当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「ベルの宇宙船のパラドックス」について解説します。
2機の宇宙船を細い糸でつなぎ、まったく同じ加速をさせます。2機の間隔は変わらないのだから糸は無事なはずですが、正解は糸は切れるというものでしたし、この問題は、CERNの理論部門の研究者たちの多数派が間違えたという逸話つきで知られています。
2機の宇宙船をつなぐ糸
設定を確認します。
宇宙空間に、まったく同じ性能の宇宙船が2機、前後に並んで静止しています。2機のあいだは細い糸でつながれていて、糸はぴんと張った状態です。この糸は少しでも伸ばされると切れる、非常に脆いものだとします。
ここで2機に、まったく同じ加速の指令を出します。同時に発進し、同じ加速度で、同じ時間だけ加速します。地上の管制室から見て、2機の速度はどの瞬間も完全に一致しているように思います。
速度が同じなら、2機の間隔は変わりませんが、実際に、管制室から測る限り、間隔はずっと最初のままです。
では、糸はどうなるでしょうか。
CERNの研究者たちが間違えた
この問題を広めたのは、量子力学のベルの不等式で知られるジョン・スチュアート・ベルです。
彼は1976年の論文でこの問題を取り上げた際、印象的な逸話を書き残しています。CERNの理論部門の食堂でこの問題を出したところ、「糸は切れない」という答えが明確な多数派になったというのです。
理由も明快でした。2機の間隔は変わらないのだから、糸が伸ばされる理由がない、というものです。
ところが正解は糸は切れるでした。ベルはこの結果を、教育のあり方への警鐘として紹介しています。相対性理論を計算問題として解けるようになっても、何が起きているかを理解しているとは限らない、という趣旨です。
糸が切れる理由
なぜ切れるのか。鍵になるのは、糸が単なる線ではなく物質でできた物体であるということです。
物体が速く動くと、進行方向に縮んで見えます。ローレンツ収縮と呼ばれる現象です。速度が上がるほど、縮む度合いは大きくなります。
いま糸は加速して速くなっているので、「本来ならこの速度ではこの長さになるはず」という自然な長さが、どんどん短くなっていきます。
ところが糸の両端は宇宙船に固定されていて、その2機の間隔は変わりません。縮みたがっている糸が、縮ませてもらえない状態で引き伸ばされていることになるのだと思います。
速度が上がるほど、この無理は大きくなります。そしてどこかで糸の強度を超え、切れます。
「間隔が変わらない」ことが安全の理由ではなく、むしろ切れる原因になっていたということになります。糸が無事でいるためには、2機の間隔の方が縮んでいかなければなりませんでした。
宇宙船の側から見るとどうなるか
管制室ではなく、宇宙船に乗っている人の立場でも確かめておきます。
こちらから見ると、前の宇宙船がじりじりと遠ざかっていきます。同じ加速をしているはずなのに、2機の距離が開いていくのだと思います。
原因は同時性の相対性です。「同時に加速を始める」という管制室での同時は、動いている宇宙船から見ると同時ではありません。宇宙船の側から見ると、前の船の方が先に加速を始めたように見えます。
先に加速した船が前へ出るのですから、距離が開くのは当然ですし、糸は、その開いていく距離に引っ張られて切れます。
管制室から見れば「間隔は同じだが糸が縮みたがっている」、宇宙船から見れば「糸の長さは変わらないが間隔が開いている」となります。説明の言葉は違いますが、糸が切れるという結論は一致します。
剛体という概念が使えなくなる
このパラドックスが本当に示しているのは、相対性理論の世界では剛体という考え方が成り立たないということなのだと思います。
日常の感覚では、棒を押せば端から端までが一斉に動きますが、相対性理論では、力の伝わる速さも光速を超えられません。押した瞬間に反対側が動くような物体は存在できません。
物体が形を保ったまま加速するためには、実は後ろの部分が前の部分より強く加速する必要があります。前後で加速度が違わなければ、物体は必ず伸びるか縮むかしてしまいます。
ベルの問題では、2機の宇宙船が同じ加速をしています。これは形を保つ条件を満たしていないので、あいだの糸に無理がかかるのは避けられません。
糸を切らずに加速するには
では、どう加速させれば糸は無事なのでしょうか。答えははっきりしています。
後ろの船を強く加速させる
形を保ったまま加速する運動は、ボルン剛体運動と呼ばれます。条件は単純で、後ろの船が前の船より強く加速することです。
そうすると管制室から見た2機の間隔は、速度が上がるにつれて縮んでいきます。糸が縮みたがる分だけ間隔も縮むので、無理がかかりません。
| 加速のさせ方 | 前後の加速度 | 管制室から見た間隔 | 糸 |
|---|---|---|---|
| 同じ加速(ベルの設定) | 等しい | 変わらない | 切れる |
| ボルン剛体運動 | 後ろの方が大きい | 縮んでいく | 無事 |
| 前だけ強く加速 | 前の方が大きい | 広がる | より早く切れる |
宇宙船に乗っている人の側から見ると、ボルン剛体運動では2機の距離がずっと一定に保たれます。「乗っている人にとって形が変わらない」ことが、糸が無事でいる条件になるという形になります。
なお、この方式には限界もあります。船列が長くなるほど後ろの加速度を大きくする必要があり、ある長さを超えると後端に要求される加速度が無限大になってしまいます。長い物体を丸ごと加速させることには、原理的な上限が存在します。
専門家でも間違える理由
ベルの逸話が示すとおり、この問題は訓練を受けた人ほど引っかかります。理由はいくつか考えられます。
・ローレンツ収縮を見かけの現象と教わる:測り方の話だと理解していると、物が壊れるとは思わない ・剛体のイメージが抜けない:日常の直感では、物は形を保ったまま動くのが当たり前 ・同時の相対性を設定に適用し忘れる:公式としては知っていても、この場面で効くと気づきにくい ・問いが単純すぎる:計算するまでもないと判断して、直感で答えてしまう
公式を使える状態と、状況に当てはめられる状態は別物だということを、この問題は容赦なく突きつけてきます。
ローレンツ収縮は見かけではない
もうひとつ、この問題が持つ意義があります。
ローレンツ収縮は「そう見えるだけの錯覚」だと説明されることがあります。実際に縮むわけではなく、測り方の問題にすぎない、という受け止め方です。
ベルの宇宙船は、その理解が不十分であることを突きつけます。糸は本当に切れます。切れた糸は、どの立場から見ても切れています。錯覚で物は切れません。
長さの縮みは、応力という形で物質に実際の影響を及ぼす。この点をはっきりさせたことが、この思考実験の最大の価値だと思います。
なお、この問題を最初に発表したのはベルではなく、1959年のエドモンド・デュワンとマイケル・ベランです。ベルが取り上げたことで広く知られるようになりましたが、彼自身も先行研究があることを認めています。
この効果は実際に測れるのか
宇宙船で確かめるのは当分先の話ですが、まったく検証できない類の主張ではありません。
現実の乗り物の速度では、収縮量が原子の大きさよりはるかに小さく、糸にかかる応力は測定限界を大きく下回ります。日常の範囲で確かめる手立てはありません。
一方、光速に近い領域を扱う場所では事情が変わります。粒子加速器では、加速された粒子の集団が進行方向にどう広がるかを設計段階から計算に入れています。加速の仕方によって集団の形が変わることは、装置を動かすうえでの前提になっています。
また、高速で走る荷電粒子が周囲に作る電場も、進行方向に潰れた形に変形します。これは加速器の運転で日常的に観測されている効果です。
ベルの宇宙船そのものを再現した実験はありませんが、「速く動く物体は本当に縮み、それが物理的な影響を持つ」という部分は、間接的に何度も確かめられていることになります。
同じ加速をしているのに糸が切れるという結論は、私には同時性の相対性がいかに直感から遠いかを示す好例に思えます。
相対性理論の関連パラドックス
光速に近い世界では、長さや同時性についての日常的な感覚が通用しなくなる関連パラドックスです。
まとめ
本記事は「ベルの宇宙船のパラドックス」について解説しました。如何だったでしょうか。
間隔が変わらないのだから安全だ、という一見あたりまえの推論が外れます。理由は、糸の方が縮みたがっているのに縮ませてもらえないという一点にありました。
専門家の多数派が間違えたという逸話も含めて、慣れ親しんだ直感がどこで裏切られるのかを教えてくれる問題です。相対性理論を学び終えた人ほど一度は解いてみる価値があると思います。
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それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
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