当サイトを閲覧いただきありがとうございます。本記事は、道教の原典を解説するシリーズの第1弾です。
今回は、道教(および道家思想)の根本にして最重要の経典『道徳経(どうとくきょう)』と、その著者とされる伝説の賢人「老子(ろうし)」を見ていきます。
道教の原典全体の見取り図については、以下のまとめ記事を参照してください。
老子とは ― 謎に包まれた賢人
「老子」は、道教で最も重んじられる人物ですが、その実像は深い謎に包まれています。
歴史家・司馬遷の『史記』によれば、老子は本名を「李耳(りじ)」といい、春秋時代の周王朝の蔵書を管理する役人だったとされます。儒教の祖である孔子とほぼ同時代の人で、若い孔子が老子に教えを請うたという伝説も残っています。
最も有名なのが、その去り際の逸話です。周の衰えを見た老子は、牛に乗って西方へ旅立とうとします。国境の関所にさしかかったとき、その人物の偉大さを見抜いた関所の役人が、「どうか、去る前にあなたの教えを書き残してください」と懇願しました。そこで老子が記したのが、約5000字からなる『道徳経』だった――と伝えられます。そして老子は、それきり姿を消し、その後の行方は誰も知らないとされます。
ただし、現代の研究では、老子が実在の一人の人物だったかは疑問視されており、『道徳経』は長い時間をかけて成立したとも考えられています。いずれにせよ、この書が中国思想に与えた影響は計り知れません。
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『道徳経』の構成
『道徳経』は、わずか約5000字・81章という短い書物です。古くは単に『老子』とも呼ばれました。全体は大きく2つの部分に分かれます。
| 部 | 章 | 中心テーマ |
|---|---|---|
| 上篇「道経」 | 第1〜37章 | 万物の根源である「道」とは何か |
| 下篇「徳経」 | 第38〜81章 | 道に従って生きる「徳」のあり方 |
この「道」と「徳」の2文字をとって、『道徳経』と呼ばれます。短いながら、一句一句が詩のように凝縮され、読むたびに解釈の広がる、汲めども尽きぬ深さを持っています。
地中から現れた最古の『老子』
『道徳経』がどんな姿で伝わってきたのかも、近年の発掘で大きく書き換えられました。20世紀後半、中国で2つの重要な古写本が出土したのです。
一つは、湖南省の馬王堆(まおうたい)漢墓から出た、前漢初期の絹に書かれた写本「帛書(はくしょ)老子」です。驚くべきことに、これは現行本と逆に「徳経」が「道経」より前に置かれており、本来は『徳道経』と呼ぶべき形だった可能性を示しました。もう一つは、湖北省の郭店(かくてん)楚墓から出た、戦国時代中期(前4世紀頃)の竹簡(ちくかん)老子で、現存最古の『老子』です。
これらの出土文献は、現行本より儒教を激しく否定する調子が弱いなど、テキストが時代とともに変化してきたことを物語ります。『道徳経』が一人の老子によって一度に書かれたのではなく、長い時間をかけて練り上げられてきたという見方を、原典そのものが裏づけているのです。
道(タオ)― 名づけえぬ万物の根源
老子の思想の中心が、書名にもなっている「道(タオ)」です。
ここでいう道とは、単なる「道路」や「道徳」ではありません。この世界のすべてを生み出し、すべてを貫いている、根源的な何かを指します。天地が生まれる前から存在し、万物をはぐくみながら、自らは主張せず、姿も形もない――それが道です。
『道徳経』は、その冒頭で有名な一句を掲げます。
道の道とすべきは、常の道に非ず(道可道、非常道)
これは「“これが道だ”と言葉で説明できるような道は、もはや本当の永遠の道ではない」という意味です。真の根源は、言葉や概念では捉えきれない。名づけたとたん、その本質はこぼれ落ちてしまう――。老子は、人間の言葉や理屈を超えたところに、世界の真理があると説いたのです。
無為自然 ― 為さずして、為す
道に従って生きるとはどういうことか。それを示すのが、老子の思想で最も有名な「無為自然(むいしぜん)」です。
「無為」とは、「何もしない怠惰」ではありません。人間の小賢しい作為やはからいを捨て、自然のなりゆきに身をまかせることを意味します。川の水が高い所から低い所へ自然に流れるように、無理に逆らわず、あるがままに任せる。すると、かえって物事はうまく運ぶ――。老子はこれを「無為にして、為さざるは無し(何もしないようでいて、成し遂げられないことはない)」と表現しました。
これは、何でも力ずくで解決しようとし、規則やはからいで世を治めようとする生き方への、根本的な批判でもありました。
無の用 ―「何もない」ことの働き
老子は、私たちが見落としがちな「無(何もないこと)」の価値にも光を当てます。これを示す、有名な3つのたとえがあります。
- 車輪:30本の輻(や)が中心の軸受けに集まって車輪になるが、役に立つのは、軸を通す中心の「何もない穴」があるからだ
- 器:粘土をこねて器を作るが、物を入れられるのは、中の「何もない空間」があるからだ
- 部屋:壁や戸を作って部屋にするが、住めるのは、中の「何もない空間」があるからだ
つまり、目に見える「有る」部分が役立つのは、目に見えない「無い」部分の働きがあってこそ――。「有が利益をもたらすのは、無が働いているからだ」と老子は説きます。役に立つもの(有用)ばかりに目を奪われがちな私たちに、その背後で支える「無」「余白」「静けさ」の大切さを気づかせてくれる、深い洞察です。
老子の有名な教え
『道徳経』には、現代にも通じる珠玉の言葉が数多くあります。代表的なものを紹介します。
上善は水の如し
上善は水の如し(上善若水)
最高の善(理想の生き方)は、水のようなものだ、という意味です。水は、あらゆるものに恵みを与えながら、決して争わず、誰もが嫌う低い場所へと自ら進んでいく。この「低きに身を置き、争わない」謙虚で柔軟な水の姿こそ、道に最も近い生き方だと老子は説きました。
柔よく剛を制す
老子は、柔らかく弱いものこそ、堅く強いものに勝つ(柔弱は剛強に勝つ)と繰り返し説きます。堅い木は強風で折れますが、しなやかな柳は風になびいて折れません。歯は硬いから抜け落ちるが、舌は柔らかいから最後まで残る――。しなやかさ・柔らかさの中にこそ、本当の強さがあるという逆説の知恵です。
足るを知る
足るを知る者は富む(知足者富)
どれだけ財産があっても満足を知らなければ貧しく、わずかでも満足を知る者こそ真に豊かである、という教えです。際限のない欲望を戒め、今あるもので満ち足りることの大切さを説いています。
小国寡民
老子が理想とした社会が「小国寡民(しょうこくかみん)」です。国は小さく、民は少なく、人々が素朴に満ち足りて暮らす――文明の便利さや、隣国との競争に心を乱されることなく、生まれた土地で静かに一生を終える。そんな、作為のない素朴な共同体を、老子は理想として描きました。
大道廃れて仁義あり
老子は、儒教が重んじる「仁義(思いやりと正義)」といった道徳をも、鋭く相対化します。
大道廃れて仁義あり(大道廃、有仁義)
これは「人々がごく自然に道に従って生きていた頃は、わざわざ“仁義”などと唱える必要はなかった。仁義が声高に説かれるのは、かえって本来の道が失われた証拠だ」という、痛烈な逆説です。同様に、「親孝行」が美徳として称えられるのは家族の仲が乱れたからであり、「忠臣」が讃えられるのは国が乱れたからだ、と老子は説きます。道徳を声高に掲げることへの根本的な懐疑は、儒教との大きな違いとなりました。
知る者は言わず
知る者は言わず、言う者は知らず(知者不言、言者不知)
本当に道を知っている者は、軽々しく語らない。やたらと語りたがる者は、実はわかっていない――。冒頭の「道の道とすべきは、常の道に非ず」と響き合う、言葉への深い慎みを説いた一句です。雄弁や知識のひけらかしを戒める言葉として、今も広く引かれます。
なお、「千里の道も一歩から(千里の行も足下より始まる)」「大器晩成」「天網恢恢、疎にして漏らさず(天の網は広く目が粗いようでいて、悪を取り逃がさない)」といった、私たちが日常で使うことわざの多くも、実はこの『道徳経』に由来しています。
老子と儒教 ― 中国思想の二大潮流
老子の思想は、ほぼ同時代に説かれた孔子の儒教と、しばしば対比されます。両者は、その後の中国思想の二大潮流となりました。
| 儒教(孔子) | 道家(老子) | |
|---|---|---|
| 理想 | 仁義・礼による秩序ある社会 | 無為自然・あるがままの生き方 |
| 重んじるもの | 学問・道徳・社会的な務め | 素朴さ・自然・個人の内面の自由 |
| たとえ | 社会を整える「向上」の道 | 力を抜く「脱力」の道 |
面白いことに、中国の人々はこの2つを対立させるのではなく、使い分けてきたとよく言われます。「世に出て働くときは儒教(=がんばる)、挫折し疲れたときは老荘(=力を抜く)」というように、両者は中国人の精神の両輪となりました。さらに老子の思想は、後の禅(仏教との融合)や、水墨画・庭園・詩といった東アジアの芸術にも、計り知れない影響を与えています。
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まとめ
本記事では、道教の根本経典『道徳経』と老子の思想を詳しく解説しました。如何だったでしょうか。
謎の賢人・老子が説いたのは、言葉を超えた万物の根源「道」と、それに従って作為を捨てて生きる「無為自然」の思想でした。「上善は水の如し」「柔よく剛を制す」「足るを知る」といった言葉は、競争に疲れた現代人の心にも、静かに響きます。
次回の記事②では、この老子と並ぶ道家のもう一人の大家、「荘子」の、自由でユーモラスな思想を解説していきます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
📚 シリーズ:道教の原典解説(2/5)