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【世界のパラドックス】合成の誤謬 ─ 個人の正解が全員でやると不正解になる

【世界のパラドックス】合成の誤謬 ─ 個人の正解が全員でやると不正解になる

当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「合成の誤謬」について解説します。

「個人にとって正しいことが、全員でやると全員にとって間違いになる」、これは論理の誤りなのか、それとも世界の仕組みがそうなっているのか。日常生活に驚くほど多くの実例がある、身近で重要なパラドックスです。

図解

合成の誤謬とは

合成の誤謬とは、部分について正しいことが、全体についても正しいとは限らないという論理的な誤りのことです。

最もシンプルな例はスタジアムの観客です。1人だけ立ち上がれば、その人は周りよりよく見えますが、全員が立ち上がれば、誰も座っていた時以上には見えないのに、全員が立ちっぱなしで疲れるだけです。

1人にとっては合理的だった「立ち上がる」という行動が、全員がやると全員にとって不合理な結果になる。合成の誤謬の典型的なパターンだと言えます。

古典的な論理学における定義

合成の誤謬は古くはアリストテレスの時代から知られている非形式的誤謬です。形式論理学では「∀x P(x)ならばP(全体)」は必ずしも成立しないという原則ですが、日常の推論ではこの誤りに驚くほど頻繁に陥ります。

典型的な誤った推論の例が「このチームの選手は全員優秀だ。だからこのチームは優秀だ」という言い方です。個々の選手が優秀でもチームワークが悪ければチームとして機能しないことは、スポーツでもビジネスでもよくある話です。

経済学における実例

合成の誤謬が最も深刻に現れるのは経済の世界です。ケインズ経済学はその多くがこのパラドックスへの対処と言っても過言ではありません。

不況時の貯蓄:不況の時に個人が支出を抑えて貯蓄するのは賢い判断ですが、全員が同時に貯蓄に走ると、消費が激減し、企業の売上が落ち、失業が増え、経済全体が悪化します。これは倹約のパラドックスとも呼ばれます。

【世界のパラドックス】倹約のパラドックス ─ 皆が節約すると経済全体が貧しくなるsenkohome.com/paradox-thrift/

銀行の取り付け騒ぎ:銀行が危ないという噂を聞いて預金を引き出すのは、個人としては合理的です。しかし全員が同時に引き出そうとすると、銀行は実際に破綻してしまいます。2007年9月、金融危機の初期にイギリスのノーザン・ロックで実際に取り付け騒ぎが起き、1866年以来約140年ぶりの事態となりました。

就活での資格取得:差別化のためにTOEICや資格を取得するのは個人としては有利ですが、全員が同じ資格を持つようになると、差別化の効果は消え、資格取得に費やした時間とコストが無駄になります。経済学ではこれを「シグナリングの軍拡競争」と呼ぶことがあります。

なぜこの誤謬が生じるのか

合成の誤謬が生じる根本的な原因は、個人の行動が周囲に影響を与える(外部性がある)からです。

1人が貯蓄しても経済全体への影響は微小ですが、数百万人が同時に貯蓄すると、その影響は甚大です。個人が自分の行動の「全体への影響」を考慮せずに(できずに)判断しているため、部分的に正しい判断が全体で裏目に出るのではないでしょうか。

日常でも起きている

合成の誤謬は日常生活の至る所に存在します。

渋滞を避けるために裏道を使う人が増えると、裏道も渋滞します。混雑を避けて時間をずらして行動しても、みんなが同じことを考えれば結局同じ時間に集中します。

感染症が流行しているときにマスクを買い占めるのは個人的には合理的ですが、全員が買い占めると本当に必要な人に行き渡らなくなります。

「自分一人くらいなら大丈夫」という思考は、全員がそう考えたときに崩壊します。

共有地の悲劇との関係

合成の誤謬は「共有地の悲劇」と密接に関連しています。共有の牧草地で各農民が合理的に自分の羊を増やす行動は、全員がやると牧草地の枯渇を招きます。これも個人合理性と集団合理性の衝突です。

【世界のパラドックス】コモンズの悲劇 ─ 全員が合理的に行動すると全員が損をするsenkohome.com/paradox-tragedy-of-commons/

両者の違いは、合成の誤謬が「部分から全体への推論の誤り」という論理的構造に焦点を当てるのに対し、共有地の悲劇は「共有資源の枯渇」という結果に焦点を当てている点です。根底にある構造は同じですが、見る角度が異なります。

対策はあるのか

合成の誤謬は個人の自由意志だけでは解決が難しいため、「全体のルール」を設けることで対処することが多いです。

銀行の取り付け騒ぎに対しては預金保険制度が、不況時の消費減退に対しては財政政策や金融政策が、買い占めに対しては購入制限が、それぞれ合成の誤謬を防ぐ仕組みとして機能しています。

ゲーム理論の言葉で言えば、合成の誤謬が発生する状況はナッシュ均衡がパレート最適と一致しないゲームです。各プレイヤーが最善の戦略を取った結果が、全員にとって最善の結果ではない。この場合、外部からの介入(制度設計)によって均衡を移動させることが合理的な解決策となります。

個人と集合の逆説

合成の誤謬と同じく個人の合理性が集団の不利益を招く関連パラドックスです。

逆向きの誤りもある

合成の誤謬には対になる誤りがあります。分割の誤謬です。

合成の誤謬:部分について成り立つことを、全体についても成り立つと考える ・分割の誤謬:全体について成り立つことを、部分についても成り立つと考える

2つの誤りの対比

合成の誤謬分割の誤謬
向き部分から全体へ全体から部分へ
選手が優秀ならチームも優秀強豪チームの選手だから優秀
一人が背伸びすればよく見える平均年収が高い会社の社員は高収入
各社が値下げすれば売れる成長産業だからこの企業も成長する

どちらも部分と全体の性質が自動的に引き継がれると思い込むところから生じます。

投資の判断でよく見かけるのが表の最終行です。産業全体が伸びていても、その中で負けている企業は当然あります。全体の傾向を個別の銘柄に当てはめると、この誤りに陥ります。

創発という考え方

部分の性質が全体に引き継がれない現象は、誤りとしてだけでなく、積極的な概念としても整理されています。創発と呼ばれるものです。

要素を組み合わせたときに、どの要素も持っていなかった性質が現れることを指します。

水の性質:水素も酸素も燃える気体だが、組み合わせると火を消す液体になる ・アリの巣:一匹一匹は単純な規則で動くのに、全体では複雑な構造ができる ・意識:個々の神経細胞に意識はないが、集まると意識が生じるとされる ・渋滞:どの運転手も止まろうとしていないのに、流れが止まる

合成の誤謬は「引き継がれると思ったのに引き継がれなかった」という失敗の話ですが、創発は「引き継がれないからこそ新しいものが生まれる」という肯定的な見方になります。

同じ現象を、期待が外れた側から見るか、新しさが生まれた側から見るかの違いだと言えます。

部分を全部理解しても全体は分からない。この事実は、経済学でも生物学でも計算機科学でも、繰り返し確認されてきたことです。合成の誤謬は、その最も身近な入口になっていると思います。

論争の場で見かける形

合成の誤謬は、抽象的な論理学の話にとどまらず、実際の議論のなかで頻繁に顔を出します。

「この部品はすべて安全だから、製品も安全だ」:部品同士の組み合わせで生じる不具合が抜けている ・「優秀な社員を集めたから、強いチームになる」:役割の重複や調整コストが計算に入っていない ・「一つひとつの支出は少額だから、予算は問題ない」:積み上げた総額を見ていない ・「各工程を最速にしたから、全体も最速だ」:工程間の待ち時間が無視されている

いずれも部分に成り立つ性質が、そのまま全体にも移ると仮定している点が共通しています。

移る性質と移らない性質

すべての性質が移らないわけではありません。見分ける手がかりがあります。

性質の種類全体へ移るか
素材に関する性質全部が鉄製なら、全体も鉄製移る
量を足し合わせる性質各部の重さの合計が全体の重さ移る
相互作用で決まる性質安全性、速度、安定性移らないことがある
比率や順位の性質シェア、順位、割合移らない

要素同士が影響し合う場面ほど、部分の性質は全体に移らなくなります

議論のなかで「だから全体も」という接続が出てきたら、そこで扱われている性質が上の表のどちらに近いかを確かめる。それだけで、かなりの誤りを防げます。私も議論の場ではこの確認を挟むようにしています。

社会的ジレンマの関連パラドックス

合成の誤謬と同じく、部分の合理性が全体の不合理を生む関連パラドックスです。

まとめ

本記事は「合成の誤謬」について解説しました。如何だったでしょうか。

部分にとって正しいことが全体にとって正しいとは限らない。このシンプルだけど見落としやすい原則は、経済政策から日常生活まで、あらゆる場面で意識しておくべき重要な考え方です。

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