当サイトを閲覧いただきありがとうございます。本記事は、ギリシア神話の原典を解説するシリーズの第2弾です。
今回は、西洋文学の出発点とも言われるホメロスの叙事詩『イリアス』を取り上げ、その記述の流れに沿って詳しく見ていきます。
ギリシア神話の原典全体の見取り図については、以下のまとめ記事を参照してください。
『イリアス』とはどんな原典か
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 著者 | ホメロス(前8世紀頃の吟遊詩人) |
| 構成 | 全24歌(約1万5000行) |
| 主な登場人物 | アキレウス、ヘクトール、アガメムノン、パトロクロス |
| 主な内容 | トロイア戦争の最終局面と、英雄アキレウスの怒り |
『イリアス』は、ギリシア(アカイア)連合軍とトロイアが戦った「トロイア戦争」を舞台にした、全24歌からなる長大な英雄叙事詩です。題名は「イリオス(トロイアの別名)の歌」を意味します。
ここで非常に重要なのが、この原典が描くのは10年に及ぶ戦争のうち、最後の年のわずか約50日間の出来事だけだという点です。物語は、冒頭の一行で「怒りを歌え、女神よ、ペレウスの子アキレウスの怒りを」と高らかに宣言するとおり、英雄「アキレウス」の「怒り」の始まりから鎮まりまでを、一貫した主題として描きます。
『イリアス』が記述する流れは、おおよそ以下のようになります。
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戦争の発端 ― パリスの審判(前史)
『イリアス』本文は戦争10年目から始まるため、戦争がなぜ起きたのかは作中では詳しく語られません。その発端は、後世の作品が伝える「パリスの審判」です。物語の前提として押さえておきましょう。
きっかけは、英雄ペレウスと海の女神テティスの結婚式でした。この祝宴に招かれなかった不和の女神「エリス」が、腹いせに「最も美しい女神へ」と記した黄金のリンゴを投げ込みます。
すると、ヘラ・アテナ・アフロディテの3女神が「自分こそふさわしい」と争い始めます。困ったゼウスは、その判定をトロイアの王子「パリス」に委ねました。3女神はそれぞれパリスを買収しようとします。
| 女神 | パリスへの約束 |
|---|---|
| ヘラ | 全アジアの支配権(権力) |
| アテナ | あらゆる戦いの勝利と知恵 |
| アフロディテ | 世界で最も美しい女性 |
パリスは、アフロディテが約束した「世界一の美女」を選びました。しかしその美女とは、すでにスパルタ王メネラオスの妃となっていた「ヘレネ」でした。
アフロディテの力でヘレネを連れ去った(駆け落ちした)パリス。妻を奪われたメネラオスと、その兄である総大将「アガメムノン」は、ギリシア中の英雄を集めた大連合軍を率いて、トロイアへと攻め込みます。こうして10年に及ぶトロイア戦争が始まりました。『イリアス』は、その最終盤を描くのです。
『イリアス』本文の流れ
発端 ― アキレウスとアガメムノンの対立(第1歌)
戦争も10年目に入ったある日、ギリシア軍の陣中に疫病が流行します。原因は、総大将アガメムノンが戦利品として奪ったアポロン神官の娘を、父親が懇願しても返さなかったことへの、アポロン神の怒りでした。
やむなく娘を返したアガメムノンは、その埋め合わせとして、最強の英雄アキレウスの戦利品である女性「ブリセイス」を強引に取り上げます。これに名誉を深く傷つけられたアキレウスは激怒し、「もう戦わない」と宣言して戦線を離脱してしまいます。
アキレウスは、海の女神である母「テティス」に頼み、「自分が戦列に戻りたくなるほど、ギリシア軍が苦戦するように」とゼウスに働きかけてもらいます。ゼウスはこれを承諾し、戦況はトロイア有利へと傾いていきます。
中盤 ― 最強の英雄を欠いた苦戦
最強の戦士を欠いたギリシア軍は、トロイア最強の英雄「ヘクトール」の奮戦の前に、じりじりと追い詰められていきます。トロイア勢はついにギリシア軍の防壁を突破し、海岸に停泊した船にまで火を放とうとするほどの危機に陥ります。
この戦いには神々も介入します。ギリシア方にはヘラ・アテナ・ポセイドン、トロイア方にはアポロン・アフロディテ・アレスがつき、神々同士の対立がそのまま人間の戦争に反映されるのもイリアスの大きな特徴です。
転換 ― 親友パトロクロスの死
味方の窮地を見かねたアキレウスの親友「パトロクロス」は、せめて自分が出陣して敵を追い払おうと、アキレウスに頼んでその鎧を借り、戦場へ向かいます。
アキレウスの鎧を見たトロイア勢は、彼が復帰したと思って恐れおののき、パトロクロスは大いに奮戦します。しかし最後は、アポロン神の加護を受けたヘクトールに討ち取られ、アキレウスの鎧も奪われてしまいます。
無二の親友を失ったことで、アキレウスの怒りの矛先は、アガメムノンからヘクトールへと完全に向き直ります。彼は母テティスから「ヘクトールを討てば、お前自身もまもなく死ぬ運命だ」と告げられますが、それでも復讐を選びます。
クライマックス ― アキレウスとヘクトールの一騎打ち
復讐を誓ったアキレウスのために、母テティスは鍛冶の神「ヘファイストス」に新しい鎧と楯を作らせます。大地・海・空や、平和な都市と戦う都市など、世界のあらゆる様子が精緻に描き込まれたこの「アキレウスの楯」の描写は、文学史上名高い場面です。
戦列に復帰したアキレウスは、怒りのままにトロイア勢をなぎ倒し、ついに城門の前でヘクトールと対峙します。一度は最強のアキレウスを前にして恐れ、城壁の周りを三度も逃げ回ったヘクトールでしたが、覚悟を決めて立ち向かい、激闘の末にアキレウスの槍に喉を貫かれて倒れます。
ヘクトールは死の間際、遺体を家族に返してほしいと懇願しますが、怒りの収まらないアキレウスはこれを拒みます。そしてヘクトールの遺体を戦車に縛りつけ、来る日も来る日もトロイアの城壁の周りを引きずり回して辱めました。
結末 ― 老王プリアモスの嘆願(第24歌)
物語の最後を飾るのは、感動的な和解の場面です。ヘクトールの父であるトロイアの老王「プリアモス」が、神々の導きのもと、たった一人で夜の敵陣に忍び込みます。そして息子を殺したアキレウスの前にひざまずき、その手に口づけして、息子の遺体の返還を懇願するのです。
故郷に残してきた自らの老父を思い出したアキレウスは、ついに怒りを鎮め、ともに涙を流して遺体を返します。こうして『イリアス』は、「英雄ヘクトールの盛大な葬儀」をもって静かに幕を閉じます。戦争の勝敗ではなく、英雄の怒りとその果ての和解で終わる——これが『イリアス』という原典の構成です。
『イリアス』を彩る名場面たち
『イリアス』は、アキレウスの怒りという一本の太い線を軸としながらも、その合間に、忘れがたい場面を数多く挟み込んでいます。原典を読む楽しみは、むしろこうした細部にあります。
- 船のカタログ(第2歌):ギリシア全土から集まった軍勢を、どの土地から何隻の船が来たかまで延々と列挙する一節。古代ギリシアの地理を伝える資料としても重視されます
- 城壁からの眺め=テイコスコピア(第3歌):トロイアの老臣たちに請われ、ヘレネが城壁の上から、平原のギリシアの将たち(アガメムノン、オデュッセウスら)を一人ずつ説明する場面。戦争の原因となった女性の目を通して敵将が紹介される、巧みな構成です。続いてパリスとメネラオスが一騎打ちを行いますが、敗れかけたパリスをアフロディテが霧で包んで救い出してしまいます
- ディオメデスの奮戦(第5歌):英雄ディオメデスが神がかりの働きを見せ、戦場に介入した女神アフロディテと軍神アレスにさえ傷を負わせるという、人間が神を打つ驚くべき場面
- ヘクトールとアンドロマケの別れ(第6歌):出陣するトロイアの英雄ヘクトールを、妻アンドロマケが幼子を抱いて城門に見送る、全篇でも屈指の感動的な場面。父の兜の輝きと馬毛の飾りに怯えて泣く幼子アステュアナクスに、ヘクトールが兜を脱いであやす――戦士の家庭のひとときが、来るべき悲劇を予感させます
- アガメムノンの使節(第9歌):苦境に陥ったアガメムノンが、オデュッセウスら使節を送り、ブリセイスの返還と莫大な贈り物で和解を申し出ますが、アキレウスはなお頑なに拒みます
- サルペドンの死(第16歌):ゼウス自身の子である英雄サルペドンが討たれる場面では、父ゼウスでさえ我が子の運命を覆せず、血の雨を降らせて嘆くのみでした。神々といえども「定め(モイラ)」には逆らえない、というギリシア的な世界観がにじみます
このように『イリアス』は、英雄たちの武勇だけでなく、神々の介入、家族の情愛、運命の重みを重層的に描くことで、単なる戦記を超えた人間の物語になっているのです。
叙事詩環が伝える「トロイの木馬」と落城
『イリアス』はヘクトールの葬儀で終わるため、有名な「トロイの木馬」や戦争の結末は、この原典には含まれていません。これらは「叙事詩環(エペイオス・キュクロス)」と呼ばれる、後世にまとめられた一連の作品群で語られます。
その後の展開は、おおよそ次のとおりです。
- アキレウスは、唯一の弱点であったかかと(アキレス腱の語源)をパリスの矢に射抜かれて命を落とす
- パリスもまた、毒矢を受けて死ぬ
- 知将オデュッセウスが、巨大な木馬の中に兵士を潜ませる「トロイの木馬」の計略を考案する
- トロイア軍は木馬を戦利品として城内へ運び込み、夜中に抜け出した兵士たちによって、難攻不落のトロイアはついに陥落する
こうして10年の戦争は、ギリシア軍の勝利に終わりました。そして、この戦争を生き延びた知将オデュッセウスの帰郷の物語が、次の原典『オデュッセイア』へと続いていきます。
登場キャラクターの強さは? ― 最強ランキング
本記事に登場した神々・英雄は、「神話・宗教・伝説 最強ランキング」でも強さ順に紹介しています。原典での活躍と、その「強さ」をあわせてお楽しみください。
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まとめ
本記事では、ホメロスの叙事詩『イリアス』を、その記述の流れに沿って詳しく解説しました。如何だったでしょうか。
『イリアス』は、全24歌を通して英雄アキレウスの「怒り」という一つの主題を描き、戦争における名誉・友情・死、そして敵味方を超えた和解を描く原典でした。
次回の記事③では、同じくホメロスの叙事詩で、トロイア戦争後のオデュッセウスの帰郷を描く『オデュッセイア』を解説していきます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
📚 シリーズ:ギリシア神話の原典解説(3/5)