思考実験

【有名な思考実験】冷凍睡眠と自己 ─ 何十年も凍ったあとで目覚めるのは、同じ人物か

【有名な思考実験】冷凍睡眠と自己 ─ 何十年も凍ったあとで目覚めるのは、同じ人物か

当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「冷凍睡眠と自己」について解説します。

死の直後に体を冷却し、液体窒素の中で保管します。100年後、技術が進んだ時代に修復され、目を覚まします

目覚めた人物は、あなたでしょうか。

昨夜眠って今朝起きた人物は、間違いなくあなたです。全身麻酔で数時間意識を失った人も、手術後に目覚めればあなたです。では、100年の中断はどこが違うのでしょうか

中断の長さが問題なのか、それとも中断のあいだに何が起きているかが問題なのか。この問いを掘っていくと、人格の同一性と、死の定義の両方に行き当たります。

図解

意識の中断は日常的に起きている

まず、この問題が特殊なものではないことを確認しておきます。

私たちは毎晩、意識を失っています。夢を見ない深い眠りのあいだ、経験は途切れています。それでも朝起きた人物が別人だとは誰も考えません。

全身麻酔になると、中断はもっと徹底的です。時間の経過すら感じられず、麻酔の導入と覚醒が直結したように体験されます。それでも、手術後に目覚めた人は本人として扱われます。

さらに極端な例もあります。大血管の手術などでは、体温を大きく下げたうえで血液の循環をいったん止めるという方法が使われることがあります(深部低体温循環停止と呼ばれる術式です)。脳の活動も心臓の拍動も止まった状態が、しばらく続きます。それでも回復した患者は本人です。

つまり、意識の連続性が途切れることそのものは、同一性を壊す条件になっていません。私たちはすでに、そう扱っています。

では、何が違うのか

冷凍保存が特殊なのは、中断の長さではありません。中断のあいだに、体がどうなっているかです。

低体温の手術では、組織はほぼそのまま保たれています。血流を止めても、細胞の構造は無傷です。だから再開すれば、そのまま動き出します。

一方、現在の冷凍保存では、組織にかなりの損傷が生じます。氷の結晶ができないよう凍結防止剤に置き換える手法が使われますが、その薬剤自体に毒性がありますし、極低温では微細な亀裂も生じます。

ここから、決定的な分岐が生まれます。

想定蘇生の中身同一性の扱い
修復損傷した組織を直し、元の体を動かし直す長い昏睡からの回復に近い
再構成構造の情報を読み取り、作り直す転送装置やアップロードと同じ問題

前者なら、話は全身麻酔の延長にとどまります(長い昏睡から目覚めるのと変わりません)。後者なら、まったく別の議論に移ります。原本を破壊して複製を作るという構造になるからです。

現在の技術水準からすると、修復で済む見込みは高くありません。どちらになるかを事前に選べないところが、この選択の難しいところだと思います。

死の定義が動く

もう一つ、この話題が引きずり出すのが死の定義の問題です。

法的な死は、多くの場合回復が不可逆であることを条件に定められています(日本では心停止・呼吸停止・瞳孔散大の三つが目安とされてきました)。ところが、何が不可逆かは技術の水準によって変わります。

かつては、心臓が止まれば死でした。現在は、心停止から蘇生できる場面が多くあります。同じ状態が、時代によって死だったり死でなかったりするわけです。

冷凍保存を支持する立場は、ここから「情報理論的な死」という考え方を持ち出します(information-theoretic death)。人格を復元するのに必要な情報が失われた時点こそが本当の死であって、それ以前なら将来の技術で戻せるかもしれない、という主張です。

この考え方が正しいかどうかは分かりません。ただ、死という判定が、対象の状態だけでなく、私たちの持っている技術にも依存しているという指摘自体は、否定しにくいところがあります。

科学の現状

期待と現実の距離についても、正確に押さえておきます。

保存の技術。氷の結晶を作らずに固める手法は実際に研究されており、動物の臓器の一部について、極低温から戻して機能が回復した例が報告されています。ただし、脳を含む体全体でそれが達成された例はありません

記憶の保持。神経細胞がごく少ない生物を対象にした研究では、保存の前に学習させた反応が、保存後も残っていたとする報告があります。構造が保たれれば情報も保たれる可能性を示す結果ですが、規模の差は桁違いです。

蘇生人体を保存状態から蘇生させた例は一つもありません。そして、現在の保存で生じる損傷を修復する方法も存在しません。将来それが可能になるという保証もありません。

つまり現状では、これは技術的な選択肢ではなく、将来への賭けです。

賭けとしての構造

実際、この選択はしばしば賭けの形で語られます。

保存しなければ、確実に何も残りません。保存すれば、可能性はゼロではありません。失うのは費用と手間という有限のもので、得られるかもしれないのは、それとは比べようのないものです。

この形は、神を信じるかどうかを期待値で決める議論とよく似ています。成功する確率がどれほど小さくても、ゼロでない限り期待値が正になるという論法です。

そして、同じ弱点も引き継ぎます。可能性が存在することと、それを当てにしてよいことは違います。保存事業を行う組織が100年後も存続しているか、社会がその費用を負担し続けるかといった、確率を大きく下げる要因がいくつも積み重なります。

冷凍睡眠について気になること

目覚めたら、社会がまったく違います

これは同一性とは別の、しかし現実的な論点です。知人は誰もおらず、言葉づかいも制度も変わっている世界で目覚めることになります。

哲学的に本人だと認められることと、その人にとって望ましいことは別です。この点を理由に、そもそも望まないという判断も十分に成り立ちます。

眠りとの違いは、結局どこにあるのですか

私は、決定的な違いは戻る過程が確立しているかどうかだと考えています。

眠りも麻酔も、戻る仕組みが体に備わっているか、医療として確立しています。冷凍保存には、戻る道筋がまだありません。中断そのものではなく、中断からの復帰が未知であることが、この選択を賭けにしています。

この思考実験は、何を考えるのに役立ちますか

「死んだ」という判定が、思っているほど絶対的ではないと気づける点だと思います。

心停止からの蘇生も、低体温での手術も、かつては不可能でした。今は普通に行われています。私たちが死と呼んでいる境界線は、技術と一緒に動いてきました。冷凍保存に賛成するかどうかとは別に、この事実は押さえておく価値があると思います。

関連する思考実験

自分が自分であり続ける条件を扱った記事です。冷凍睡眠と並べると、中断と再構成のどちらが問題なのかが見えてきます。

まとめ

本記事は「冷凍睡眠と自己」について解説しました。如何だったでしょうか。

意識が途切れること自体は、毎晩起きています。だから中断の長さは、決め手になりません。問題は、中断のあいだに体がどうなっていて、どうやって戻るのかのほうにありました。

そして、修復として戻るのか、情報から作り直すのかで、話はまったく別のものになります。前者なら長い眠りからの目覚めですが、後者なら転送装置と同じ問いが待っています。選ぶ時点では、どちらになるか分からない。そこがこの選択のいちばん厄介なところだと思います。

思考実験の一覧に戻りたい方は以下のリンクからどうぞ。

それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。

【有名な思考実験一覧】中国語の部屋・トロッコ問題・水槽の脳まで完全解説senkohome.com/thought-experiment-list/