当サイトを閲覧いただきありがとうございます。本記事は、日本神話の原典を解説するシリーズの第3弾です。
今回は、原典『古事記』の上巻の末(天孫降臨)から中巻(人代)へと続く記述に沿って、天上の神々の子孫が地上へ降り、初代天皇が誕生して国が建てられるまでを詳しく見ていきます。
日本神話の原典全体の見取り図については、以下のまとめ記事を参照してください。
天孫降臨 ― 神々の子孫が地上へ
前回(記事②)の「国譲り」によって地上の国を手に入れた天上の神々は、いよいよ自らの子孫を地上へ送り込み、統治させることにしました。これが「天孫降臨(てんそんこうりん)」です。
降臨を命じられたのは、太陽神アマテラスの孫にあたる「ニニギ(邇邇芸命)」でした。
旅立ちに際し、アマテラスはニニギに、自らの分身ともいえる3つの宝物を授けます。これが「三種の神器(さんしゅのじんぎ)」です。
| 神器 | 由来 |
|---|---|
| 八咫鏡(やたのかがみ) | 天岩戸の際にアマテラスを誘い出すのに使われた鏡 |
| 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) | 同じく天岩戸の際に木に飾られた勾玉 |
| 草薙剣(くさなぎのつるぎ) | スサノオがヤマタノオロチの尾から得た剣 |
これらはいずれも前回までの物語に登場した宝物であり、三種の神器が、天皇家が天上の神々の正統な子孫であることの証とされる根拠になっています。
このとき『日本書紀』では、アマテラスがニニギに「葦原の瑞穂の国は、わが子孫が王たるべき地である。行って治めよ。天地とともに、永遠に栄えるであろう」と告げたと記されます。これは「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」と呼ばれ、天皇による統治が天地とともに永遠に続くことを約束した一節として、後の世に大きな意味を持つことになります。
また、ニニギはひとりで降りたのではありません。天岩戸の場面で活躍した神々――祝詞をつかさどるアメノコヤネ、祭具をつかさどるフトダマ、舞をまったアメノウズメ、鏡を作ったイシコリドメ、玉を作ったタマノオヤという「五伴緒神(いつとものおのかみ)」を引き連れて降臨しました。彼らはそれぞれ、後の朝廷で祭祀を担う有力氏族(中臣氏・忌部氏・猿女君など)の祖先とされ、神話が現実の氏族制度の由来を語っていることがよくわかります。
この記事でたどるのは、太陽神アマテラスから初代天皇へと血筋がつながっていく系譜です。図にすると、神々の世界(神代)と人間の世界(人代)が、ここで一本につながることがよくわかります。
降臨の途中、道をふさぐ謎の神が現れますが、これは道案内を申し出た国津神「サルタヒコ」でした。ニニギは多くの神々を従え、サルタヒコの案内で、筑紫の「高千穂(たかちほ)」の峰へと降り立ちました。
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コノハナサクヤビメ ― 天皇の寿命の由来
地上に降りたニニギは、絶世の美女「コノハナサクヤビメ(木花之佐久夜毘売)」と出会い、求婚します。
父の神は喜び、姉の「イワナガヒメ(石長比売)」も一緒に嫁がせました。ところがイワナガヒメは器量が良くなかったため、ニニギは姉を送り返し、美しい妹のコノハナサクヤビメだけを妻にしてしまいます。
これには深い理由がありました。父神は、「イワナガヒメ(岩)を娶れば子孫は岩のように永遠の命を、コノハナサクヤビメ(花)を娶れば花のように繁栄するように」と願って2人を差し出していたのです。
姉を送り返したことで、永遠の命が失われ、天皇(人間)の寿命は花のようにはかなく限りあるものになったとされています。これは、神の子孫である天皇がなぜ死ぬのか、という由来を説明する神話です。
その後、一夜で身ごもったコノハナサクヤビメは、ニニギに浮気を疑われます。彼女は身の潔白を証明するため、「天津神の子なら、何があっても無事に生まれるはず」と、みずから戸を塗りふさいだ産屋に火を放ち、燃えさかる炎の中で出産して、無事に子を産んでみせました。生まれた子に火照命(ホデリ=海幸彦)・火須勢理命(ホスセリ)・火遠理命(ホオリ=山幸彦)と、いずれも「火」にちなむ名が付くのは、この火中出産に由来します。
海幸彦と山幸彦
コノハナサクヤビメが産んだ子のうち、兄「海幸彦(うみさちひこ)」と弟「山幸彦(やまさちひこ)」が、次の物語の主役です。兄は海で漁を、弟は山で狩りを得意としていました。
ある日、2人は道具を交換します。しかし山幸彦は、借りた兄の大切な釣り針を、海でなくしてしまいます。兄は激怒し、どんなに代わりの針を作っても許さず、もとの針を返せと迫りました。
途方に暮れる山幸彦の前に、塩の神が現れ、海の神「ワタツミ」の宮殿へ行くよう助言します。海神の宮殿で、山幸彦は海神の娘「トヨタマビメ」と結ばれ、3年を過ごしました。
やがて事情を知った海神は、魚たちを集めて、喉に針を引っかけて苦しんでいた鯛から釣り針を見つけ出します。さらに海神は、潮の満ち引きを操る2つの宝玉「潮盈珠(しおみつたま)・潮乾珠(しおふるたま)」を山幸彦に授けました。
地上に戻った山幸彦は、針を返した後も意地悪をやめない兄を、この潮の宝玉の力で溺れさせたり助けたりして、ついに屈服させます。こうして弟の山幸彦の血筋が、地上を治める正統な系譜となりました。
後を追って地上へやってきたトヨタマビメは、出産の際に「決して姿を見ないでください」と告げますが、山幸彦はまたしても禁を破ってのぞいてしまいます。そこにいたのは、サメ(ワニ)の姿に戻って出産する妻でした。恥じたトヨタマビメは、子を浜に残したまま海へ帰り、海と陸との行き来する道を閉ざしてしまいます。これは、人間(天皇の祖)が海神の世界と切り離され、地上の存在となったことを語る神話でもあります。
残された子は、母の代わりに地上へ遣わされた妹「タマヨリビメ」に育てられ、やがて成長して、その養母タマヨリビメと結ばれます。生まれた子は四柱。その末子こそが、のちの初代天皇カムヤマトイワレビコ(神武天皇)です。この子の名「ウガヤフキアエズ」は、産屋の屋根を「葺(ふ)き終えないうちに(=鵜の羽で葺きあえぬうちに)」生まれたことに由来する、と原典は説明しています。こうして、天孫降臨から三代を経て、いよいよ初代天皇が誕生する舞台が整いました。
神武東征 ― 初代天皇の誕生
ウガヤフキアエズの子が、後に初代天皇となる「カムヤマトイワレビコ(神武天皇)」です。
彼は、天孫降臨の地である日向(宮崎)の地が、国を治めるには西に偏りすぎていると考え、より良い土地を求めて東へ向かう遠征「神武東征」を決意します。ここから物語は、神話の時代から、人間の天皇による歴史の時代へと移っていきます。
一行は日向を発し、筑紫(九州北部)から、安芸・吉備(岡山)を経て、難波(大阪)へと、瀬戸内海を東へ進みました。原典は、その道筋にある土地の名を一つひとつ挙げており、東征が具体的な地理に沿って語られていることがわかります。
しかし、いざ大和(奈良)へ攻め入ろうとすると、地元の豪族「ナガスネビコ(那賀須泥毘古)」の激しい抵抗に遭います。この戦いで、神武の兄イツセノミコトが矢に当たって命を落としました。このとき神武は、「日の神の子孫である自分が、太陽に向かって(東へ)戦うのはよくない。日を背に負って戦おう」と悟り、いったん軍を引いて、紀伊半島を大きく南へ迂回し、熊野から大和へ攻め入る道をとります。
その熊野では、荒ぶる神の毒気に当たって軍がみな倒れてしまいますが、高天原から霊力を帯びた大刀「布都御魂(ふつのみたま)」が届けられて軍は息を吹き返します。さらにアマテラスが遣わした3本足の巨大なカラス「八咫烏(やたがらす)」が険しい山中の道案内を務め、軍を大和へと導きました。
最後に立ちはだかったナガスネビコは、じつは天から降っていた神「ニギハヤヒ(邇芸速日命)」に仕えていました。そのニギハヤヒが、神武こそ正統な天孫であると認めてナガスネビコを討ち、神武に帰順したことで、ついに大和は平定されます。こうして神武天皇は、橿原(かしはら)の地で初代天皇として即位しました。伝承では、これが紀元前660年の出来事とされ、日本の建国神話となっています。
ヤマトタケル ― 悲劇の英雄
『古事記』は中巻に入ると、歴代天皇の物語となります。その中でも、神話的な色彩を強く残す最大の英雄が、第12代景行天皇の皇子「ヤマトタケル(倭建命)」です。
ヤマトタケルが父に恐れられるようになったきっかけは、衝撃的でした。父・景行天皇に「兄が食事に出てこない、よく教え諭せ」と命じられたヤマトタケル(幼名オウス)は、兄オオウスを捕らえて手足をもぎ取り、薦(こも)に包んで投げ捨ててしまったのです。あまりに荒々しいその気性を恐れた父は、以後この皇子を、休む間もなく次々と危険な遠征へと送り出すようになります。これは、父に疎まれ続ける英雄の悲劇という、物語全体を貫く影でもあります。
まず九州では、まだ少年だったヤマトタケルが、髪を解き少女の姿に変装して敵の宴に紛れ込み、油断した「クマソタケル」兄弟を討ち取ります。このとき、討たれる首領が「あなたほど強い者はいない。我が名を差し上げる」と言い、それまでオウスと呼ばれた皇子は、ここで「ヤマトタケル(倭建)」の名を得たとされます。
続いて休む間もなく東国の平定を命じられた彼は、その途中、伊勢神宮に仕える叔母「ヤマトヒメ(倭比売命)」のもとに立ち寄ります。父に疎まれる身を嘆く甥に、ヤマトヒメは神剣「草薙剣」と、「いざという時に開けなさい」と一つの袋を授けました。果たして駿河で、ヤマトタケルは敵の火攻めに遭います。彼は授かった剣で周囲の草を薙ぎ払い、袋を開けて見つけた火打石で向かい火を放ち、九死に一生を得ました。スサノオがヤマタノオロチから得たあの剣が「草薙剣」と呼ばれるのは、この出来事に由来する、と原典は語ります。
しかし、その帰路は悲劇でした。海が荒れて船が進まなくなったとき、妃の「オトタチバナヒメ」が、自ら荒ぶる海神への生贄として入水し、夫の航海を救います。
さらにヤマトタケルは、伊吹山(いぶきやま)の荒ぶる神を、油断から素手で討とうとして、神の放った氷雨に打たれ、深い病に倒れてしまいます。このとき、肝心の草薙剣を妻ミヤズヒメのもとに置いてきていたことが、命取りになったとも語られます。
故郷の大和を目指しながら、力尽きていく道中、ヤマトタケルは望郷の歌を詠みました。「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまごも)れる 倭しうるはし(大和は国々の中で最もよい所だ。幾重にも重なる青い垣根のような山々――その山に囲まれた大和は、ほんとうに美しい)」。この「国偲(しの)び歌」は、古代日本の心を伝える名歌として知られます。
そしてヤマトタケルは、能煩野(のぼの)の地で、ついに故郷に帰り着けぬまま息を引き取ります。その魂は一羽の白い千鳥(白鳥)となって天へ飛び立ち、人々が追いかけても、海を越えて飛び去っていったとされます。父に疎まれながら国のために戦い続け、望郷の思いを抱いて倒れたこの皇子は、日本神話を代表する悲劇の英雄として、今も深く愛されています。
人代の物語 ― 古事記 中巻・下巻
ヤマトタケルの物語は、『古事記』の中巻に収められています。改めて原典全体の構成を振り返ると、その位置づけがよくわかります。
| 巻 | 範囲 | 性格 |
|---|---|---|
| 上巻 | 天地開闢〜天孫降臨(記事①②) | 神々の物語(神代) |
| 中巻 | 初代・神武天皇〜第15代・応神天皇 | 神話的色彩を残す天皇たちの物語 |
| 下巻 | 第16代・仁徳天皇〜第33代・推古天皇 | より歴史に近い天皇たちの記録 |
中巻には、神武東征やヤマトタケルのほか、サホビメの悲劇(兄と夫のあいだで引き裂かれる后)や、神功(じんぐう)皇后の物語などが収められます。下巻に入ると神話色は薄れますが、それでも心に残る挿話があります。たとえば第16代仁徳天皇の「民のかまど」の逸話です。高台から民の家に炊事の煙が立たないのを見た天皇は、「民が貧しいのだ」と察して三年間すべての税を免じ、自らは雨漏りのする宮殿で耐え忍びました。やがて家々に煙が満ちると、天皇は「民が豊かなのは、私が豊かなのと同じだ」と喜んだ――徳ある統治の理想を語るこの話は、『古事記』が単なる神話集ではなく、天皇のあるべき姿を伝える書でもあったことを示しています。
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まとめ
本記事では、『古事記』をもとに、天孫降臨から初代天皇による建国、そして英雄ヤマトタケルまでを詳しく解説しました。如何だったでしょうか。
アマテラスの孫ニニギの「天孫降臨」と三種の神器、寿命の由来となったコノハナサクヤビメ、釣り針をめぐる「海幸彦・山幸彦」、そして八咫烏に導かれた「神武東征」を経て、天上の神々の血筋が地上の天皇家へとつながっていくという、『古事記』の大きな流れを感じていただけたかと思います。
ここまでの記事①〜③で、原典『古事記』が伝える神話をたどってきました。次回の記事④では、もう一つの原典『日本書紀』に目を移し、同じ神話を「正史」がどう記し、どんな異伝(一書)を併せ伝えているのかを解説していきます。
日本神話の原典の全体像や、他の記事へのリンクは、以下のまとめ記事を参照してください。
日本神話の神々や英雄の強さについては、こちらのランキング記事も参考にしてみてください。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
📚 シリーズ:日本神話の原典解説(4/6)