当サイトを閲覧いただきありがとうございます。本記事は、イスラム教の原典を解説するシリーズの第4弾です。
これまで、聖典クルアーンの成り立ち(記事①)、信仰の柱「六信」(記事②)、実践の柱「五行」(記事③)を解説してきました。今回は、クルアーンが具体的にどのような物語を語っているのか――天地創造から、神が遣わした預言者たちの物語までを詳しく見ていきます。
イスラム教の原典全体の見取り図については、以下のまとめ記事を参照してください。
クルアーンの「物語」の特徴
本題に入る前に、クルアーンにおける物語の語られ方を押さえておきましょう。
前回(記事①)解説したように、クルアーンは時系列順に物語が進む書物ではありません。預言者たちの物語も、一か所にまとめて語られるのではなく、さまざまな章に断片的に、繰り返し登場します。同じアダムやモーセの物語が、文脈に応じて別々の章で何度も語られるのです。
そして、その語り口には一貫した目的があります。それは「神を信じた者は救われ、背いた者は滅びる」という教訓を伝えることです。物語の筋を楽しませることよりも、そこから何を学ぶかが重視されているのです。なお、これらの預言者の多くは、神から啓典を授かった者でもあります(律法・福音などの啓典については記事②で解説しています)。
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天地創造と、最初の人間アダム
クルアーンも、神による天地創造から世界が始まると語ります。神は天と地を六日間で創造したとされます。ただし聖書と違い、神が「疲れて七日目に休んだ」という記述はありません。神は疲れることのない全能の存在だからです。
そして神は、土(泥)から最初の人間「アーダム(アダム)」を造り、命を吹き込みました。神はアダムにあらゆる「ものの名前」を教え、天使たちよりも優れた知恵を授けたとされます。
神が天使たちに「アダムにひれ伏せ」と命じると、天使たちは従いました。しかし、炎から造られた高慢な存在「イブリース」だけが、「土から造られた者に、炎から生まれた自分がひれ伏せるものか」と拒みます。この高慢のため、イブリースは神に呪われて楽園を追われ、最後の審判の日まで人間を誘惑し続けることを誓った悪魔「シャイターン」となりました。これが、イスラム教における悪の起源です。
その後、アダムと妻も、シャイターンにそそのかされて禁じられた木の実を口にし、楽園から地上へ降ろされます。ただし、ここにキリスト教との大きな違いがあります。イスラム教では、アダムは自らの過ちを悔いて神に赦されたとされ、その罪が子孫に受け継がれるという「原罪」の考えはありません。人は生まれながらに罪を負っているのではなく、各自が自分の行いに責任を負う、と考えるのです。
ヌーフ(ノア)― 大洪水と方舟
預言者「ヌーフ」は、聖書のノアにあたります。
人々が神を忘れ、偶像を拝むようになった時代、ヌーフは長い年月にわたって人々に悔い改めを説き続けました。しかし人々はあざ笑い、彼に従ったのはごくわずかでした。そこで神は、ヌーフに巨大な「方舟」を造るよう命じます。
やがて大洪水が起こり、信じなかった者たちは滅び去りました。ヌーフと信仰を共にした者、そしてつがいの動物たちだけが方舟で生き延びます。クルアーンは、ヌーフの息子の一人が信仰を拒んで洪水に呑まれたという、聖書にはない印象的な逸話も伝えており、血縁よりも信仰が大切であるという教訓を強調しています。
イブラーヒーム(アブラハム)― 一神教の父
「イブラーヒーム」すなわちアブラハムは、イスラム教で最も重要な預言者の一人であり、純粋な一神教の体現者として深く敬われます。
若きイブラーヒームは、人々が偶像を拝む中で、ただ一人それに疑問を抱きました。クルアーンには、彼が父や民の偶像を打ち砕いた逸話が語られます。怒った人々が彼を巨大な炎に投げ込むと、神が「火よ、冷たくなれ、イブラーヒームには安全であれ」と命じ、炎は彼を傷つけませんでした。
イブラーヒームの物語は、イスラムの聖地や祭りと深く結びついています。
- 彼は息子「イスマーイール」とともに、メッカに聖殿「カアバ」を建てた(再建した)とされます。世界中のムスリムが向かって礼拝し、巡礼で訪れるカアバの起源です
- 妻ハージャルと幼子イスマーイールが砂漠で水を求めてさまよったとき、神が湧き出させたとされる「ザムザムの泉」は、今も巡礼者がその水を汲む聖なる泉です
- 神がイブラーヒームに「息子を生贄として捧げよ」と命じて信仰を試し、彼が従おうとした瞬間に神が止め、代わりに羊を捧げさせたという物語は、巡礼の「犠牲祭(イード・アル=アドハー)」の由来となりました
なお、この「息子の犠牲」の物語は聖書の「イサクの奉献」にあたりますが、イスラムでは捧げられかけた息子をイスマーイールとする伝承が主流です。アラブ人は、このイスマーイールの子孫とされています。
ユースフ(ヨセフ)― 最も美しい物語
クルアーンの中で、珍しく一つの章(第12章)にまとまった形で語られるのが、預言者「ユースフ」すなわちヨセフの物語です。クルアーン自身がこれを「最も美しい物語」と呼んでいます。
美しく聡明な少年ユースフは、父ヤアクーブ(ヤコブ)に特別に愛されたため、兄たちの激しい妬みを買いました。兄たちは彼を井戸に投げ込み、奴隷としてエジプトへ売り飛ばしてしまいます。
エジプトで仕えた家では、無実の罪を着せられて投獄されますが、ユースフには神から授かった「夢を解き明かす才能」がありました。やがて王(ファラオ)の見た「7頭の肥えた牛と7頭のやせた牛」の夢を、来たるべき7年の豊作と7年の飢饉の予兆だと解き明かしたことで、一気に国の宰相にまで取り立てられます。
予告どおり大飢饉が訪れると、食料を求めてエジプトへやって来たのは、かつて自分を売った兄たちでした。再会したユースフは、彼らを赦し、一族をエジプトへ呼び寄せます。神への信頼を失わず、苦難を乗り越え、最後には赦しによって家族を取り戻すこの物語は、忍耐と赦しの模範として愛されています。
ムーサー(モーセ)― エジプト脱出
「ムーサー」すなわちモーセは、クルアーンの中で最も多く言及される預言者です。その生涯は、聖書の出エジプト記と多くを共有します。
エジプトの王(ファラオ)が、イスラエルの民の男児を殺すよう命じた時代に生まれたムーサーは、籠に入れてナイル川に流され、皮肉にも王宮で育てられます。成人後、同胞をかばって争いに巻き込まれ、荒野へ逃れました。
ある日、ムーサーが山のふもとで火を見つけて近づくと、神がその火の中から語りかけ、預言者としての使命を与えます。神はムーサーに、杖が蛇に変わる奇跡などを授け、傲慢なファラオのもとへ行き、民を解放するよう命じました。
ファラオが拒むと、エジプトには次々と災いが下されます。ついに民を率いて脱出したムーサーが、追っ手に挟まれて海辺で行き詰まったとき、神の力で海が割れて道ができ、民は渡りきりました。追ってきたファラオの軍勢は、元に戻った海に呑み込まれて滅びます。その後、ムーサーは神から啓典「律法(タウラート)」を授かりました。
ダーウードとスライマーン(ダビデとソロモン)
預言者の中には、王として国を治めた者もいます。「ダーウード」すなわちダビデは、神から啓典「詩篇(ザブール)」を授かった王であり、美しい声で神を讃えたとされます。
その子「スライマーン」すなわちソロモンは、クルアーンでは並外れた知恵を持ち、動物の言葉を解し、ジン(精霊)や風さえも従えた偉大な王として描かれます。アリの言葉を聞き取ったり、ヤツガラシ(鳥)を使者にしてシバの女王と交流したりする逸話は、クルアーンならではの幻想的な彩りに満ちています。
マルヤムとイーサー(マリアとイエス)
クルアーンにおける「イーサー」すなわちイエスの扱いは、キリスト教との最も重要な違いを含むため、特に丁寧に見ておきましょう。
まず、その母「マルヤム(マリア)」は、クルアーンの中で名前で呼ばれる唯一の女性であり、一つの章(第19章)が彼女の名を冠しているほど深く尊ばれています。彼女は信仰篤い清らかな女性として、天使から「あなたは男の子を授かる」と告げられ、男性を知らないまま、神の言葉によって処女のままイーサーを身ごもったとされます。
イスラム教でも、イエスは偉大な預言者の一人として深く敬われます。生まれてすぐに揺り籠の中で語った、土から作った鳥に命を吹き込んだ、病人を癒やし死者を生き返らせた――こうした数々の奇跡も、すべて「神の許しによって」行ったものとして認められています。
しかし、決定的に異なる点が2つあります。
| 論点 | キリスト教 | イスラム教 |
|---|---|---|
| イエスの位置づけ | 神の子・神そのもの(三位一体) | 神に造られた人間・預言者の一人 |
| 十字架の死 | 十字架で死に、3日目に復活 | 十字架で死なず、神が天に引き上げた |
イスラム教は唯一神タウヒードの立場から、「神に子がある」という考えを受け入れません。イエスはあくまで神に造られた人間であり、神格化されることはありません。また、イエスは殺されたように見えただけで、実際には神が彼を天に引き上げて救った、とクルアーンは語ります。十字架の死と復活を信仰の核心とするキリスト教とは、ここで根本的に分かれるのです。なお、イエスは最後の審判が近づいた終わりの日に再び地上に現れる、とも信じられています。
ムハンマド ― 預言者の封印
そして、アダムに始まる長い預言者の系譜の最後に立つのが「ムハンマド」です。
イスラム教では、ムハンマドを「預言者の封印(最後の預言者)」と呼びます。彼の使命によって預言者の歴史は完成し、彼の後にはもう預言者は現れないとされます。ムハンマドが授かった啓示クルアーンは、それ以前のすべての啓典を完成させる、最後にして完全な神の言葉と位置づけられます。
ただし、ここでもムハンマドはあくまで「人間」であり、決して神格化されないことが強調されます。彼は崇拝の対象ではなく、神の言葉を完全に体現し、人々が見習うべき模範とされる存在です。その模範(スンナ)を伝える記録こそが、次の記事⑥で解説する「ハディース」なのです。
すべての預言者は、同じ一つの教えを伝えた
ここまで、アダムからムハンマドまで多くの預言者を見てきました。最後に、イスラム教における預言者観の最も重要な点を押さえておきましょう。それは、これら数多くの預言者は、みな同じ一つのメッセージを伝えたとされることです。
そのメッセージとは、「神は唯一であり、その神にのみ従え(タウヒード)」という、ただ一点に尽きます。アダムも、ノアも、アブラハムも、モーセも、イエスも、そしてムハンマドも――時代と場所こそ違え、全員が同じ唯一神から遣わされ、同じ教えを説いた、とイスラムは考えます。
この見方からすると、イスラム教は「ムハンマドが新しく始めた宗教」ではありません。むしろ、人類の最初から繰り返し説かれてきた本来の一神教が、時とともに人々によって歪められたり忘れられたりするたびに、新たな預言者が遣わされて立て直されてきた。そして最後にムハンマドが、その本来の教えを完全な形で回復した――というのが、イスラムの自己理解なのです。ユダヤ教・キリスト教の聖典や預言者を、イスラムが否定せず「同じ神からのもの」として敬うのも、この一貫した預言者観があるからです。同時に、それらの民が啓典の教えを正しく守れなかった、と考える点に、三宗教の微妙な関係も表れています。
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まとめ
本記事では、クルアーンが語る天地創造から、アダム・ノア・アブラハム・ヨセフ・モーセ・イエスといった預言者たちの物語を詳しく解説しました。如何だったでしょうか。
イスラム教の物語は、ユダヤ教・キリスト教と多くを共有しながらも、独自の理解を持っていました。原罪を認めない点、息子の犠牲をイスマーイールとする点、そしてイエスを神の子とせず預言者の一人とし、十字架の死を否定する点などは、イスラム教を理解するうえで重要な違いです。
次回の記事⑤では、クルアーンが繰り返し力強く語る「終末と最後の審判」、そして天国と地獄という来世の世界を、詳しく解説していきます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
📚 シリーズ:イスラム教の原典解説(5/7)