣教 |
| 第3回 | エフェソ中心 | 約3年の長期滞在。アルテミス騒動 |
途中の15章では、初期キリスト教最大の論争に決着がつきます。「異邦人の信者にも、割礼や律法を守らせるべきか」という問題をめぐるエルサレム使徒会議です。会議は「異邦人に律法の重荷を負わせない」と決定し、キリスト教がユダヤ教の枠を超えて世界宗教となる道が、ここで正式に開かれました。
旅の場面も劇的です。第2回旅行では、パウロは幻に導かれて海を渡り、福音が初めてヨーロッパ大陸に上陸します。フィリピでは投獄されますが、真夜中に賛美の歌をうたっていると大地震が起こり、牢の戸がすべて開いたという有名な逸話が残ります。そして哲学の都アテネでは、ギリシアの知識人を前に、「知られざる神に」と刻まれた祭壇を糸口とする、名高いアレオパゴスの説教を行いました。
囚われのパウロ、ローマへ
エルサレムに戻ったパウロは、神殿で暴動の標的となり、ローマ軍に逮捕されます。しかし彼は、ローマ市民権を持つ者の権利として、皇帝への上訴を申し立てました。「わたしは皇帝に上訴します」――この一言で、彼の行き先は帝国の都ローマに定まります。
護送の航海は、暴風雨による難破という大試練に見舞われます。14日間も嵐に翻弄され、ついに船はマルタ島の浅瀬で砕けますが、パウロの励ましのとおり、乗員276人は一人も命を落としませんでした。
そして28章、パウロはついにローマに到着します。軟禁状態に置かれながらも、彼は「全く自由に、何の妨げもなく」神の国を宣べ伝え続けた――原典は、この一文で唐突に幕を閉じます。パウロのその後の裁判の行方は、記されていません。それは、福音の前進という物語がまだ終わっておらず、読者へと引き継がれていくことを暗示する結びだと、古くから読まれてきました。
使徒言行録が伝えるもの
『使徒言行録』を貫いているのは、「教会を前進させているのは人間ではなく、聖霊である」という確信です。
弟子たちは迫害され、石を打たれ、投獄され、難破します。それでも物語の歩みは止まりません。むしろ迫害が福音を外へ運び、最大の迫害者がその最大の伝道者に変えられていきました。イエスというガリラヤの一人の人物から始まった信仰が、わずか一世代でローマ帝国の都に達するまでの記録――それが、この唯一の「教会の歴史書」なのです。
もっと深く知りたい方へ
関連する書籍も紹介します。あわせて読むと、この世界がいっそう深く味わえます。
50の傑作絵画で見る 聖書の世界Amazonで見る →
図解でわかる 14歳から知るキリスト教Amazonで見る →
まとめ
本記事では、新約聖書唯一の歴史書『使徒言行録』全28章を、原典の流れに沿って解説しました。如何だったでしょうか。
ペンテコステでの教会の誕生、最初の殉教者ステファノ、迫害者パウロの回心、異邦人への扉を開いたコルネリウスの出来事、3回の伝道旅行、そして難破を越えてのローマ到着――。エルサレムの一室から始まった信仰が、帝国の都まで広がっていく世界宗教誕生のドキュメントを感じていただけたかと思います。
次回の記事⑦では、このパウロたちが各地の教会へ書き送った「書簡」21巻を解説していきます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
📚 シリーズ:キリスト教の原典(聖書66巻)解説(7/9)