当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「没個性化」について解説します。
没個性化は、大勢の中にまぎれたり、顔や名前が分からない状態になったりすると、自分が誰なのかという意識が薄れて、ふだんなら抑えているはずの行動が出やすくなるとされる現象です。暴動や集団でのいじめ、ネットの匿名掲示板での過激な書き込みなど、1人ならやらないことを、みんなの中ならやってしまう場面を説明する言葉として、今もよく使われています。
この考え方を実験で確かめようとしたのが、スタンフォード監獄実験でも知られるフィリップ・ジンバルドーでした。1969年の実験では、顔を隠すフードをかぶった学生は、名札をつけた学生よりも2倍近く長く電気ショックを流したと報告されています。
ただ、その後の研究をたどっていくと、匿名になった人がいつも乱暴になるわけではなく、むしろその場で求められていることに従いやすくなるだけではないか、という見直しが進んでいきました。覆面の実験と、ハロウィンのお菓子の実験、そしてその後の見直しの流れを順に見ていくと、没個性化という言葉の印象がだいぶ変わってくると思います。
群衆の中で人は変わる、という古い考え
群衆の中にいる人は、1人のときとは別人のようにふるまう、という考え方そのものは、心理学の実験よりずっと古くからありました。1895年にフランスのギュスターヴ・ル・ボンが書いた『群衆心理』は、群衆の中の人は責任感を失い、感情に流されやすくなり、周りの人の興奮が病気のようにうつっていく、と論じています。フランス革命やパリの暴動を念頭に置いた本で、のちの政治家たちにも広く読まれたと言われています。
この考え方に没個性化(デインディビジュエーション)という名前をつけたのは、1952年のレオン・フェスティンガーたちでした。フェスティンガーたちは、集団の中で一人ひとりが目立たなくなると、内なる歯止めがゆるみ、ふだんは口にしないような親への悪口なども言いやすくなる、という研究を発表しています。ちなみにフェスティンガーは、のちに認知的不協和の実験を行うことになる心理学者です。
フードをかぶった学生は、長く電気ショックを流した
ジンバルドーが1969年に発表した実験には、ニューヨーク大学の女子学生が4人1組で参加しました。学生たちは、別室の女性が課題に取り組む様子を見ながら、合図があるたびに、その女性に電気ショックを流すボタンを押すよう求められます。もちろん、別室の女性は実験に協力している人で、実際に電気が流れていたわけではありません。
参加者は2つのグループに分けられていました。1つは、白衣を着て、目の部分だけ穴の開いたフードをかぶり、部屋も薄暗くされて、名前も一度も呼ばれないグループです。もう1つは、ふだんの服のまま、大きな名札を胸につけ、明るい部屋で、お互いに名前で呼び合うグループでした。
結果は、フードをかぶったグループのほうが、ボタンを押し続ける時間がおよそ2倍長かったというものでした。しかも、名札のグループは、相手の女性が「感じのいい人」だと聞かされているか「感じの悪い人」だと聞かされているかでショックの長さを変えていたのに、フードのグループは、どちらの相手にも同じように長く流していたそうです。顔が隠れると、相手が誰かを考えずに行動しやすくなる、とジンバルドーは考えました。
兵士で試すと、逆の結果が出た
ただ、ジンバルドー自身が同じ論文で報告している別の実験では、話はそう単純ではありませんでした。ベルギーの兵士たちに同じような手順を試したところ、フードをかぶった兵士のほうが、むしろ電気ショックを流す時間が短くなりました。
ジンバルドーは、もともと制服を着て集団で動いている兵士にとっては、フードをかぶることが「みんなの中にまぎれる」ことではなく、仲間から切り離されて1人にされることだったのではないか、と考えています。同じ覆面でも、それをかぶる人がどんな集団の中にいるかによって、意味がまったく変わってしまうらしい、という点は、後の研究につながる大事な手がかりだったように思います。
ハロウィンのお菓子の実験
没個性化の研究で、もう1つよく知られているのが、1976年にエド・ディーナーたちがアメリカのシアトルで行ったハロウィンの実験です。ハロウィンの夜、市内の27の家にお菓子をもらいに来た子どもたち、合わせて1,352人が、知らないうちに実験に参加していました。
玄関で子どもたちを迎えた女性は、テーブルの上のお菓子のボウルを指して、「1人1個だけ取ってね」と言い、別の部屋で用事があるからと、その場を離れます。テーブルには、小銭の入ったボウルも置かれていました。子どもたちが1個より多く取ったり、小銭に手を出したりするかどうかは、隠れた場所から記録されていました。
条件は、子どもが1人で来たか、グループで来たかと、女性が子どもの名前と住んでいる場所を尋ねたかどうかの組み合わせです。名前を聞かれ、しかも1人で来た子どもで、決まりを破ったのは8%ほどでした。それに対して、名前を聞かれず、グループで来た子どもでは、57%が1個より多く取るか、小銭まで持っていったと報告されています。
| 条件 | 子どもの数 | 決まりを破った割合 |
|---|---|---|
| 名前を聞かれた・1人で来た | 40人 | 7.5% |
| 名前を聞かれた・グループで来た | 384人 | 20.8% |
| 名前を聞かれなかった・1人で来た | 42人 | 21.4% |
| 名前を聞かれなかった・グループで来た | 297人 | 57.2% |
| 名前を聞かれず、一番小さい子に責任を負わせた | 80人 | 80.0% |
名前を聞かれないことと、グループでいることは、どちらか1つだけでも決まりを破る子を増やしていましたが、2つが重なると割合が大きく跳ね上がっていたことが分かります。
責任を誰かに押しつけられるとき
この実験には、もう1つ興味深い条件がありました。グループで来た子どもたちのうち、女性が一番小さい子に「もし誰かが多く取ったら、あなたの責任ね」と告げた場合です。全員が名前を聞かれていない場合、この条件では、決まりを破った子どもが80%にのぼりました。一方、名前を聞かれていると、責任を誰かに負わせても、割合はそれほど高くならなかったと報告されています。
自分の名前が知られていないことに加えて、何かあっても責任をとるのは別の子だ、と分かっていると、子どもたちはいっそう遠慮しなくなりました。子ども相手の、少し意地の悪い実験ではありますが、匿名であることと責任の行き先がはっきりしないことが重なると行動が変わる、という結果は、大人の世界にもそのまま当てはまりそうです。
戦士が顔を塗るとき
文化人類学のデータを使った研究もあります。1973年にロバート・ワトソンは、世界各地の23の社会の記録を調べ、戦いの前に戦士が顔を塗ったり、仮面をつけたりして見た目を変える社会と、そうでない社会を比べました。その結果、見た目を変える13の社会のうち12の社会で、捕虜を殺したり拷問したりといった、とても残酷なふるまいが記録されていたと報告されています。
ただ、この結果も、見た目を変えたから自分を見失ったのか、それとも「戦士」という役割に強くなりきったからなのかは、データだけでは区別できません。このあと紹介する見直しでは、まさにこの点が問題になっていきます。
看護師の服を着せると、逆になった
1979年には、ロバート・ジョンソンとレズリー・ダウニングが、ジンバルドーの実験に大事な疑問を投げかけています。ジンバルドーのフードと白衣は、白い頭巾で知られるアメリカの差別的な団体クー・クラックス・クラン(KKK)の格好を連想させるものでした。もしかすると、学生たちを残酷にしたのは、顔が隠れたことではなく、その衣装が持っているイメージのほうだったのではないか、というわけです。
そこで2人は、参加した女子学生に、KKKを思わせる衣装か、看護師の制服のどちらかを着せて、相手に流す電気ショックの強さを上げるか下げるか選ばせました。すると、KKK風の衣装を着た学生はショックをやや強める傾向があったのに対して、看護師の制服を着た学生は、むしろショックを弱めるほうを選んでいたそうです。
顔が隠れていても、着ているものが「人を助ける役割」を示していれば、人はやさしい方向に動くようです。匿名になること自体が人を乱暴にするのではなく、その場にどんなルールや役割が見えているかが大きいのではないか、という見方が、ここから強まっていきました。
60の研究をまとめると
1998年には、トム・ポストメスとラッセル・スピアーズが、没個性化を扱った60の研究をまとめたメタ分析を発表しています。その結論は、従来の没個性化の考え方、つまり匿名になると人は社会のルールを忘れて乱暴になる、という説明には、弱い裏付けしかないというものでした。
その代わりにはっきり見えてきたのは、匿名の状態に置かれた人は、社会一般のルールから外れるというより、その場の集団で通用しているルールに、より強く従うようになるという傾向でした。周りが乱暴なら乱暴に、周りが親切なら親切になる、ということなのでしょう。
自分が消えるのではなく、集団の顔になる
こうした結果をうまく説明する考え方として、スティーブン・ライカー、ラッセル・スピアーズ、トム・ポストメスたちがまとめたのがSIDEモデル(没個性化効果の社会的アイデンティティ・モデル)です。顔や名前が見えなくなると、人は「自分」を失うのではなく、「自分はこの集団の一員だ」という意識のほうが前に出てきて、その集団らしくふるまおうとする、という考え方です。
ライカーは、暴動の研究でも、群衆が手当たり次第に暴れているように見える場面でも、実際には狙う相手や壊す場所がかなり選ばれていて、その集団なりの筋道があることを指摘しています。ル・ボンが描いた理性を失った群衆という姿は、外から見た印象に引っ張られていた面があるのかもしれません。
匿名のネットでも同じことが起きているのか
没個性化は、ネットの匿名掲示板やSNSでの炎上を説明するときにもよく持ち出されます。ただ、上のような研究の流れからすると、匿名だから誰もが攻撃的になる、というよりは、攻撃的なふるまいが当たり前になっている場所では、匿名の人ほどそれに合わせやすくなる、と考えたほうが実際に近いように思います。
実際、SIDEモデルの研究では、コンピュータ越しのやりとりで顔が見えないと、グループの意見がかえって1つにまとまりやすくなることも報告されています。匿名の場所でも、互いを気づかう決まりが共有されている場所なら、そこまで荒れないことが多いのは、ネットを長く使っている人ならなんとなく実感があるかもしれません。
個人的には、没個性化を「人間はもともと残酷で、名前が消えると本性が出る」という話として受け取るより、名前が消えると、周りの空気に流されやすくなるという話として受け取るほうが、ずっと使い道があると思っています。空気が悪い場所では匿名がそれを加速させ、空気がいい場所では匿名でもそれほど困らない、ということになるからです。
没個性化についてよく出る疑問
スタンフォード監獄実験も没個性化の実験なのですか?
ジンバルドーは、看守役の学生に制服とミラーサングラスを身につけさせており、没個性化の考え方が実験の設計に影響していたと言われています。ただ、スタンフォード監獄実験は、のちに看守役への指示や演技の要素が問題になり、今では没個性化を示す実験としては扱いにくいものになっています。詳しくは個別の記事で取り上げています。
制服を着ると人は変わるのですか?
看護師の制服の実験が示したように、制服は人を乱暴にも親切にもしうるもので、どちらに転ぶかは、その制服が示している役割と、周りの人のふるまいによるようです。制服そのものよりも、制服を着たときに期待されている行動のほうが、人を動かしていると考えたほうがよさそうです。
関連する実験と記事
制服とサングラスで看守役と囚人役に分けた学生たちが、6日で実験を打ち切ることになったとされるスタンフォード監獄実験は、没個性化と並べてよく語られる実験です。
周りの人がそろって間違った答えを言うと、自分もそれに合わせてしまうアッシュの同調実験は、「場のルールに従う」という没個性化の見直しとよく重なります。
まとめ
本記事は没個性化について解説しました。如何だったでしょうか。
フードをかぶった学生が長く電気ショックを流したジンバルドーの実験や、名前を聞かれなかったグループの子どもの57%がお菓子を多く取ったハロウィンの実験は、匿名になると人の行動が変わることを、とても印象的な形で示しました。
ただ、看護師の制服を着るとショックが弱くなり、60の研究をまとめると「匿名だと場のルールに従いやすくなる」という姿が見えてきたように、没個性化は人を一方向に悪くする力ではなく、周りの空気を強める力として理解されるようになっています。ネットの匿名性を考えるときにも、悪者探しより、その場の空気のほうに目を向けたくなる実験だと私は思います。
ほかの有名な心理学実験は、一覧の記事からまとめて読めます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
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