『星のカービィ』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズの生みの親・桜井政博さんは、YouTubeチャンネル「桜井政博のゲーム作るには」でゲーム開発のノウハウを数多く公開しています。この記事は、そのチャンネルの内容をテーマごとに要約・再構成したものです。
ただし、要約はあくまで入り口にすぎません。桜井さんご本人の言葉・実例・テンポ、そして映像そのものからしか得られないものが本当に多いので、記事を読んで終わりにせず、ぜひ各テーマに埋め込んだ元動画もあわせてご覧いただくことを強くおすすめします。
遅延の撲滅やゲーム史、初代カービィ開発秘話、岩田さんとの思い出まで、肩の力を抜いて楽しめるカテゴリです。ここでは「雑談」カテゴリの全6本(個別動画31テーマ)の要点を、元動画6本に沿った6部構成でまとめていきます。各部の冒頭に解説動画を置いているので、あわせてどうぞ。
第1部 遅延の撲滅・ゲームの賞・ソフトの価値・在宅支援(#01〜#09)
このカテゴリは文字通りの雑談。それでもゲームに関係する話がほとんどです。肩の力を抜いて、桜井さんの考え方や日常に触れられる回となっています。
1. 遅延を撲滅してほしい
いかにレスポンスに優れたゲームを作っても、画面の表示に遅延があると台無しになります。スマブラスペシャルをE3のトリーハウスで実プレイした際、かなり遅延が大きく操作感を損ねていました。設営スタッフが何人も触っていたはずなのに見過ごされていた——つまり多くの人にとって遅延は分かりにくいものなのです。
遅延の原因には表示遅延(後処理による)と応答速度(液晶ピクセルの変化速度)があり、特に表示遅延が問題。テレビがゲームモード・低遅延モードに対応しているか確認し、活用してほしい。なければ「綺麗にする」モードを片っ端から切ると改善する可能性があります。音だけ遅れる場合(ホームシアター経由など)は、遅延の少ない接続を地道に探すしかない。60フレームなら1フレームの遅延は約16.67ミリ秒。ぜひ遅延を撲滅してほしい、ゲームの快適さが違ってくるから、と訴えます。
2. ゲームに与える賞
日本ゲーム大賞の活動をしておいてなんですが、と前置きしつつ——ゲームに対する賞って、誰が何の権利で行っているのか。桜井さんの考えは「その人が良いと思ったものがナンバーワン」。多くの価値観・方向性があるゲームで一等賞を決めること自体には、あまり賛成できないと言います。順位やランクではなく、ゲームの良さはそれぞれの方向性だからです。
ではなぜ賞があるか。作った人や支えたファンに喜んでもらうため。良いものを作った人に売上以上の喜びがあった方が良く、これは歓迎されるべきこと。だからこそ賞をレースとして見るべきではない——何かの順位が上がって別の何かが下がるわけではないのです。
桜井さんが審査委員長を務めるゲームデザイナーズ大賞は、独創性をテーマに、ディレクターから票を集めて賞を与えています。日本ゲーム大賞は得票数が基準で人気票になりがちですが、商業と関係なく、独創性の苦しみを味わったディレクターが拾い上げることに価値がある。新たな目を育てるためにも、票数だけで決まらない賞があった方が良い、とのことです。
3. ゲームしながら運動のすすめ
ゲームは時間がかかるもったいない。そこで桜井さんはゲーム時間と運動時間を重ねています。具体的にはエアロバイクを漕ぎながらゲーム。運動は辛くて長続きしませんが、ゲームをしながらだと辛さを忘れられ、思ったより長時間運動できる。レースゲームのようにスピードが出ると思い込めば効果が高い(やりすぎ注意)。2時間漕いでいることもあるそうです。
なおエアロバイクを漕ぎつつ、もう1つのテレビで番組を見ていることも多いとのこと。桜井さんは自身を「運動嫌い」と言いますが、運動するとしないのとでは明らかに仕事の能率に差が出る。コロナ禍でジムをやめ不摂生しがちなので、家でも体を動かす習慣をつけたい、と。可変式ダンベル(グリップをひねって重さを変えられる)が便利だったそうですが、マンションの階段500段は足を故障したのでやめた——何事もやりすぎにはご注意を。
4. ゲームソフトの価値
「ゲームソフトって高くないですか」とよく言われますが、桜井さんはだいぶ安いと思っています。1人の大人の感覚として、これだけ多くの時間を費やせるものをこの価格で提供できるのはなかなかない。食事や飲み会、映画、ドライブ、旅行……何をするにもお金は使われます。
それに比べ、トリプルAタイトルでも1万円いかずに何十時間も遊べる。ゲームの規模や制作物は昔の何十倍にもなっているのに、価格はそれほど上がっていません。制作にも販促にも多大なお金が動くことを知っているので、やはり安いと思わざるを得ない。近年はサブスクリプションという、もっとお得な娯楽も登場。消費者には良い時代ですが、制作者は過去作との競争という苦しみもある。遊びたいものは躊躇なく購入し、サブスクならプレイして制作を支えてほしい、と語ります。
5. 愛猫ふくらし
今度こそゲームと全く関係ない話。Twitterの「今日の1枚」より開けてくれと言われたのが、愛猫のふくらし(メス)。桜井さんが家で最も多く呟いてしまう言葉は「可愛い」だそう。鳴き声は高く、スリスリとすり寄ってきて、本当に可愛い。最も猫らしくわがままだけれど、王様だからしょうがない。風呂上がりにチュールをあげるのが日課——という、ほっと一息つける雑談でした。
6. 昔は昔 いまはいま
「ゲームは昔の方が良かった」と思う人は多いかもしれません。音楽が覚えやすかった、新規タイトルが次々飛び出していた、ゲームに謎やファンタジーがあった……。自身の試行錯誤で成し遂げる冒険は最高でした。
ただし昔は昔、今は今。未来から見れば今この瞬間も過去なのだから、今を最大限楽しむのが一番。ゲームの面白さは絶対的でなく相対的で、時代や環境、技術の度合いで変わります。昔のゲームにも魅力やアイデア性はあるものの、総合的な面白さは洗練され大型化した現代のゲームに及びません。多感な時に触れた作品は深く残りますが、それに及ばないからと現代のゲームを楽しめないのはもったいない。現代は昔のゲームも何らかの形で楽しめるのがありがたい。新しいものにチャレンジするのが良い、と語ります。
7. 有限会社ソラ
桜井さんの会社の話。有限会社は2006年の会社法以降、新しく建てられなくなりましたが、面白いので今もこのままにしているそう。有限会社ソラは他社と契約するために建てた会社で、一般的なゲーム制作スタッフはほぼおらず、募集もしていません。
普通は独立すると会社を建ててスタッフを雇いますが、社長業に忙殺され制作に専念できないことが多い。桜井さんは1人のディレクターが単体でブラブラしているのも面白いと考え、他社の助っ人としてゲーム制作することが多いそう。収入は開発中は費用をいただかず、発売して売上が出てから売上に応じて得る契約が多い。途中で流れたら収入はゼロ(責任がなくても)というハイリスク。メーカーがソフトを売って初めて利益になるリスクを共有するため、あえてそうしている。履歴書を送ってこないでください、スタッフが欲しいこともあるが別の形で苦面したい、と語ります。
8. ダウンロード派? パッケージ派?
家庭用ゲームを買う時、パッケージ派かダウンロード派か。パッケージは物として残りコレクションでき、ダウンロードは思い立ったらすぐ買えてかさばらない。桜井さんは断然ダウンロード派。たくさんソフトを買うがコレクター気質ではなく、独立後は収納スペースを確保できなくなったからです。
パッケージを重視せずその時に遊んだことを重視している。ただし家庭用のダウンロード販売は高い——機器もこちらで用意し付属物もないのにパッケージ版と大差ないことがある、と苦言も。とはいえ、どこでも選べる自由があるのはありがたい。多くプレイする身としては、好みのフォルダ分けができるようにしてほしい、とも。なお本も電子書籍派で6000冊以上あり、とにかくスペースが大事だそうです。
9. ソラの在宅支援策
スマブラスペシャルはコロナ禍で全面テレワークに切り替えました(2020年4月早々)。高い一体性を誇るチームのテレワークは大変ですが必要なこと。アンケートを取ると、通勤・空調・トイレ待ちの改善は目覚ましかった一方、椅子やリファレンスモニターがない、回線が遅い、テストプレイができないといった問題が上がりました。
特に机と椅子は体を壊すので、有限会社ソラで予算枠を作り在宅支援を実施。スタッフはテレワークに必要なものを自由に選び、Amazonの商品ページを送ればソラが注文して住所に直送、返却不要で私物にしてOK。机・椅子・モニター・ウェブカメラ・ヘッドセットなどが配られました。混合チームで各社の申請・承認に時間がかかるため、最大のスピード感を持って取り組むためソラが負担したのです。非常に喜ばれたとのこと。結局チームは最後までテレワークを継続。1ディレクターの感覚として作業ペースは3割ほど落ちている印象ですが、どんな状態でも柔軟に進められるようにしたい、と結ばれます。
第2部 過去との競争・目の疲れ・マスターアップ・初代カービィ開発秘話(#10〜#14)
中盤の目玉は、最後の初代『星のカービィ』開発秘話。低容量ゆえの工夫の数々と、スマブラのルーツまで明かされる濃い内容です。
10. 過去との競争
ゲーム作りも厳しいけれど、映像制作の世界はもっと大変——桜井さんはそう感じています。サブスクリプションは見放題の夢のような仕組みですが、現在作られる作品は、何十年も前の作品と同列に並んで競争にさらされるのです。視聴者の時間は、新作も過去作も同価値で奪い合われる。これはなかなか過酷な競争です。
その点、過去との競争という意味では、ゲームはまだマシかもしれません。昔のゲームも多く移植されていますが、同列で奪い合うわけではない。技術の進歩が目覚ましく、昔のグラフィックや操作性で満足できるとは限らないし、1980年代のゲームは規模が小さくパッと遊べて、映画のように同じ尺で測れるものではないからです。
映画・ドラマ・アニメ・ゲームといった娯楽は、作り手が好きで向き合っているからこそ支えられる市場。そこで頭1つ抜けるには、より斬新な、その作品にしかないものを作るのが一番。過去と現在で競争が起こっていることは意識して損はなく、視野は広げた方が良い。「私も日に需要なチャンネルで頑張ります」と、ユーモアで締めます。
11. ゲームと目の疲れ
桜井さんはスマホゲームをあまりプレイ「できません」。目が極端に疲れてしまうからです。スイッチの携帯モードも同じで、テレビモード専用。手に持つ位置での長時間プレイは極力避けています。仕事環境で目とモニターの距離が60cm弱になると、目が疲れるのが早い。元々遠視気味で、近くにピントを合わせるのが年々厳しくなっているそうです。
新パルテナの開発後に視力が落ちたと感じ、眼科で測ると当時で視力2.0。今は1.5になっているそう。現在はモニターを1m以上離す方が楽で、その分大きいモニターが必要になりますが快適。スマブラスペシャル開発時の極端な疲れ目やドライアイは、終わったらかなり改善されたとのこと。明るさ調整・眼鏡・目薬・サプリなど方法はありますが、結局は環境が変わることが一番効く。とはいえ寝る前にiPadを吊り下げて本を読み、眠くなるとそばに落とす日々だそうで、「これはこれで」と苦笑します。
12. マスターアップ
完成版が納品されることをマスターアップと言います。さぞすっきりする瞬間と思われがちですが、必ずしもそうではありません。そこに至るまで何かを捨てる厳しい判断もあったはずで、オンラインアップデートが可能なら取りこぼした問題解決を続けることになる。どちらかというと傷ついていることの方が多いかも、と。それでも苦楽を共にしたスタッフには「お疲れさまでした」と言いたい、と語ります。
ファミコンやゲームボーイの時代はネットがないので、完成したROMを握りしめ、新幹線で京都の任天堂本社や工場に直接運ぶハンドキャリーでした。望みもなかったり出来立てだったりするROM——徳の塊を持って遠くへ行くので、なかなか緊張感のある旅。ROMに刻み込まれアップデートもない時代は終わりがピシッと決まっていましたが、昨今はオンラインアップデートがあるぶん区切りの印象が薄い。多くのゲーム開発者がこんな厳しい思いをして完成を迎えているのかと振り返り、世界中のマスターアップを迎えた人々におめでとう、と結びます。
13. ファミリーコンピュータ
桜井さんはファミコンのソフト開発をしたことがある(『星のカービィ 夢の泉の物語』)数少ないディレクター。同年代でファミコン開発経験者は少なく、業界入りが早い桜井さんでもギリギリでした。ファミコンは1983年7月15日に日本で発売。当時としてはずば抜けてよくできていた——美しいグラフィック、響く音楽、滑らかで高速な画面処理、操作しやすいコントローラー。しかも高くなく、ソフトが面白い。『ドンキーコング』がほぼそのまま遊べたのは衝撃的でした。
桜井さんも1983年に購入。当時のコントローラーは四角ボタン(ゴム製でめり込みやすく、最初の1年強だけ)。海外では2年後の1985年にNESとして登場し、北米が最初。その2年で日本ではゲーム技術が急上昇(発売年の『マリオブラザーズ』24KB→1985年『スーパーマリオブラザーズ』40KB)。海外には低容量時代の作品も混在し、ボリューム差に驚いた人もいるかも。カスタムチップや、日本版にあった拡張音源端子で進化を遂げました。1988年の『ドラゴンクエストIII』は社会現象。もしファミコンがなかったらゲーム業界の形も違っていた、当時は夢のマシンだったと話しておきたかった、とのことです。
14. 初代『星のカービィ』開発秘話
2017年のカービィ25周年コンサートで行ったプレゼン「初代『星のカービィ』開発秘話」を、特別に再演。初代カービィは1992年ゲームボーイ。コピー能力はまだなく、企画を立てたのは1990年5月頃、桜井さんが19歳の時。初心者にゲームの楽しさを伝える企画で、慣れた人なら20分で終わるほど短いものの、全世界500万本以上を売り上げました。
開発ツールはツインファミコンに自作のトラックボールを付け、ディスクで開発ツールを読み込んでそのまま開発機にしたもの。他社では例を見ない高性能ツールで、ドット絵もキャラの動きも背景もタイトルも作れる「万能ツール」でした。目指した容量は512KBで、この低容量を逆手に取ったキャラ設計が随所に。ワドルディとワドルドゥは背中側の絵を共用して1.5匹分の容量で2匹、ウィスピーウッズは1枚を上下反転して3つ並べ背景に貼る、クラッコやゴルドも反転や1パターン転用……。1キャラを詰める工夫の連続でした。
さらに驚きなのが、敵は地形判定をしていないこと。坂を降りるような動きをあらかじめ作っておき、背景に合うよう配置するだけ。非効率に思えますが処理が軽く、ゲームボーイでは買えがたいメリットでした。そして最大の発見——初代カービィの企画書に、「自機が吹き飛び、画面外に出るとワンミス」「体力で吹っ飛びが変わる」と書かれていたのです。これはまさにスマブラの蓄積ダメージシステム。1990年・初代カービィの時点で考えられていた事実に、企画書自体が証拠となります。なぜスマブラに入れたのか——答えは「正直忘れてた、ちゃんちゃん」。おまけのメタナイトのマスク(時代ごとにスリットのデザインを見直している)や、スーパーデラックスの試作キャラの話まで、初期段階から可能な限りイメージを仕上げ、スタッフが迷わず進めるようにという姿勢が貫かれていました。
第3部 開発中止の判断・PRESS STARTの10年・こどもの頃のゲーム(#15〜#17)
今回は、世に出なかった作品の話、ゲーム音楽コンサート、そして桜井さんの少年期という3本立て。普段は語られない裏側と原点に触れられる回です。
15. 開発中止
開発を進めていたけれど世に出なかった作品は山ほどあります。桜井さんも、いろんなタイトルが中止になるのを開発者として見てきました。一般への発表前に静かに息を引き取った作品が多く、中にはあっと驚くシリーズも。何ヶ月、何年もかけたものが日の目を見ないのは、開発者にとってかなり心に来ることです。
一方、会社員として制作していれば成果が上がらなくても給料はもらえるはず(会社がなくなっていなければ)。開発中止や延期の影響をもろに受けるのは会社です。収益を失い維持費は損なので、1本逃すだけでも会社が傾く。開発中止はこれからかかる費用と利益見込みのバランスで判断されることが多く、損切りに耐えきれなければ適切に引くのも正しい営業判断。開発者もリスクや想定を意識すべきで、与えられた仕事をこなせば物は完成すると考えない方がいい。完成に向け何が適切かを俯瞰できるほど有利になります。無事に発売されるのがありがたい、というお話でした。
16. PRESS START(ゲーム音楽コンサート)
桜井さんは2006年からの10年間、年1回のゲーム音楽コンサート「PRESS START」を主催していました。様々なゲームのオムニバスで、東京を主体に横浜・大阪・名古屋、海外では上海・パリでも開催。指揮の竹本さん、作曲家の植松さん・酒井さん、シナリオライターの野島さんらと、2002年のFFとスマブラDXのコンサートの縁で始まりました。酒の席の話で終わるところを、本当に実現してしまったのです。
かつて山口先生のゲーム音楽コンサートで、生演奏で『スーパードンキーコング』を聞いた時、本当に巨大なコングが現れるのではと思った——その場で織りなす生演奏の力を思い知ったそう。ゲーム音楽のオーケストラが理解されにくかった時代に、地位向上のような活動をされた先人への尊敬の念を語ります。
制作はまず曲決めから。ゲームに詳しいのはメンバーの中で実質桜井さんだけなので、音源を集めて会議で聞いてもらい絞ります。映像は、出しすぎると演奏自体が宣伝にならないので過剰には出しませんでした。開催ごとに概ね満席で成果を得ましたが、本番14〜16曲・メドレー込み60曲前後を、本職の合間にボツ分も含めてリサーチするのは無理があった。それでも最初から「10年続ける」という目標を持って始め、完成できたのは素晴らしい。その後ゲーム音楽コンサートも増え役割を終えたが、コロナで生演奏は苦境に。生で楽しむ機会は何にも代えがたいので、機会が増えたら足を運んでほしい、と語ります。
17. こどもの頃のゲームの話
完全に雑談として、桜井さんが子供の頃どうゲームに触れていたか。最初の記憶は、ポンのような可変抵抗でパドルを動かすゲーム。ダイヤルをひねるとテレビの中のものがダイレクトに動き、ギラギラ発光する——子供の桜井さんにとってすごい感動でした。スペースインベーダーブームの1978年頃は7〜8歳。多彩なアーケードゲームが乱立する時代です。
日曜は家族の買い出しで、親から渡された200円(50円ゲーム4回)を握りしめゲームコーナーへ直行。使い切るとホビー店の試遊機で遊び、親が迎えに来て帰る——親と離れて行動するのが普通だった時代の話です。立川のゲームセンターやデパートのゲーム・ラジコン大会にも参加し、両手に別々の大会の景品を抱えて帰ることも。ゲームはまあまあ得意だったよう。日本ファルコムが立川にあり、パソコンショップと開発室が併設で、メーカーの制作現場を生で見た最初だったかも、と振り返ります。
子供の頃に楽しんだものや喜びは、大人になった時の思考に大きく影響する。今は作り手として、知らない誰かの幼少期に影響を与えているかも。コロコロコミックの2019年データで最も人気のゲームがスマブラスペシャルだったそうで、「画面の中のものがギラギラ動く感動」から始まった自分が、世代を超えてつながっている——「最初から高度なゲームがある世代はどう感じるのかな」と、子供の頃の雑談を締めくくります。
第4部 スマブラXの組閣・ガイドライン・レア物・数字でドット絵(#18〜#24)
今回の目玉は、スマブラXのチーム発足(組閣)の舞台裏。フリーになった桜井さんが、いかにスマブラXを作ることになったのかが語られます。
18. スマブラXの組閣
企画コンセプト編のスマブラXの回で触れた、チーム発足(組閣)の舞台裏。前提として、当時の桜井さんはDXまで作っていたHAL研究所をやめ、フリーになっていました。2005年5月、E3前日の任天堂発表会で新作スマブラの制作が発表されましたが、桜井さんはその時点で何も聞かされていなかったのです。
E3開催中のロサンゼルスで、岩田社長が滞在するホテルの最上階に呼ばれます。リクエストは「なるべくディレクターに近い形でスマブラ制作に勝ってほしい」。発表したのは、任天堂のWi-Fiネットワーク展開の際、日米ともに希望の筆頭がスマブラだったから。開発体制は全く決まっていなかったそうです。
フリーの桜井さんは既に他のソフト制作依頼を受けており、割り込みは筋が通りません。「断ったらどうするのか」と聞くと、岩田さんは「Wi-Fi対応のみに絞り、DXの26体に手をつけるな、と指示するかもしれない」と。それでは新作として問題でしょうが、いきなり誰かがスマブラ新作を作れるイメージがなかったのだろう、と桜井さん。引き受けを決めたのは、ゼルダのプロデューサー青沼さんの言葉に代表されます。「桜井さんが関わらないことはスマブラの終わりを意味する」——自分しかできず、求められ、原作者にも要望されている。腹をくくったのです。
スマブラは専属でないと無理なので、進行中だった『甲虫王者ムシキング』以外をすべてお断り(今でも申し訳なかったと)。制作はHAL研究所ではなく、対戦系ゲームを作り終えた直後のゲームアーツが母体に(宮本さんの紹介)。スタッフはアナログスティックが消しゴムのようにすり減るほどDXをやり込んでいてやる気十分。高田馬場に新オフィスを構え、約100人強でスマブラXを作り上げました。シリーズ作を元の会社が手掛けず、フリーのディレクターを中心に組織するのは非常に珍しいこと。俗人性をなくすという考え方はあるが、今のところ自分が外れたスマブラはイメージできていない、と率直に語ります。
19. ガイドライン
製作物にはガイドラインが存在し、満たさないものは製品やサービスとして提供できません。例えばテトリスは、地面でブロックを回すと固着されず無限にずらせるなどの法則が、ザ・テトリス・カンパニーが2002年頃に制定したガイドラインで統一されています。昔のテトリスは操作や回転の法則がバラバラで遊びにくかったので、これは世界共通で意味のあること。
一方、作り手は自由に物作りがしたいのでガイドラインが妨げになることも多い。レーティング、プラットフォーム、ショップ、オンラインサービス、自社……と複数のガイドラインを満たすので矛盾も生じます。狙った表現がガイドラインでできず、プレイヤーにはそれが分からないと印象が良くならないことも。テトリスもアーケードで収益性に問題がある時は例外が認められるそう。結局はガイドラインも人が決めること。許されるなら、どんなガイドラインもより柔軟にできればいい——いいものができるのが一番だから、と語ります。
20. レアものご紹介
「コレクターではない」という桜井さんですが、立場上レアなゲームグッズを色々持っています。市場に回りようがないものをいくつか紹介。似顔絵付きのWiiリモコン(Mii実装直後に任天堂がプレゼント)、新パルテナの3光用にピット/パルテナを3Dプリンターで作った原型、宮本さんのサイン入りソフト、漫画家・福満しげゆき先生が描いた凝った新パルテナのサイン……。
さらに、プレートに桜井さんの名前が入ったXbox360エリート(Microsoftからのプレゼント。本体はレッドリングで壊れ、名前プレートだけ世代を引き継いだ)、1980年代後半のセガの企画募集で得たセガ準開発員証ナンバー4(アクティブタイムバトル風のアクションゲームを応募した記憶、とのこと)。これがセガとの縁で、業界入り後もムシキングやスマブラのソニック、アフターバーナーで度々訪れたそうです。あんまり値段がつかなそうな一点物を中心に、見ているだけで楽しい紹介でした。
21. ゲーム&ウオッチのスクリーン
ゲーム&ウオッチは1980年から販売された任天堂のLSIゲームシリーズ。スマブラ開発時に貴重な液晶パターンを資料としていただいたそうで、今回は特別に任天堂の許可を得て、いくつかのパターンを紹介しています。
液晶にあらかじめ描かれた絵柄が点灯・消灯する仕組みで、その時代ならではの創意工夫が詰まっています。見ているだけで面白く、限られた表現の中でいかにゲームを成立させたかが伝わる——そんな貴重な資料の披露でした。
22. 制作者も変わっていく
早くから業界入りした桜井さんは、周りが年上ばかりでした。先輩や業界の重鎮も、年を重ねるうちにどんどんいなくなり、「どこで何をやっているのだろう」と思うことも。働き盛りでゲーム業界から姿を消す人も山ほどいます。
知っているクリエイターの音沙汰がなくなっても、「あいつは終わった」という言い方をしないでほしいとのことです。意外と他業種で大成功している人もいる(特許で儲けた人、別業種で先進的なことをする人)。活躍が目立たなくても本人は充実した仕事を見つけている場合もある。年を経て違うことを始めるのも自然で、同じ立場でい続ける方が普通ではないのかも。作り手がその時のファンの望みに即し続けるとは限らないが、それを否定しない方がいい——他でより望まれているかもしれないから。誰もが自由に道を選び、異なるステージで頑張っている。「私は今のところゲームを作りつつ、この番組も提供している。これも立場を少し変えた結果」と振り返ります。
23. 数字でドット絵を描いていた
大昔、マイコンと呼ばれたパソコンでゲームを作るには、グラフィックツールがなく、数値(データ)でドットを打つ必要がありました(1980年前半頃)。当時のマイコン少年がどう絵を描いたのかを解説します。
鍵は16進数。10進数は0〜9で桁上がりしますが、16進数は9以上にA〜Fを当て、Fで一巡。16進数の1桁で4ドット幅の塗り分けを表現できます(1なら右端、Fなら4つ全部塗りつぶし)。2桁で8ドット幅、それが8行あれば8×8ドットの絵が1つできる寸法。方眼紙に描いて目で数えて読み取ることが多く、桜井さんは十字を引いてなんとなくの位置で拾っていたそう。
カラーは、ファミコンのように3色なら同サイズのドットデータ2枚を重ね、「何もない/片方だけ/両方」の組み合わせで抜き+3色を表現。データ圧縮(000より0×8と書く方が短い)も行いました。今は楽になった以上に複雑なテクニックを要するので比較になりませんが、原点を見るのは面白い、と。授業中に友人のポケコンを借りてゲームをいじった思い出も語りつつ「授業は真面目に受けた方がいい」と笑います。
24. プレゼントを遊びに
特にコロナ前、オフィス勤務だった頃は、スタッフへのプレゼント企画をよく行っていました。メーカーからもらったがダブったゲーム、間違えて複数買ったもの、グラフィックボードやゲーミングモニターなどの高価なもの、スマブライベントのグッズ……。有効活用できるので、スタッフに差し上げていたのです。
ただ配るのではなく、抽選自体を余興に。希望者を募って日報ページに並べ、勝ち抜きじゃんけん、開発中のスマブラで決着、「先にメガンテを唱えた人が勝ち」「希望が届いた時間が0秒に近い人優先」など(ルールは最初は伏せる)。抽選をゲーム化しイベントにすることで、スタッフ同士の準活にもなった。せっかくあげるなら楽しんだもの勝ちですから。近年は毎年誕生日にスタッフから祝福をもらうそうで、ディレクターとスタッフの仲が良い証。こういう開発は良い、と温かく結びます。
第5部 誰の足跡も無い世界・伝説の1986年・収納術・生演奏でゲーム(#25〜#28)
今回は、作品の楽しみ方、ゲーム史、収納術、そして生演奏ライブという多彩な4本立て。桜井さんの流儀と趣味が垣間見える回です。
25. 誰の足跡も無い世界
桜井さんは、誰も踏み入れたことがない雪の上を1人歩くような作品の楽しみ方を好みます。何も知らない、誰も通った跡がない——そういう意味で、オンラインのマルチよりオフラインのソロが好きだそう。
楽しむと決めた作品は徹底的にネタバレを防ぎます。話題が出ればあらゆる情報をシャットアウトし、映画館で予告が出ようものなら目を閉じる。攻略サイトもゲーム実況も見ず、行き詰まっても確認は最後の手段。何の偏見もないところから、自分が思ったことだけを全てとして眺めたいのです。そうすれば感動を100%享受できる。
今の時代はすぐネタバレに突き当たり、シナリオベースの作品は大変。でも、たまには自分の感覚だけを頼りにプレイするのも面白いとあえて勧めます。少なくとも感じられることはぐっと増える。作品を勉強する意味でもこれに越したことはなく、他人の感想は終わった後で探せばいい。時代遅れの自覚はあるが、鮮度を持って作品を楽しめている。いろんな驚きで作品に向き合い、そういう楽しみを作る人は本当にすごい、と語ります。
26. 伝説の1986年
ゲーム業界で最もすごかった年を1つ挙げるなら、桜井さんは1986年と言いたいそう。この年に、その後シリーズ化して生き続けた有名タイトルが数多く誕生しました(そのほとんどが何らかの形でスマブラに出ているのもすごい、と)。
なぜラッシュになったか。1986年はディスクシステムが発売され容量が飛躍的に拡大、メガロムも登場してできることが一気に増えました。当時はゲームがものすごく上向きで、家庭用・アーケード・PCが互いの持ち味を生かしてしのぎを削っていた。ハードもソフトもどんどんすごくなるものに人が引かれるのは必然です。欧州でNESが発売された年でもあり(北米は前年)、日本では隠れキャラや裏技が流行し、未知の情報への驚きと喜びが高かった時代。反面、膨大化・高難度化で知らない人には厳しすぎる面もあった、とリアルタイム世代として述べます。余談として、1986年は『ルクソー Jr.』(ピクサー)が公開された、エンタメCGの幕開けの年。先人が切り開いた道の延長線上に我々がいるのだから、新しい道を作っていきたい、と結びます。
27. 収納のしかた
桜井さんの収納術の紹介。膨大なゲームがあり収納は死活問題で、中古に売らないのでパッケージがかさばります。やむなくパッケージは処分し、省スペースで収める工夫の数々。
- ファミコンはカセットテープのケースに収納(タイトルと発売年をラベル表記)
- 圧倒的多数のCD系は不織布ケースに機種ごとに(Blu-rayも今のところトラブルなし)
- ゲームキューブの小さいディスクはシングルCDサイズに、PSPのUMDは小物ケースがぴったり
- コントローラーは棚にまとめ、よく使うものは側面のフックに
- 古いハードはダンボールで業者ストレージへ(個別に送り返してくれる)
極めつけがオーダーメイドのゲーム木棚。6つの扉に別々のハードを格納し、リモコン付きセレクターで自由に切り替えられます。XSX・PS5・Switch・PS4・PS3・Wii U・ミニハードを集約。排熱を考え、使う時は扉を奥に収め、後板を抜き、特に熱を持つXSXとPS5は天板も抜く。ケーブルは背面中央から真下へ、コンセントは個別スイッチでオンオフ。自分で寸法を考えた最高に便利な逸品で、自室用とリビング用に2台あるそう。整理は面倒でも、今やらないともっと面倒になる。仕事柄、古いゲームが役立つ時もあり(この番組の映像など)、ちゃんと保管しておいて良かった、と語ります。
28. 生演奏でゲームプレイ
フルオーケストラの生演奏をバックにゲームをしたことがありますか。桜井さんはあります。PRESS START 2012で、『新・光神話 パルテナの鏡』の12章・空中戦をプレイし、オーケストラ演奏を展開に合わせたのです。空中戦は5分間。中ボスの破壊タイミングなどにオーケストラを合わせる必要がありました。
しかも難易度は最高の9.0、自機は一撃でやられかねない厳しい設定。ゲームオーバーになれば演奏は中断、2度目はなくお客さんは損をする——という緊張感。こうしてゲームと演奏のライブが始まり、見られたお客さんは手に汗を握ったことでしょう。
PRESS STARTはライブでやっていることが命。その場限りのお楽しみで、演奏も演じて流れてその場で終わる。だからこその良さがあり、こういうライブの試みができたのは本当に良かった、おそらく一生忘れられないと桜井さん。動画では、12章空中戦がどういうものか、PRESS STARTの演奏と合わせて披露しています。初期化爆弾を阻止し要塞に踏み込むまでの、ピットとパルテナの掛け合いとともに——他では味わえない経験となったのですね。
第6部 なんでも対戦ゲーム・ブラウン管・岩田さんのこと(#29〜#31)
雑談カテゴリの締めくくり。最後は桜井さんにとって最大の理解者だった、岩田聡さんとの思い出が語られます。
29. なんでも対戦ゲーム
コロナ前は桜井さんの自宅にもお客が訪れていました。ゲームが豊富なので遊ぶネタには困りません。その中で時折やっていたのが同じゲームを同時に2つ進行させ、進捗を競う「同時進行対戦」。2人同時に始め、先にやられた方が負け、スコアが多い方が勝ち、というルールです。
これはゲームセンターCXとのコラボでも行った遊び(桜井さんと有野課長が同じゲームを同時に競った)。あっさりミスになるアーケードゲームに特に向いています。ゴールを設ければ「先にスライムを3匹倒した方が勝ち」と、ドラクエさえ対戦ゲームに。ライバルの進捗が見えてだいぶ盛り上がり、決着がつけばパッと次のゲームへ切り替えるので、数十本を遊んでいろんなゲーム筋肉を試される感覚。同じソフトを2本用意する必要はありますが、友達同士ならNintendo Switch Onlineを持ち寄る手も。対戦ゲームでないゲームの対戦を試してみては、と勧めます。
30. ブラウン管
もう馴染みのない人も多いですが、昔のゲームはブラウン管でした。記録の一部として雑談します。ブラウン管は中身が真空で、電子ビームを照射して蛍光体を赤緑青に光らせる仕組み。細いビームが左から右に1列ずつ高速で描き、その残像で映像を結びます。それゆえ画面が少しちらつく。スーファミ・N64・ゲームキューブ頃まではブラウン管で、奥行きがあり大きいので上にフィギュアを並べる人も多かったそうです。
ゲーム的な特徴は3つ。まず反応が早い——液晶よりバッファや映像処理を挟まず応答速度が速く、ハイスコアラーがこだわることも。次にギラギラした画面——発光体なので白の輝きが違い、ハレーション込みの絵作りが好きな人もいます(桜井さんも好き)。そして光線銃が遊べる——当時の光線銃はカメラのようなもので、引き金を引くと走査線がどこを描いているか判定し、判定対象に白い枠を表示してそれを捉えるとヒット。液晶では反応させにくい仕組みです。
なおNTSCの走査線は基本525本。奇数ラインを描いてから偶数ラインを描くインターレース方式で、ゲーム機は奇数と偶数で別の絵を描くことで秒間60フレームを表現していました。またファミコン時代には安全フレームという概念があり、ブラウン管は画面の端が見えないので、その辺りでキャラが壊れていても当時は問題なかったそうです。昔のゲームはブラウン管で表示されていたのが大前提で、市松模様のドット絵などは今と全く違う風合いに感じられた、というお話でした。
31. 岩田さんのこと
最後の雑談。岩田聡さんのことを語らねばなりません。短くまとめるのが信条のチャンネルゆえ思い出のごく一部ですが、ある1人の目から見た記録になれば、と桜井さんは前置きします。
出会いはHAL研究所の面接で、岩田さんは面接官(当時は開発部長)。実年齢も入社時期も約10年離れていました。印象的だったのはキータイプの早さと、屈託のない笑顔。面接官だって緊張するはずなのに、心底楽しそうに喋る——それがインパクトだったそう。開発に入ってからは、岩田さんは経営側にいたので桜井さんにとって遠い存在でしたが、トラブルがあるとそこに飛び込んで改善していく人でした。仕事内容にあれこれ言われたことはなく、信頼して任されていたのだろう、と。
初代カービィの開発前後、HAL研究所は経営難に陥り、岩田さんが社長として再建に取り組みます。給与が減ることはなく、わずかながらボーナスも出た。『夢の泉の物語』は新人2作目ながら他部署も巻き込んで総動員で作り、良い結果を残せたそう。桜井さんがゲーム制作で唯一岩田さんに直接プログラムしてもらったのは、N64のスマブラの原型「格闘ゲーム竜王」。多忙な中、休日を利用して、非常に楽しげに作ってくださったといいます。「スマブラ」の名の「ブラザーズ」を拾ったのも岩田さん——兄弟ではない者同士の、単に争うだけでない仲間のちょっとした喧嘩というニュアンスが良い、と。
その後、岩田さんは任天堂へ移りますが、スマブラDXが大詰めでバグが頻発した際、経営企画室長の身でありながら、他のプログラマーのそばで直接バグを見つけて直してくださった。他人のコードを読むのは大変なのに、やってのけた。これがなければDXは2001年内に発売できなかったかも、と振り返っています。「岩田さんは、少なくとも私が知る中で最も頭が良い人。感性というより理論で最も良いところを進む。勉強家で、人の心理をよく考え、腹を立てるような局面でも表に出さず分析・提案ができた」と。
任天堂の社長になったのは驚きでしたが、納得感もあった。一般のお客さんから見える「社長が訊く」やNintendo Directは斬新で、岩田さんあってこそ。社長になってからもしばしば会い、東京では多忙の中、自ら会社を回って桜井さんを直接誘ってくれたそうです。2014年に体調を崩し始め、2015年にスマブラ4発売後、成田空港まで桜井さんの車で1時間半ほど送った時が最後のやり取りに。「これだけお肉が食べられるようになった」と喜び、まだ元気そうだったといいます。同年7月、また会う予定が叶わず、訃報が届きました。
「岩田さんは私に対する最大の理解者でした。人徳者であり、普段の努力家であり、サービス精神に溢れ、ゲーム業界を変えた人でした」。もし最初に岩田さんに会えていなければ、桜井さんがしていることは全く異なっていたでしょう。最後に、Nintendo Directで岩田さんがいろんなものに扮して面白動画のようになっていたことに触れ、息子さん曰く「本人はノリノリでやっていた」——そんなエピソードで、雑談カテゴリは静かに幕を閉じます。
まとめ
ここまで「雑談」カテゴリの全6本・31テーマを見てきました。最後に、各部(=元のまとめ動画)の要点を、個別テーマごとに振り返っておきます。
第1部 遅延の撲滅・ゲームの賞・ソフトの価値・在宅支援(#01〜#09)
| # | テーマ | 要点 |
|---|---|---|
| 01 | 遅延を撲滅してほしい | 遅延は体験を台無しに。多くの人は気づかない。TVをゲームモードに |
| 02 | ゲームに与える賞 | 賞はレースでなく、作り手とファンを喜ばせるため。独創性を拾い上げる |
| 03 | ゲームしながら運動のすすめ | エアロバイクとゲームを重ねる。運動は仕事の能率に効く(やりすぎ注意) |
| 04 | ゲームソフトの価値 | ゲームはむしろ安い。規模は何十倍でも価格は据え置き。サブスク時代に支える |
| 05 | 愛猫ふくらし | 愛猫ふくらし。家で一番言う言葉は「可愛い」。ひと息つける雑談 |
| 06 | 昔は昔 いまはいま | 面白さは相対的。昔に及ばないからと今を楽しめないのはもったいない |
| 07 | 有限会社ソラ | 組織化せず単体で動く。開発中は無報酬、発売後に売上に応じて得る |
| 08 | ダウンロード派? パッケージ派? | 断然DL派。物への執着は薄くスペース重視(DL版が高いのは不満) |
| 09 | ソラの在宅支援策 | コロナ禍、机・椅子等をソラ負担で配布(返却不要)。作業は3割減 |
第2部 過去との競争・目の疲れ・マスターアップ・初代カービィ開発秘話(#10〜#14)
| # | テーマ | 要点 |
|---|---|---|
| 10 | 過去との競争 | サブスクで過去作とも競争。ゲームはまだマシ。視野を広げる |
| 11 | ゲームと目の疲れ | 目が疲れやすく携帯モードは避ける。対策は環境を変えるのが一番効く |
| 12 | マスターアップ | 完成はすっきりでなく傷だらけ。昔はROMを新幹線で京都へ運んだ |
| 13 | ファミリーコンピュータ | 当時ずば抜けた夢のマシン。発売の2年で技術が急上昇した |
| 14 | 初代『星のカービィ』開発秘話 | 19歳・低容量の工夫の塊。企画書に既にスマブラの蓄積ダメージが書かれていた |
第3部 開発中止の判断・PRESS STARTの10年・こどもの頃のゲーム(#15〜#17)
| # | テーマ | 要点 |
|---|---|---|
| 15 | 開発中止 | 影響をもろに受けるのは会社。費用と利益の天秤。開発者もリスク意識を |
| 16 | PRESS START(ゲーム音楽コンサート) | 生演奏は巨大コングが現れるよう。「10年続ける」目標をやり切った |
| 17 | こどもの頃のゲームの話 | ポンの感動が原点。デパートの大会で景品を両手に。少年期の体験 |
第4部 スマブラXの組閣・ガイドライン・レア物・数字でドット絵(#18〜#24)
| # | テーマ | 要点 |
|---|---|---|
| 18 | スマブラXの組閣 | 何も知らされず発表。青沼さんの言葉で腹をくくり、ゲームアーツで発足 |
| 19 | ガイドライン | テトリスの回転則など、意味はあるが自由を妨げる面も。良い物が一番 |
| 20 | レアものご紹介 | 似顔絵入りWiiリモコン、名前入りXbox360、セガ準開発員証など |
| 21 | ゲーム&ウオッチのスクリーン | 貴重な液晶パターンを資料に。その時代ならではの創意工夫 |
| 22 | 制作者も変わっていく | 姿を消した人に「終わった」と言わない。別の道で輝くことも |
| 23 | 数字でドット絵を描いていた | ツールがなく16進数で1ドットずつ。8×8を方眼紙で打った時代 |
| 24 | プレゼントを遊びに | 余ったグッズを抽選もゲーム化して配る。チームの仲の良さの証 |
第5部 誰の足跡も無い世界・伝説の1986年・収納術・生演奏でゲーム(#25〜#28)
| # | テーマ | 要点 |
|---|---|---|
| 25 | 誰の足跡も無い世界 | ネタバレを徹底回避し感動を100%味わう流儀。感覚だけで遊ぶ |
| 26 | 伝説の1986年 | 名作シリーズが集中誕生。ディスクシステムとメガロムで容量拡大 |
| 27 | 収納のしかた | 膨大なソフトを工夫収納。極めつけはオーダーメイドの排熱付き木棚 |
| 28 | 生演奏でゲームプレイ | 最高難度の新パルテナを生演奏に合わせプレイ。一生忘れられないライブ |
第6部 なんでも対戦ゲーム・ブラウン管・岩田さんのこと(#29〜#31)
| # | テーマ | 要点 |
|---|---|---|
| 29 | なんでも対戦ゲーム | 同じゲームを2台同時進行で競う。ゴールを決めればドラクエも対戦に |
| 30 | ブラウン管 | 反応が速く・ギラギラ光り・光線銃が遊べた。昔のゲームの大前提 |
| 31 | 岩田さんのこと | トラブルに飛び込む人。経営企画室長の身でDXのバグを直接救った最大の理解者 |
ボリュームはありますが、気になった部から読み返してもらえればと思います。関連するカテゴリもあわせてどうぞ。


















