当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「友情のパラドックス」について解説します。
自分の友達を思い浮かべると、なぜか自分より顔が広い人ばかりに見える。これは謙遜でも自己評価の歪みでもなく、ほとんどすべての人間関係のネットワークで数学的に成り立ってしまう現象です。平均すると、自分の友達は自分より友達が多い。しかもこれは、ほぼすべての人について同時に成り立ってしまいます。
小さな友達関係で確かめてみる
言葉だけだと信じにくいので、4人だけの世界で数えてみます。
AさんとBさん、Cさん、Dさんがいて、友達関係は次のようになっているとします。Aさんは3人全員と友達。BさんとCさんはAさんとだけ友達。DさんはAさんとだけ友達。
一人ひとりの友達の数は、Aさんが3人、B・C・Dさんは1人ずつです。全体の平均は、3と1と1と1で1.5人になります。
次に「友達の友達は何人か」を数えます。Aさんの友達はB・C・Dで、それぞれ友達1人ずつ。Bさんの友達はAさんだけで、Aさんは友達3人。Cさん、Dさんも同様です。
すべての「誰かの友達」について友達の数を並べると、1、1、1、3、3、3となります。平均は2人です。
本人たちの平均は1.5人、友達の平均は2人。確かに友達の方が多くなりました。
顔の広い人が何度も数えられる
からくりは、数え方にあります。
「友達の友達」を数えるとき、私たちは人を一人ずつ平等に数えているわけではありません。誰かの友達として登場する回数だけ、その人を数えていることになるのだと思います。
友達が3人いる人は、3人の友達リストに登場するので3回数えられます。友達が1人しかいない人は1回しか登場しません。友達がゼロの人は、そもそも一度も登場しません。
友達リストを通して人を見ると、顔の広い人ほど何度も現れ、孤立している人はほとんど現れないという偏った標本ができあがります。
この偏りは標本抽出のバイアスと呼ばれるもので、意図せず出来上がってしまうところが厄介です。「人を選んだ」のではなく「つながりを選んだ」のに、人を選んだつもりになっている、というずれが原因になっています。
例外はほとんど存在しない
これがどれくらい強い性質なのかというと、かなり強力です。
数学的には、友達の平均人数が本人の平均を下回ることはありません。等しくなるのは全員の友達の数がぴったり同じ場合だけで、それ以外では必ず友達の方が多くなります。
現実の人間関係で全員の交友範囲がまったく同じということはまずありませんから、事実上すべてのネットワークで成り立つことになります。
この性質を1991年の論文で指摘したのが、アメリカの社会学者スコット・フェルドでした。論文の題名がそのまま「なぜ自分の友達は自分より友達が多いのか」というもので、内容を一言で言い当てています。
同じ理屈は友達関係以外にも当てはまります。共著者は自分より論文が多く引用されている傾向があり、SNSでフォローしている相手は自分よりフォロワーが多い傾向があります。ジムで見かける人が自分より熱心に通っているように見えるのも、通う頻度が高い人ほど遭遇しやすいという同じ偏りです。
差の大きさはばらつきで決まる
どれくらい差が開くかは、実は簡単な形で表せます。
ばらつきが大きいほど差が開く
友達の平均人数をm、友達の数のばらつき(分散)をvとすると、「誰かの友達」の平均友達数は次のようになります。
m + v ÷ m
要するに、本人たちの平均mに、ばらつきを平均で割った分だけ上乗せされるという形です。
先ほどの4人の例では、平均が1.5人、分散が0.75でした。0.75÷1.5=0.5なので、1.5+0.5=2.0人。実際に数えた値と一致します。
この式から2つのことが読み取れます。ひとつは、ばらつきがゼロ、つまり全員の友達数が同じときだけ差が消えること。もうひとつは、交友範囲の差が激しい集団ほど、差が劇的に開くことです。
SNSのように一部の利用者が桁違いのつながりを持つ場では、ばらつきが極端に大きくなります。差が数倍から数十倍に開くのも珍しくありません。
同じ構造は身の回りに溢れている
数える単位がすり替わるという同じ仕組みは、あちこちで顔を出します。
| 現象 | 数え方A | 数え方B | Bの方が大きく出る |
|---|---|---|---|
| 友情のパラドックス | 人ごと | つながりごと | 友達の友達の数 |
| クラス人数 | クラスごと | 学生ごと | 体感の授業規模 |
| バスの待ち時間 | 運行間隔ごと | 到着時刻ごと | 実際の待ち時間 |
| 道路の混雑 | 時間帯ごと | ドライバーごと | 経験する渋滞 |
| 論文の引用 | 論文ごと | 引用ごと | 共著者の被引用数 |
どれも「何を1つと数えたか」が途中ですり替わっているだけです。個別に覚えるより、この一点を疑う癖をつけた方が早いと思います。
SNSがつらく感じる理由の一部
この現象は、現代の生活実感ともよくつながっています。
SNSのタイムラインに流れてくるのは、投稿が多く、つながりが広い人の発信です。あまり投稿しない人の日常は、そもそも目に入りません。
すると「みんな充実している」という印象ができあがりますが、それは平均的な人々の姿ではなく、目立つ側に大きく偏った標本を見せられているだけということになりそうです。
自分だけが取り残されている感覚には、心理的な要因だけでなく、こうした構造的な原因も混ざっています。私はこの理屈を知ってから、タイムラインの印象を実態の代表だと思わないようにしています。数字の性質としてそうなると分かっていれば、少しは冷静に受け止められる気がします。
友達の数以外にも広がる
この現象は、友達の人数だけの話ではありませんでした。
2014年にオムとチョが指摘した一般化された友情のパラドックスによれば、つながりの多さと相関する属性なら何でも、同じ偏りが現れます。
・研究者の被引用数:共著者は自分より引用されている傾向がある ・SNSの反応数:フォローしている相手は自分より反応を集めている ・活動量:知り合いは自分より活発に見える
理屈は同じです。目立つ人ほど多くの人の視界に入り、目立たない人はそもそも数えられません。つながりが多いこと自体が、その属性の高さと結びついている限り、偏りは連鎖します。
つまり「周りの人の方が優れている」という感覚には、能力の差ではなく標本の偏りだけで説明がつく部分がかなり含まれていることになります。
自分の位置を確かめたいなら、身の回りの人と比べるという方法そのものを疑う必要があります。身の回りは無作為な標本ではなく、目立つ側に寄った集まりだからです。
正直、私はこの一般化を知って、比較の対象を選ぶこと自体が結論を決めてしまうのだと改めて思いました。何と比べるかを決めた時点で、答えの半分は出ているのだろうと思います。
感染症対策への意外な応用
面白いことに、この偏りは弱点ではなく道具としても使えます。
感染症の広がりを止めたいとき、最も効果的なのは多くの人と接触する人から先に守ることです。ところが誰が接触の多い人なのかを事前に把握するには、社会全体のつながりを調べ上げる必要があり、現実には不可能です。
そこで使えるのが友情のパラドックスです。無作為に選んだ人に、友達を一人挙げてもらう。そして挙げられた側を対象にする。これだけで、つながりの多い人が自然に選ばれやすくなります。
ネットワークの構造を一切知らないまま、中心にいる人たちへ効率よく手を届かせられるのだと思います。この手法は2003年頃から研究され、実際に流行の早期検知にも使われています。
確率の直感を裏切る関連パラドックス
計算そのものは正しいのに、答えがどうしても直感と噛み合わない関連パラドックスです。
まとめ
本記事は「友情のパラドックス」について解説しました。如何だったでしょうか。
自分より友達が多い人ばかりに囲まれている気がするのは、人ではなくつながりを標本にしていたからでした。原因は自分の側ではなく、数え方の側にあったということになります。
どんな集め方をした情報なのか。そこを一度確かめるだけで、見えている風景の意味が変わってしまう。統計の怖さと面白さが同時に詰まった題材だと思います。
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それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
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