思考実験

【有名な思考実験】光を追いかける少年 ─ 光に追いついたら、光は止まって見えるのか

【有名な思考実験】光を追いかける少年 ─ 光に追いついたら、光は止まって見えるのか

当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「光を追いかける少年」について解説します。

自転車で走りながら、隣を走る車を眺めると、車はゆっくり動いて見えます。同じ速さで並走すれば、相手は止まって見えるはずです。これは誰もが日常で経験していることだと思います。

では、光と同じ速さで走ったらどうなるでしょうか。光は止まって見えるのでしょうか

アインシュタインは、まだ10代のころにこの空想をしたと後に書き残しています。そして、この素朴な問いに誰も答えられないという事実が、10年後に物理学の土台を書き換えることになりました。

図解

16歳の空想

アインシュタインは晩年に書いた自伝的な文章の中で、16歳のころに次のような空想をしたと述べています(70歳のときに書かれたものです)。

もし私が光線を光速で追いかけたら、その光線は、空間的に振動しながらも静止している電磁場として観測されるはずだ。しかし、そのようなものは存在しないように思われる。経験に照らしても、マクスウェルの方程式に照らしてもそうである。

言い換えると、こういうことです。光をぴったり並走して追いかければ、光は自分に対して止まっているはずです。すると目の前には、波の形をしたまま、どこにも進まずに固まっている電磁場が見えることになります。

ところが、そんなものを見たという報告は一つもありませんし、電磁気学の方程式もそんな解を許しません。直感が導く答えと、理論が許す答えが食い違っているわけです。

なお、この回想は50年以上あとに書かれたものなので、実際に16歳のときどこまで明確に考えていたのかについては、科学史の研究者のあいだで議論があります。ただ、この矛盾がアインシュタインを長く悩ませたこと自体は、複数の記述から確かなこととされています。

二つの原理の板挟み

なぜこれが深刻な問題になるのか、もう少し丁寧に見ておきます。当時の物理学には、どちらも捨てがたい二つの柱がありました。

一つ目は電磁気学の方程式です。19世紀にマクスウェルがまとめたこの方程式は、電気と磁気の振る舞いを驚くほど正確に記述します。そしてこの方程式からは、電磁波は必ず一定の速さで伝わるという結論が出てきます。その速さを計算すると、測定されていた光の速さとぴたり一致しました。光は電磁波だったわけです。

大事なのは、この方程式に「止まっている電磁波」という解が存在しないことです。電場が変化して磁場を生み、その磁場の変化がまた電場を生む。この受け渡しがあるからこそ波は前へ進みます。止まった瞬間、電磁波は電磁波でなくなってしまいます。

二つ目は相対性原理です。これはガリレオまで遡る古い原則で、どの慣性系にいても、物理法則は同じ形をしているというものです。等速で動く船の船室では、外を見ない限り自分が動いているかどうか分かりません。

さて、この二つを両立させようとすると困ります。もし光に追いついて静止した光が見えるなら、その人の系では電磁気学の方程式が成り立っていないことになります。すると、方程式が成り立つ系と成り立たない系が生まれ、相対性原理が壊れます。

逃げ道だったエーテル

当時の物理学が用意していた答えは、「エーテル」という仮想の媒質でした。

音が空気を伝わるように、光にも伝わるための媒質があるはずだ。宇宙全体を満たすその媒質をエーテルと呼び、光の速さとは「エーテルに対する速さ」のことだと考えたのです。

この考え方なら、少年の疑問にも答えが出せます。エーテルに対して光速で走れば、確かに光は止まって見えるだろう。ただしそれは特別な状態であって、そのとき方程式が普通の形をしていなくても構わない、というわけです。

しかし、この逃げ道には代償がありました。エーテルが存在するなら、その中を秒速30キロメートルで公転している地球にはエーテルの風が吹いているはずです。風上へ進む光と風下へ進む光では、往復にかかる時間がわずかに違うはずでした。

1887年に行われた精密な実験は、この差を検出しようとしました(マイケルソンとモーリーによる、有名なあの実験です)。結果は何も見つからないというものでした。装置の精度は十分だったのに、差はゼロだったのです。

10年後に出た答え

1905年、特許庁の職員だったアインシュタインは、この問題を根本から片付ける論文を発表します。彼が取った方針は、追加の仕組みを考えることではありませんでした。

「光に追いつくことはできない」を、説明すべき謎ではなく、出発点の前提にしてしまう。彼が取ったのは、この一手でした。論文は、二つの原理を置くところから始まります。

  1. 相対性原理:どの慣性系でも物理法則は同じ形をとる
  2. 光速度不変の原理(光源の運動によらないという主張):真空中の光の速さは、光源が動いていても、観測者が動いていても、どの慣性系でも同じ値になる

二つ目が異様な主張です。時速100キロの車から時速50キロでボールを投げれば、地上から見て時速150キロになります。ところが光は、どんな速さで走りながら測っても、同じ速さで遠ざかっていくというのです。

これを認めた瞬間、少年の疑問は消えます。光を追いかけても、光は常に同じ速さで先へ行きます。並走した状態というものが、そもそも存在しないからです。

代償として、時間と長さが伸び縮みする

もっとも、ただで済むわけではありません。光速がどの立場から見ても同じだとすると、その辻褄を合わせるために、これまで絶対だと思われていたものが崩れます

崩れたものどうなるか
同時であることある人にとって同時の出来事が、別の人には同時でなくなる
時間の進み方高速で動く時計は、静止した観測者から見てゆっくり進む
長さ高速で動く物体は、進行方向に縮んで測定される
速度の足し算速さを単純に足せなくなり、結果は決して光速を超えない

速さが「距離÷時間」である以上、速さのほうを固定するなら、距離と時間のほうが動かなければ計算が合いません。光速を絶対にする代わりに、時間と空間を相対的にしたというのが、この理論の骨格です。

速度の足し算については、少し補足しておきます。日常の感覚では、速度は単純に足し合わされます。しかし正しい合成の式では、二つの速さを足したうえで、光速に近づくほど大きくなる係数で割ることになります。この式のおかげで、光速に近い速さ同士を足しても、結果は決して光速を超えません。日常の速さでは割る量がほぼ1なので、私たちは単純な足し算で困らずに済んでいるだけです。

光を追いかける少年をめぐる疑問

光速に近づくと、本人はどう感じるのですか

何も変わったようには感じません。相対性原理が言っているのも、まさにその点になります。等速で動いている限り、自分の時計は普通に進み、自分の体の長さも普通のままです。

伸び縮みが現れるのは、互いに動いている二者が相手を観測したときだけです。しかも、この関係は対称です。私から見て相手の時計が遅れているなら、相手から見れば私の時計が遅れています。どちらが本当に遅れているのか、という問いには意味がありません。

光速を超えることは本当に不可能なのですか

現在の理論の範囲では、質量を持つ物体を光速まで加速することはできません。速くするほど加速に必要なエネルギーが増え、光速に達するには無限のエネルギーが必要になるからです。

なお、空間そのものの膨張や、量子力学に現れる相関のように、単純に「速さ」で語れない現象は別に存在します。ただ、いずれも情報を光より速く送れるわけではないという点は保たれていると考えられています。

実験で確かめられているのですか

されています。高速で飛ぶ粒子が、静止した状態より長く生き延びることは日常的に観測されていますし、人工衛星の時計の進み方のずれも、この理論を使って補正しなければ位置測定が成り立ちません。

私はこの点が、この思考実験のいちばん愉快なところだと思っています。少年の空想から出発した理屈が、現在の地図アプリが正しく動くための前提になっている。頭の中だけで始まった話が、これほど具体的な形で日常に食い込んでいる例は多くありません。

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相対性理論をめぐる、頭の中の実験と、そこから生まれる奇妙な帰結です。合わせて読むと、時間と空間の扱いがどう変わったのかが見えてきます。

まとめ

本記事は「光を追いかける少年」について解説しました。如何だったでしょうか。

「光に追いついたら、光は止まって見えるのか」という子どもじみた問いが、電磁気学と相対性原理という二つの柱の衝突をあぶり出し、最終的にエーテルという当時の常識を捨てさせました。難しい数式ではなく、誰でも思いつける問いから始まっているところが、この思考実験の面白さだと思います。

そして解決の仕方も鮮やかです。「なぜ追いつけないのか」を説明しようとするのをやめ、「追いつけない」を前提として置き直す。答えられない問いに出くわしたとき、問いの立て方そのものを疑うという発想は、物理学に限らず使える構えだと思います。

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