当サイトを閲覧いただきありがとうございます。本記事は、イスラム教の原典を解説するシリーズの第6弾(最終回)です。
これまで、神の言葉そのものである聖典クルアーン(記事①)、信仰の六信(記事②)、実践の五行(記事③)、預言者の物語(記事④)、終末と来世(記事⑤)を解説してきました。最終回となる今回は、クルアーンに次ぐ第二の原典「ハディース」と、そこから導かれるイスラム法、そして諸宗派について詳しく見ていきます。
イスラム教の原典全体の見取り図については、以下のまとめ記事を参照してください。
ハディースとは ― 預言者の言行の記録
クルアーンは神の言葉そのものですが、そこには日常生活の細部まで、すべてが具体的に書かれているわけではありません。
たとえば、五行の一つである礼拝も、クルアーンは「礼拝を守れ」と命じますが、1日に何回、どんな所作で、何を唱えて行うのかといった具体的な方法までは詳しく記していません。断食や巡礼の細かな作法も同様です。では、ムスリムはそれをどこから知るのでしょうか。
その答えが「ハディース」です。ハディースとは、預言者ムハンマドが「何を言い、何を行い、何を認めたか」を記録した伝承です。ムハンマドは神の啓示を最もよく体現した人物ですから、その言行こそが、クルアーンを正しく実践するための生きた手本となります。実際、ムスリムが行う礼拝の具体的なやり方は、クルアーンではなく、ハディースが伝えるムハンマドの所作に基づいているのです。
両者の関係を整理すると、次のようになります。
| 原典 | 何か | 役割 |
|---|---|---|
| クルアーン | 神アッラーの言葉そのもの | 絶対的な根本。何を信じ、何をすべきかの原則 |
| ハディース | 預言者ムハンマドの言行の記録 | クルアーンを補い、具体的な実践方法を示す |
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スンナ ― ムハンマドの模範
ハディースと密接に結びつくのが「スンナ」という言葉です。
スンナとは、ハディースを通じて伝えられる「預言者ムハンマドの模範的な生き方・慣行」そのものを指します。ハディースが「個々の伝承(記録)」だとすれば、スンナはそこから浮かび上がる「ムハンマドという理想の範例」です。
ムスリムにとって、ムハンマドの生き方に倣うことは信仰の重要な一部です。礼拝や断食の作法はもちろん、人との接し方、商売の倫理、身だしなみに至るまで、「預言者ならどうしたか」を基準に行動することが理想とされます。クルアーン(神の言葉)とスンナ(預言者の模範)――この2つが、イスラム教徒の信仰と法を支える二大根拠となるのです。
ハディースは何を語るのか ― 名高い言葉から
ハディースが具体的にどんな言葉なのか、よく知られたものをいくつか味わってみましょう。法律的な規定だけでなく、心のあり方を説く、簡潔で力強い言葉が数多く伝えられています。
- 「行いは、ただ意図によって(評価される)」――最も有名なハディースの一つで、ブハーリーの集成の冒頭に置かれます。同じ行為でも、その動機が何であったかによって意味が変わる、という教えです
- 「あなたがた一人ひとりは、自分自身のために望むことを、兄弟のためにも望むのでなければ、本当に信じたことにはならない」――他者への思いやりを説く、いわばイスラム版の「黄金律」です
- 「学問を求めることは、すべてのムスリムに課せられた義務である」――イスラム世界が中世に学問を花開かせた精神的な背景ともされます
- 「楽園は母たちの足元にある」――母を敬うことの大切さを、鮮やかな比喩で説いた言葉です
こうした言葉が、千年以上にわたって暗記され、引用され、人々の暮らしの指針となってきました。ハディースは、クルアーンの荘厳な「神の言葉」を、日々の具体的な生き方へと翻訳する役割を果たしてきたのです。だからこそ、次に見るように、その一つひとつが本物かどうかが厳密に問われることになりました。
ハディースの信頼性 ―「誰が伝えたか」の鑑定
ここで大きな問題が生じます。ムハンマドの言行は、彼の死後、口から口へと伝えられるうちに膨大な数にふくれあがり、中には捏造された偽の伝承も数多く混じってしまったのです。権力者が自らに都合よく作った偽ハディースなども現れました。
そこで、どれが本物かを見極めるため、イスラム世界では精密な「ハディース学」が発達しました。その鑑定の鍵となったのが「イスナード(伝承経路)」です。
ハディースは、本文(ムハンマドの言葉=マトン)の前に、必ず「Aは言った、BがCから聞いたところによると…」という伝承者の連鎖(イスナード)が付されます。学者たちは、この鎖に登場する一人ひとりについて、実在したか、信頼できる人物か、記憶は確かだったか、連鎖は途切れていないかを徹底的に調べ上げました。そのために、何千人もの伝承者の経歴・人物評を記録した「人物評価学」まで発達したほどです。
その結果、ハディースは信頼性に応じて格付けされます。
| 等級 | 意味 |
|---|---|
| 真正(サヒーフ) | 伝承経路が完全で、信頼できる最高ランク |
| 良好(ハサン) | やや劣るが、おおむね信頼できる |
| 弱い(ダイーフ) | 伝承経路に問題があり、根拠としては弱い |
| 捏造(マウドゥー) | 偽作とされ、退けられる |
この「情報を、誰が伝えたかという経路で科学的に検証する」という手法は、イスラム文明が生んだ独自の学問であり、歴史学の発展にも影響を与えたと言われています。
六大ハディース集 ― 信頼できる伝承の集大成
9世紀以降、学者たちは厳密な鑑定をくぐり抜けた信頼できるハディースを集め、編纂しました。スンナ派で特に権威があるとされるのが「六大ハディース集(クトゥブ・アッ=シッタ)」です。
| ハディース集 | 編者 | 位置づけ |
|---|---|---|
| サヒーフ・ブハーリー | ブハーリー | 最も権威ある真正集 |
| サヒーフ・ムスリム | ムスリム | ブハーリーに次ぐ真正集 |
| スナン・アブー・ダーウード | アブー・ダーウード | 法に関する伝承を重視 |
| ジャーミウ・ティルミズィー | ティルミズィー | 各伝承の評価も併記 |
| スナン・ナサーイー | ナサーイー | 厳密な選別で知られる |
| スナン・イブン・マージャ | イブン・マージャ | 六大集の一つに数えられる |
中でも最初の2つ――「サヒーフ・ブハーリー」と「サヒーフ・ムスリム」は、「二大真正集(サヒーハイン)」と呼ばれ、クルアーンに次ぐ最高の権威を持つとされます。ブハーリーは、集めた何十万もの伝承の中から、厳格な基準を満たすごく一部だけを採録したと伝えられ、その慎重さがうかがえます。
シャリーア ― イスラム法
クルアーンとスンナ(ハディース)から導き出される、ムスリムの生き方の総体が「シャリーア(イスラム法)」です。
シャリーアは、単なる「法律」よりはるかに広い概念です。礼拝や断食といった宗教儀礼から、結婚・離婚・相続・商取引・刑罰、さらには食べてよいもの(ハラール)と禁じられたもの(ハラーム)まで、人生のあらゆる側面をカバーする「神が定めた正しい生き方」とされます。元の言葉は「水場へ至る道」を意味し、人が歩むべき道を示すものというニュアンスを持ちます。
では、クルアーンやハディースに直接書かれていない新しい問題が起きたとき、どう判断するのでしょうか。そのためにイスラム法学では、主に4つの法源が用いられます。
クルアーンとスンナに直接の答えがある場合はそれに従い、ない場合は学者の合意(イジュマー)や、既存の規定からの類推(キヤース)によって判断を導きます。こうした法解釈を行う学問を「フィクフ(法学)」と呼びます。
四大法学派 ― 解釈の多様性
法源は同じでも、その解釈の仕方には幅があります。そのため、スンナ派の中では歴史的に4つの主要な法学派(マズハブ)が発展しました。
| 法学派 | 特徴 | 主な分布 |
|---|---|---|
| ハナフィー派 | 理性的判断を比較的重視。最も信者が多い | トルコ・中央アジア・南アジア |
| マーリキー派 | メディナの慣行を重んじる | 北アフリカ・西アフリカ |
| シャーフィイー派 | 法源の体系化を進めた | エジプト・東南アジア |
| ハンバリー派 | クルアーンとハディースに厳格 | サウジアラビアなど |
重要なのは、これらの法学派は互いに対立する「宗派」ではないという点です。いずれも正統なスンナ派の学派として認め合っており、地域や時代によってどの学派が主流かが異なるだけです。同じ問題でも学派によって細かな判断が違うことがありますが、それはイスラム法が持つ柔軟性と多様性の表れと言えます。なお、後述するシーア派は、独自の「ジャアファル法学派」を持ちます。
スンナ派とシーア派 ― 後継者をめぐる分裂
最後に、イスラム教の二大潮流「スンナ派」と「シーア派」について解説します。両者が分かれた原因は、教義そのものよりも、「ムハンマドの後継者は誰か」という問題でした。
西暦632年、預言者ムハンマドが、明確な後継者を指名しないまま世を去ります。共同体(ウンマ)を誰が導くのかをめぐって、人々の考えは2つに分かれました。
一方は、「共同体が選んだ、ふさわしい有力者が後継者(カリフ)になればよい」と考えました。彼らはムハンマドの盟友「アブー・バクル」を初代カリフに選びます。この立場が、ムハンマドの慣行(スンナ)に従う者という意味で「スンナ派」と呼ばれ、現在ムスリム全体の約85%を占める多数派です。続くウマル・ウスマーン・アリーまでの4人は、スンナ派から「正統カリフ」と呼ばれ、模範的な時代とされます。
もう一方は、「後継者は、ムハンマドの血を引く者でなければならない」と考えました。彼らが正統な後継者と見なしたのが、ムハンマドの従弟であり娘婿でもある「アリー」です。この「アリーの党派」を意味する言葉から「シーア派」と呼ばれ、現在のムスリムの約15%を占めます。イランやイラクに多く分布します。
アリーは後に第4代カリフとなりますが、争いの中で暗殺されてしまいます。さらにアリーの子「フサイン」が、680年のカルバラーの戦いで悲劇的に殺害されたことは、シーア派にとって決定的な出来事となりました。この殉教を悼む行事は、今もシーア派の最も重要な宗教行事の一つです。
シーア派では、ムハンマドの血を引く特別な指導者を「イマーム」と呼び、神に導かれた無謬の存在として敬います。アリーを初代とし、12人のイマームを認める「十二イマーム派」が、シーア派の最大の潮流です。
とはいえ、両派の違いを過度に強調すべきではありません。唯一神アッラー、聖典クルアーン、預言者ムハンマド、六信五行といった信仰の根本は、両派が共有しているからです。
スーフィズム ― 内面の道
宗派とは別に、イスラム教には「スーフィズム(イスラム神秘主義)」という、信仰の内面を深く追求する流れもあります。
スーフィズムは、法(シャリーア)の外形的な実践だけでなく、神への愛と、神との一体感を直接体験することを目指します。神の名を繰り返し唱える「ズィクル」や、独特の旋回舞踊などを通じて、心を清め、神に近づこうとします。
スーフィズムは、しばしば詩や音楽といった豊かな文化を生み出し、イスラム教を世界各地へ広める原動力にもなりました。スンナ派・シーア派の枠を超えて広がる、イスラム信仰のもう一つの深い側面と言えるでしょう。
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まとめ
本記事では、クルアーンに次ぐ第二の原典「ハディース」と、イスラム法シャリーア、四大法学派、そしてスンナ派・シーア派・スーフィズムを詳しく解説しました。如何だったでしょうか。
「ハディース」は預言者ムハンマドの言行の記録であり、その模範「スンナ」はクルアーンと並ぶイスラム教の二大根拠でした。そして、伝承を「誰が伝えたか」で厳密に鑑定するハディース学や、4つの法源・四大法学派からなるシャリーアといった、緻密な学問体系が築かれてきたことがおわかりいただけたかと思います。
これで、イスラム教の原典シリーズ全6記事が完結しました。神の言葉クルアーンから、六信・五行、預言者と終末、そしてハディースとイスラム法まで、イスラム教という原典の世界を深く味わっていただけたなら幸いです。
イスラム教以外にも、キリスト教(聖書)やインド・ギリシア・日本などの神話の原典を解説しています。全体の一覧は世界の神話・宗教の原典まとめからどうぞ。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
📚 シリーズ:イスラム教の原典解説(7/7)