当サイトを閲覧いただきありがとうございます。本記事は、世界の神話・宗教の「原典」を解説するシリーズの一篇で、キリスト教の聖書を扱う4記事のうちの第3弾です。
前回までに、旧約聖書の「律法(モーセ五書)」5巻と「歴史書」12巻を解説しました。まだ読まれていない方は、先にそちらから読むと流れがつかみやすいかと思います。
本記事では、旧約聖書の残りの区分である「詩歌・知恵文学」5巻と「預言書」17巻、合わせて22巻を解説していきます。
本記事で解説する範囲
まず、聖書66巻の全体の中で、本記事がどの部分を扱うのかを確認しておきましょう。
歴史書までが「出来事の記録」だったのに対し、ここから扱う2区分は性格が大きく異なります。
- 詩歌・知恵文学:人生・苦しみ・愛・幸福など、人間の内面と生き方を歌や格言で扱う
- 預言書:神に背いた民への警告と、救い(メシア)の約束を預言者が語る
それでは、まず詩歌・知恵文学の5巻から見ていきましょう。
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詩歌・知恵文学(5巻)とは
この区分は、物語ではなく詩・歌・格言という形式で、人間が生きる上での根源的な問いを扱う5巻です。
| 巻 | 巻名 | 章数 | 扱うテーマ |
|---|---|---|---|
| 第18巻 | ヨブ記 | 42章 | なぜ正しい人が苦しむのか |
| 第19巻 | 詩編 | 150編 | 神への賛美・嘆き・祈りの歌集 |
| 第20巻 | 箴言 | 31章 | 日常を生きる知恵の格言 |
| 第21巻 | コヘレトの言葉 | 12章 | 人生の虚しさと意味 |
| 第22巻 | 雅歌 | 8章 | 男女の愛の歌 |
第18巻 ヨブ記(ヨブき)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 章数 | 全42章 |
| 主な登場人物 | ヨブ、3人の友人、サタン、神 |
| 中心テーマ | 罪のない正しい人が、なぜ苦しまなければならないのか |
聖書の中でも特に哲学的な巻で、「義人の苦難」という人類普遍の問いに正面から取り組みます。物語は、散文の「序章」と「結び」が、長大な詩文の「対話」を挟み込む構成になっています。
天上の賭けと、ヨブを襲う災い
物語はまず、地上ではなく天上の場面から始まります。神が「ヨブほど正しい人間はいない」と称えると、サタン(告発者)が「ヨブが信仰深いのは、あなたが彼を祝福し守っているからにすぎない。すべてを奪えば、きっとあなたを呪うでしょう」と反論します。神はこれを受けて、ヨブを試すことを許しました。
すると、信仰篤い富豪であったヨブを、立て続けに災いが襲います。まず家畜などの全財産と、10人の子供すべてを一日のうちに失い、次いで頭から足まで全身がひどい腫れ物に覆われてしまいます。それでもヨブは神を呪わず、妻が「神を呪って死になさい」と言っても、「幸いを受けるのなら、災いも受けるべきではないか」と答えました。
3人の友との論争
そこへ、ヨブを慰めようと3人の友人(エリファズ・ビルダド・ツォファル)が訪れます。しかし彼らは、「これほどの不幸に遭うのは、お前が密かに罪を犯したからに違いない。悔い改めよ」という、当時一般的だった「因果応報」の考えでヨブを責め立てました。
これに対しヨブは、自らに身に覚えのある罪などないと潔白を訴え、なぜ罪のない自分が苦しまねばならないのかと、神に向かって激しく問い続けます。この友人たちとの詩的な問答が、何度も繰り返されるのが本書の中心部です。さらに若者エリフが登場し、独自の弁論を加えます。
嵐の中からの神の答え
ついに、神自らが「つむじ風(嵐)の中から」ヨブに語りかけます。しかし神は、ヨブの問いに直接は答えませんでした。代わりに、「わたしが大地の基を据えたとき、お前はどこにいたのか」と問い、海・星・光、そして「ベヘモット(巨獣)」「レヴィアタン(海の怪物)」といった被造物の壮大さを次々と示します。
これは「世界を造り治める神の知恵は、人間の理解をはるかに超えている」ことを示すものでした。ヨブは「わたしはあまりにも小さな者でした」と悟り、自らの不遜を悔いて口をつぐみます。
結び ― ヨブの回復
最後に神は、ヨブを責めた3人の友のほうを「わたしについて正しく語らなかった」と叱責し、ヨブの正しさを認めます。そしてヨブに以前の2倍の財産を与え、新たに7人の息子と3人の娘を授けて回復させました。
この巻は、「なぜ正しい人が苦しむのか」という問いに明快な答えを与えるのではなく、人間には計り知れない神の摂理の前で「理解を超えた神を信頼する」という信仰の姿勢を示すものとなっています。
第19巻 詩編(しへん)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 章数 | 全150編 |
| 主な作者 | ダビデ(とされるものが多数)ほか |
| 中心テーマ | あらゆる感情を神に向けて歌う、賛美と祈りの集大成 |
詩編は、150編もの詩を集めた、聖書最大の「祈りと賛美の歌集」です。約半数はダビデ王の作とされ、全体は5つの巻(第1巻〜第5巻)に分けて編集されています。
その内容は非常に幅広く、人間のあらゆる感情が神に向けて歌われています。大きく分類すると、以下のような種類があります。
| 種類 | 内容 |
|---|---|
| 賛美の詩 | 神の偉大さや創造の業をたたえる(例:詩編104編) |
| 嘆きの詩 | 苦難・病・敵の中から神に助けを求める。詩編で最も数が多い |
| 感謝の詩 | 救われたことへの感謝をささげる |
| 悔い改めの詩 | 自らの罪を告白し、赦しを願う(例:詩編51編) |
| 王の詩・メシアの詩 | 王の即位や、来るべき救い主を歌う(例:詩編2編・110編) |
特に有名な詩編をいくつか紹介します。
- 詩編23編:「主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない」で始まる、苦難の中での神への信頼を歌った詩。葬儀などでも広く読まれます
- 詩編22編:「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という叫びで始まる詩。後にイエスが十字架の上で口にした言葉として知られ、苦難の救い主を予告する「メシア預言」の一つとされます
- 詩編51編:ダビデ王が、家臣の妻バト・シェバを奪った罪を悔いて詠んだとされる「悔い改めの詩」。「神よ、わたしのうちに清い心を造ってください」という一節で知られます
このように詩編は、喜びも嘆きも、感謝も悔い改めも、人間のありのままの心を神に向ける祈りの言葉に満ちており、今日に至るまでユダヤ教・キリスト教の礼拝や個人の祈りの源泉となり続けています。
第20巻 箴言(しんげん)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 章数 | 全31章 |
| 主な作者 | ソロモン(とされる)ほか |
| 中心テーマ | 賢く生きるための実践的な知恵 |
箴言は、賢明に生きるための短い格言(ことわざ)を集めた知恵の書で、その多くは知恵の王ソロモンに帰されています。
全体を貫く有名な一句が「主を畏れることは知恵の初め」です。これは、本当の知恵とは単なる知識や賢さではなく、「神を敬う心」から始まる、という箴言の根本的な考え方を示しています。
前半(1〜9章)では、知恵が一人の女性「知恵婦人」として擬人化され、若者に語りかける形で、愚かさや誘惑に陥らないよう諭します。父が子に語りかける形式が多く、人生の道を踏み外さないための導きが説かれます。
中盤以降は、独立した格言が数多く並びます。その内容は、言葉の使い方(「柔らかな受け答えは怒りを鎮める」)、勤勉さの大切さ、軽率な保証人になることへの戒め、友人や家庭との付き合い方、お金との向き合い方など、極めて実践的・日常的です。
そして巻の最後(31章)は、家庭を支え、よく働き、知恵をもって家を治める「有能な妻」を讃える詩で締めくくられます。宗教的な堅苦しさよりも、「どう生きれば人生がうまくいくか」という処世訓の色が濃い、現代でも通用する内容の巻と言えます。
第21巻 コヘレトの言葉(コヘレトのことば)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 章数 | 全12章 |
| 別名 | 伝道の書 |
| 中心テーマ | 人生の虚しさと、その先に見出す意味 |
冒頭の「空(くう)の空、いっさいは空である」という言葉で知られる、人生の意味を問う哲学的な巻です。
語り手である「コヘレト(伝道者)」は、富も、知恵も、快楽も、労苦も、結局は死の前ではすべて空しいと、徹底して人生の儚さを見つめます。
しかし、ただ虚無に終わるわけではありません。最終的にこの巻は「神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ、人間にとってすべてである」という結論にたどり着きます。儚い人生だからこそ、神を中心に今を生きよ、というメッセージです。
第22巻 雅歌(がか)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 章数 | 全8章 |
| 中心テーマ | 男女の愛を歌い上げた恋愛詩 |
雅歌は、若い男女(花嫁と花婿)が互いの美しさと愛を情熱的に歌い合う、純粋な愛の詩です。神への信仰や教えを直接説く箇所がほとんどなく、聖書の中ではかなり異色の存在と言えます。
内容は、二人が交互に相手への思いを語り合う対話形式で進みます。花婿は花嫁の姿を「あなたは美しい、わが愛する人よ」と讃え、花嫁もまた相手への恋い焦がれる思いを歌います。「愛は死のように強く」という一節は、雅歌を象徴する有名な言葉です。
文字どおりには人間の恋愛・結婚の喜びを賛美したものですが、伝統的には「神とイスラエル民族の愛」、あるいはキリスト教では「キリストと教会の愛」を象徴的に表したものとしても解釈されてきました。そのため、一見すると世俗的なこの詩が、聖書の正典に含められているのです。
預言書(17巻)とは
旧約聖書の最後を飾る17巻が「預言書」です。
ここで言う「預言者」とは、単なる未来予知者ではなく、神の言葉を預かって民に語り伝える者のことです。彼らの主な役割は、神に背いた民に対して「悔い改めよ」と警告し、来るべき裁きと、その先にある救い(メシアの到来)を告げることでした。
預言書は「大預言書(5巻)」と「小預言書(12巻)」に分かれますが、この「大」「小」は重要度ではなく、単に分量(書の長さ)の違いです。
また、預言者が活動した時代は、イスラエルの歴史(前回解説)と密接に関わっています。大きく「滅亡前」「捕囚中」「帰還後」の3つに分けると整理しやすくなります。
大預言書(5巻)
まずは分量の多い5巻、大預言書から見ていきます。
| 巻 | 巻名 | 章数 | 中心的な内容 |
|---|---|---|---|
| 第23巻 | イザヤ書 | 66章 | 裁きの警告と、救い主(メシア)の預言 |
| 第24巻 | エレミヤ書 | 52章 | エルサレム滅亡の警告と「新しい契約」 |
| 第25巻 | 哀歌 | 5章 | エルサレム陥落を悼む哀悼の詩 |
| 第26巻 | エゼキエル書 | 48章 | 捕囚の地での幻と、回復の約束 |
| 第27巻 | ダニエル書 | 12章 | 信仰を貫く物語と、終末の幻 |
第23巻 イザヤ書
南ユダ王国で活動した預言者イザヤの書で、全66章は前半(1〜39章)の「裁きの警告」と、後半(40〜66章)の「慰めと回復の約束」という大きな2部構成になっています。
冒頭近くの6章には、有名な「イザヤの召命」の幻があります。イザヤは、セラフィム(天使)が「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主」と讃える神殿の幻を見て、自らの汚れを恐れますが、燃える炭で唇を清められ、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と預言者の使命を受けます。
イザヤ書は「救い主(メシア)」の預言が特に豊富なことでも知られます。「おとめがみごもって男の子を産み、その名をインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ぶ」という預言(7章)、そして「ひとりのみどりごが生まれた。その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』」(9章)という平和の王の到来が語られます。さらに11章では、狼と小羊が共に宿るような、争いのない世界の到来が預言されます。
後半(40章以降)は、「慰めよ、わたしの民を慰めよ」という言葉で始まり、バビロン捕囚に苦しむ民へ、解放と回復の希望が告げられます。
中でも最も有名なのが53章の「苦難の僕(しもべ)」です。「彼は軽蔑され、見捨てられ…わたしたちの病を負い、わたしたちの痛みを担った…屠り場に引かれる小羊のように口を開かなかった…彼の受けた打ち傷によって、わたしたちはいやされた」と、自ら人々の罪を背負い、身代わりに苦しみを受ける救い主の姿が克明に描かれます。キリスト教ではこれを、後のイエス・キリストの十字架を約700年前に預言したものと理解しています。
第24巻 エレミヤ書
エルサレムが滅亡する直前に活動した預言者エレミヤの書です。彼は民に悔い改めを訴え続けましたが聞き入れられず、祖国の滅亡を嘆いたことから「涙の預言者」と呼ばれます。
この書で最も重要なのが「新しい契約」の預言です。神が「わたしは律法を人々の心に記す」と語る場面は、後の「新約(新しい契約)」という言葉そのものの由来となりました。
第25巻 哀歌
バビロニアによって陥落・破壊されたエルサレムを悼む、5つの哀悼の詩からなる短い巻です。荒廃した都を擬人化して嘆く深い悲しみが綴られますが、その中にも「主の憐れみは尽きることがない」という希望の言葉が織り込まれています。
第26巻 エゼキエル書
バビロン捕囚の地で活動した、祭司でもある預言者エゼキエルの書です。幻(ヴィジョン)の描写が多く、象徴的な行動で預言を示すのが特徴です。
冒頭では、4つの顔と車輪を持つ生き物に囲まれた「神の戦車」の壮大な幻とともに、エゼキエルが召命を受けます。このとき彼は、神の言葉が記された「巻物」を食べるよう命じられ、それは「蜜のように甘かった」とされます。神の言葉を取り込み、民への「見張り役」となることの象徴です。
最も有名なのが「枯れた骨の谷」の幻です。谷一面に散らばった無数の枯れ骨に向かって、エゼキエルが神の言葉を語ると、骨が音を立てて集まり、筋肉と皮膚がつき、息が吹き込まれて、生きた大軍となって立ち上がりました。これは、滅んで望みを失ったイスラエルが、再び国として生き返る(回復する)ことの象徴とされています。
巻の最後では、細部まで寸法が示された壮大な「新しい神殿」の幻が語られ、その都の名は「主はそこにおられる」と告げられて締めくくられます。
第27巻 ダニエル書
バビロン捕囚の中でも信仰を貫いた青年ダニエルの物語(前半)と、終末に関する幻(後半)の2部からなります。
前半 ― 信仰を貫く物語
捕囚としてバビロンの王宮に仕えることになったダニエルと3人の仲間は、まず異教の王の豪華な食事を拒み、野菜と水だけで過ごしますが、かえって誰よりも健康になりました。神への忠実さを示す逸話です。
続いて、有名な物語が並びます。
- 夢の巨大な像:ネブカドネツァル王が見た「金の頭・銀の胸・青銅の腹・鉄の足」を持つ像の夢を、ダニエルが解き明かす。これは次々と交代する4つの帝国を表し、最後に人の手によらない一つの石が像を砕く=神の国がすべてに取って代わることを示す
- 燃える炉の3人:王の金の像を拝むことを拒んだ3人の若者が、7倍に熱した炉に投げ込まれる。しかし炉の中に「神の使いと思われる第4の人影」が現れ、3人は髪一本焦げずに助かる
- 壁に書かれた文字:次の王ベルシャツァルの宴の最中、突然現れた手が壁に「メネ・メネ・テケル・ウファルシン」と書く。ダニエルはこれを「王の治世は終わった」と読み解き、その夜バビロンは滅びる
- ライオンの穴:王への祈りを禁じる法令にもかかわらず、神に祈り続けたダニエルが獅子の穴に投げ込まれる。しかし天使が獅子の口を閉ざし、ダニエルは無傷で救い出される
後半 ― 終末の幻
後半では、ダニエルが見た幻が語られます。海から現れる4頭の獣(諸帝国の象徴)の興亡や、終わりの日に「人の子のような者が天の雲に乗って来て、永遠の支配権を受ける」という幻が示されます。
この「人の子」という表現は、後にイエスが自らを指して用い、また終末を描く新約の「黙示録」にも受け継がれました。こうしてダニエル書は、後の「黙示文学」の先駆けとなったのです。
小預言書(12巻)
続いて、分量は少ないものの重要なメッセージを持つ12巻、小預言書です。それぞれの内容を以下にまとめます。
| 巻 | 巻名 | 内容 |
|---|---|---|
| 第28巻 | ホセア書 | 不貞の妻を赦し続ける預言者の姿で、背く民を愛し続ける神を描く |
| 第29巻 | ヨエル書 | いなごの大群を裁きの予兆とし、悔い改めと「主の日」を預言する |
| 第30巻 | アモス書 | 貧者を虐げる社会的不正を厳しく糾弾し、公正を求める |
| 第31巻 | オバデヤ書 | 全1章の最短書。イスラエルを裏切った隣国エドムへの裁きを宣告 |
| 第32巻 | ヨナ書 | 神から逃げた預言者が大魚に呑まれ、敵国ニネベで悔い改めを説く |
| 第33巻 | ミカ書 | 不正を糾弾しつつ、救い主がベツレヘムから生まれると預言する |
| 第34巻 | ナホム書 | アッシリアの都ニネベの滅亡を預言する |
| 第35巻 | ハバクク書 | 「なぜ悪が栄えるのか」と問い、「義人は信仰によって生きる」と答える |
| 第36巻 | ゼファニヤ書 | 来るべき「主の日」の裁きと、その後の救いを預言する |
| 第37巻 | ハガイ書 | 帰還後、中断していた神殿再建を再開するよう民を励ます |
| 第38巻 | ゼカリヤ書 | 神殿再建を励ましつつ、ろばに乗る王などメシアの幻を語る |
| 第39巻 | マラキ書 | 旧約最後の書。形骸化した礼拝を戒め、来るべき使者を予告する |
分量こそ少ないものの、それぞれが独自の重要なメッセージを持っています。12巻を1巻ずつ詳しく見ていきましょう。
第28巻 ホセア書 北イスラエル王国の末期に活動した預言者ホセアの書です。神はホセアに、夫を裏切って他の男のもとへ走る女ゴメルを妻とし、何度裏切られても赦して連れ戻すよう命じます。これは、他の神々(偶像)に走り続けるイスラエルを、それでも見捨てずに愛し続ける神の姿そのものを、預言者の人生を通して示したものです。裁きの警告の中にも「わたしはあなたを見捨てることができない」という、神の切ない愛が貫かれています。
第29巻 ヨエル書 国中を覆い尽くす「いなごの大群」による農作物の壊滅を、来るべき神の裁きの日「主の日」の前触れとして描きます。ヨエルは民に断食と悔い改めを呼びかけます。後半では、悔い改めた民への祝福として神が「わたしはすべての人に、わたしの霊を注ぐ」と約束する場面があり、これは後に新約聖書の聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事で引用される、重要な預言となりました。
第30巻 アモス書 南ユダ出身の牧者アモスが、繁栄を謳歌する北イスラエルで活動した書です。彼は、経済的な豊かさの陰で富める者が貧しい者を踏みつけ、賄賂や不正な裁きがはびこる社会を痛烈に批判します。そして、心の伴わない形だけの祭儀を神は喜ばないとし、「公正を水のように、正義を絶えず流れる川のように流れさせよ」と訴えました。社会正義を説いた預言者として知られています。
第31巻 オバデヤ書 わずか1章21節からなる、旧約聖書で最も短い巻です。エルサレムがバビロニアに攻められた際、同胞でありながら略奪に加担した隣国「エドム」(イスラエルの祖ヤコブの兄エサウの子孫)に対する、神の裁きを宣告しています。
第32巻 ヨナ書 他の預言書が「預言の言葉」を集めたものであるのに対し、この巻は一編の「物語」として書かれているのが特徴です。神は預言者ヨナに、敵国アッシリアの都ニネベへ行って悔い改めを説けと命じますが、ヨナは正反対の方向へ船で逃亡します。しかし嵐に遭って海に投げ込まれ、「大きな魚」に呑み込まれて、3日後に吐き出されます。しぶしぶニネベで説教すると、町中が悔い改めて滅亡を免れました。敵が救われたことに腹を立てるヨナに対し、神は「お前はこの大いなる町を惜しまないのか」と問いかけ、「神の憐れみは、敵である異邦人にも及ぶ」ことを示します。
第33巻 ミカ書 アモスと同じ頃に活動し、支配者や裕福な者による社会的不正を厳しく糾弾しました。一方で、有名な救いの預言も含まれています。「ベツレヘムよ、お前から、イスラエルを治める者が出る」という一節は、後のイエス・キリストの誕生地を予告した預言とされています。また「主が求めておられるのは、正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神とともに歩むことだ」という、信仰の核心を突いた言葉でも知られます。
第34巻 ナホム書 アッシリア帝国の首都「ニネベ」の滅亡を預言した書です。かつてヨナの説教で悔い改めたニネベが、再び傲慢と暴虐に満ちたため、その都に下される神の裁きを告げています。
第35巻 ハバクク書 預言者が神に率直な疑問をぶつける、対話形式の珍しい巻です。ハバククは「なぜ悪がはびこり、正しい者が苦しんでいるのに、あなたは黙っておられるのか」と問います。神は「悪しき大国バビロニアもいずれ必ず裁かれる」と答え、「義人はその信仰(真実)によって生きる」という言葉を与えます。この一句は、後に使徒パウロが「信仰によって救われる」という教えの根拠として引用する、極めて重要な言葉となりました。
第36巻 ゼファニヤ書 全地に下される「主の日」の厳しい裁きを告げる一方で、悔い改めて神に身を寄せる「残りの者」には救いと喜びが訪れる、と預言します。裁きと救いの両面を描く点に特徴があります。
第37巻 ハガイ書 バビロン捕囚からの帰還後を舞台とします。人々が自分の家を整えることに夢中で、肝心の神殿の再建を放置していたことを叱責し、「主の神殿を建てよ」と励まします。このハガイの呼びかけによって、中断していた第二神殿の再建工事が再開されました。
第38巻 ゼカリヤ書 ハガイと同時代に神殿再建を励ました預言者の書ですが、内容は8つの幻をはじめとする象徴的・幻想的な描写に富んでいます。特に救い主(メシア)に関する預言が多く、「見よ、お前の王が来る。柔和な者で、ろばに乗って」という預言は、後にイエスがろばに乗ってエルサレムへ入城した出来事で実現したとされています。
第39巻 マラキ書 旧約聖書を締めくくる最後の巻です。帰還後、再び形だけになった礼拝(傷のある動物のいけにえや、献げ物の出し惜しみ)や、横行する離婚を戒めます。そして神は「見よ、わたしは使者を遣わす。主の大いなる日が来る前に、預言者エリヤを送る」と予告して、書を閉じます。この「来るべき使者」こそ、後の新約聖書に登場する洗礼者ヨハネを指すとされ、ここで旧約聖書と新約聖書が橋渡しされる形になっているのです。
預言書に散りばめられた「メシア預言」
詩歌と預言書を貫いて流れる、もう一つの大きな主題があります。それが「メシア(救い主)の到来」を告げる預言です。キリスト教は、これらの預言がすべてイエス・キリストにおいて実現したと読み、旧約と新約を一つに結びつけてきました。代表的なものを挙げてみましょう。
| 預言 | 内容 | キリスト教の理解 |
|---|---|---|
| イザヤ書7章 | 「おとめがみごもって男の子を産む」 | 処女マリアからのイエス誕生 |
| ミカ書5章 | 救い主はベツレヘムから出る | イエスのベツレヘム降誕 |
| イザヤ書53章 | 「苦難の僕」=民の罪を背負って苦しみ殺される者 | イエスの十字架の死 |
| ゼカリヤ書9章 | 王はろばに乗って来る | イエスのエルサレム入城 |
| 詩編22編 | 「わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」 | イエスが十字架上で叫んだ言葉 |
中でも、イザヤ書53章の「苦難の僕(しもべ)」――自らは罪なきまま、人々の咎(とが)を背負って屠られ、その傷によって人々が癒やされる、という預言は、キリスト教においてイエスの十字架の死を数百年も前に言い当てたものとして、最も重んじられてきました。旧約聖書の側から見れば未来への約束であり、新約聖書の側から見ればその成就である――この「約束と成就」の関係こそ、キリスト教が旧約と新約を不可分の一冊として読む、根本の理由なのです。
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まとめ
本記事では、旧約聖書の「詩歌・知恵文学」5巻と「預言書」17巻、合わせて22巻を解説しました。如何だったでしょうか。
歴史書までが出来事の記録だったのに対し、ここで扱った22巻は人間の生き方・苦しみ・希望、そして神からの警告と救いの約束という、より内面的でメッセージ性の強い内容だったかと思います。
特に、イザヤ書の「苦難の僕」やマラキ書の「来るべき使者」のように、預言書には来るべき救い主(メシア)を待ち望む内容が数多く含まれていました。これが、いよいよ救い主イエス・キリストが登場する新約聖書へとつながっていきます。
これで旧約聖書39巻すべての解説が終わりました。次回の記事では、いよいよ新約聖書27巻を解説していきます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
📚 シリーズ:キリスト教の原典(聖書66巻)解説(4/5)