当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「傍観者効果」と、そのきっかけになった「キティ・ジェノヴィーズ事件」について解説します。
傍観者効果は、緊急の場面で周りにいる人の数が多いほど、一人ひとりが助けに動いたり通報したりしにくくなる現象のことです。1964年にニューヨークで起きた殺人事件で「38人もの住人が見ていたのに誰も通報しなかった」と報じられたことをきっかけに、心理学者のビブ・ラタネとジョン・ダーリーが実験で確かめたもので、社会心理学の中でもとりわけ有名な発見の1つになっています。
ところが、その出発点になった「38人の目撃者」という話は、後の調査でかなり誇張されたものだったことが分かっています。報じた新聞社自身も、50年以上たってから記事に問題があったことを認めました。
それでは、傍観者効果そのものも作り話だったのかというと、そういうわけでもありません。事件の報道と実際の経緯の食い違い、ラタネとダーリーが行った実験、そしてその後の研究で確かめられたことの3つを分けて読むと、この効果の本当の大きさが見えやすくなると思います。
新聞が伝えた「38人の目撃者」
1964年3月13日の午前3時すぎ、ニューヨーク市クイーンズ区のキューガーデンズという住宅地で、バーの店長をしていた28歳のキャサリン・ジェノヴィーズ(愛称キティ)が、仕事帰りに自宅アパートの近くで男に襲われ、刺されて亡くなりました。
事件から2週間後、ニューヨーク・タイムズは「殺人を目撃した37人は警察に通報しなかった」という見出しの記事を1面に載せます。本文には、30分以上にわたって、38人の善良で法を守る市民が、犯人が女性を3度にわたって襲うのを見ていながら、誰一人として警察に電話をかけなかった、という内容が書かれていました。
この記事は全米に大きな衝撃を与え、都会の人間の冷たさや無関心を象徴する事件として、テレビや雑誌、さらには議会でも取り上げられました。同紙の編集者は事件をテーマにした本まで出していて、「38人の目撃者」という言葉はその後何十年にもわたって、教科書や講演で繰り返し使われることになります。
実際には何が起きていたのか
この話に本格的な疑問が出てきたのは、2000年代に入ってからです。地元の歴史を調べていた人たちや研究者が、警察の記録や裁判の資料、住人への取材を突き合わせていくと、新聞の記事とはかなり違う経緯が見えてきました。
まず、襲撃は3回ではなく2回でした。1回目は路上で起き、その声を聞いた住人の1人が窓から「その子から離れろ」と叫んだことで、犯人はいったんその場を離れています。2回目の襲撃は、彼女が自力でたどり着いたアパートの建物の裏手の通路で起きていて、鍵のかかった扉に阻まれて中に入れなかったその場所は、通りに面した窓からはほとんど見えないところでした。
38人という数字も、事件について警察から話を聞かれた住人の数に近いもので、その多くは悲鳴や物音を聞いただけか、窓の外を見ても何が起きているのか分からなかった人たちだったようです。真夜中のことで、酔っ払いのけんかか、カップルの言い争いだと思った人も多かったと言われています。
さらに、少なくとも1人の住人は警察に電話をかけていたという証言があり、近所に住む女性のソフィア・ファラーは、危ないかもしれないと止められながら通路に駆けつけ、警察と救急が来るまで彼女を腕に抱いていたことも分かっています。
2007年にはイギリスの心理学者レイチェル・マニングらが、学術誌にこの事件の報道の問題を検証する論文を出しました。2016年に犯人が獄中で亡くなったとき、ニューヨーク・タイムズは記事の中で、1964年の報道が目撃者の数とその人たちが見たものを大きく誇張していたことを認めています。
キティの弟のビル・ジェノヴィーズは、姉の最期に何があったのかを10年以上かけて調べ、その過程は2015年にドキュメンタリー映画として公開されました。
煙の部屋と発作の実験
話を事件の直後に戻すと、新聞の報道を読んだラタネとダーリーは、「都会の人は冷たい」という説明に納得がいきませんでした。2人が注目したのは、38人もいたのに誰も通報しなかった、ではなく、「38人もいたからこそ、誰も通報しなかったのではないか」という可能性です。
彼らは1968年に、この考えを確かめる実験をいくつか発表しています。
インターホン越しの発作
ニューヨーク大学で行われた実験では、学生の参加者が個室に入り、インターホン越しに「大学生活の悩み」について数人で話し合うと説明されました。話し合いの相手は実際には録音された声で、その中の1人が途中で発作を起こしたように苦しみだし、助けを求める声を上げて静かになります。
話し合いの人数は条件によって変えてあり、参加者は自分と発作を起こした人の2人だけだと思っている場合、ほかにも1人いると思っている場合、ほかにも4人いると思っている場合に分けられていました。
結果は、自分しか聞いていないと思っていた参加者の85%が、発作の声が終わる前に部屋を出て実験者に知らせたのに対し、ほかに4人が聞いていると思っていた参加者では、その割合が31%まで下がりました。知らせに行くまでの時間も、人数が多いほど長くなっていました。
助けに行かなかった参加者たちも平然としていたわけではなく、実験者が部屋に入ると、手が震え、汗をかき、「彼は大丈夫なんですか」と尋ねる人が多かったそうです。冷たかったのではなく、誰かがもう動いているかもしれない、自分が出しゃばる必要はないかもしれない、という迷いの中で動けなくなっていた、というのがラタネとダーリーの見立てでした。
煙が出てくる部屋
もう1つの有名な実験では、参加者がアンケートに記入している部屋に、壁の通気口から白い煙が少しずつ入ってくるようにしてありました。
1人で部屋にいた参加者は、75%が数分のうちに部屋を出て煙のことを知らせています。ところが、煙を気にせずアンケートを続けるよう指示されたサクラ2人と一緒にいた場合は、知らせに行った人は10人に1人だけでした。煙で視界がかすむほどになっても、目をこすりながら記入を続けた人がいたと報告されています。
何も知らない参加者3人が一緒にいる条件でも、誰か1人が知らせに行ったグループは4割に届かず、周りの人が落ち着いているのを見て「たいしたことではないのだろう」とお互いに判断し合ってしまう様子が見て取れます。
助けるまでの5つの関門
ラタネとダーリーは、こうした実験をもとに、人が緊急の場面で助けに動くまでには、いくつもの判断を順に越える必要があると考えました。
①何かが起きていることに気づく ②それが緊急事態だと解釈する ③自分に助ける責任があると感じる ④どうやって助ければいいかを判断する ⑤実際に行動に移す
周りに人が多いと、②の段階では「ほかの人が落ち着いているから大丈夫なのだろう」という判断が起きやすくなり、③の段階では「誰かがもう通報しているだろう」と責任が薄まりやすくなります。前者は多元的無知、後者は責任の分散と呼ばれていて、煙の実験は前者、発作の実験は後者を主に示したものだと言えそうです。
この見方に立つと、キティ・ジェノヴィーズ事件の実際の経緯も、むしろ傍観者効果でかなり説明がつくことになります。真夜中に悲鳴を聞いた住人の多くは、何が起きているのか分からず、ほかの部屋の人も聞いているのだから誰かが通報しただろうと考えた、と後に話しているからです。
防犯カメラが見ていた現実の喧嘩
一方で、傍観者効果の研究には、実験室の外ではどうなのかという疑問が早くからありました。2011年にドイツの心理学者ペーター・フィッシャーらが、100を超える研究をまとめて分析したところ、傍観者効果は危険がはっきりした深刻な緊急事態ほど弱くなる傾向があることが分かっています。ほかの人がいると、むしろ一緒に立ち向かえるという安心感が生まれるからではないか、と考えられています。
さらに2020年には、イギリスやデンマーク、オランダなどの研究者が、アムステルダム、イギリスのランカスター、南アフリカのケープタウンの3都市で防犯カメラが撮影した219件の喧嘩や揉め事の映像を分析した研究を発表しました。
その結果、91%の場面で、少なくとも1人の居合わせた人が仲裁や手助けに入っていたことが分かっています。しかも、周りにいる人の数が多いほど、誰かが割って入る確率は高くなっていました。3都市は治安や文化がかなり違うのに、この傾向はほぼ同じだったそうです。
ここで少し注意したいのは、この研究と傍観者効果は必ずしも矛盾していないという点です。傍観者効果は「一人ひとりが助けに動く確率」が人数とともに下がるという話で、人数が増えれば、一人ひとりの確率が下がっても「誰か1人は動く」確率はむしろ上がることがあります。正直、傍観者効果を「人が多いほど誰も助けない」という意味で覚えている人は多いと思うので、この区別はもう少し知られてほしいところだと私は思っています。
傍観者効果についてよく出る疑問
自分が助けを求める側になったときはどうすればいいのですか?
救命講習などでは、周りに人がいるときは「誰か救急車を呼んでください」と全体に呼びかけるのではなく、「そこの青い服の方、119番に電話してください」と相手を指名して頼むよう教えられています。誰に向けた依頼なのかがはっきりすれば、先ほどの5つの関門のうち、責任が誰にあるのかという段階で迷う必要がなくなるからです。
事件のあと、何か制度は変わったのですか?
アメリカでは、事件をきっかけに、通報先が分かりにくい当時の仕組みが問題視され、1968年に始まる全国共通の緊急通報番号「911」の議論にも影響を与えたと言われています。また、居合わせた人が手助けしたときに責任を問われにくくする、いわゆる「善きサマリア人法」をめぐる議論でも、この事件はよく引き合いに出されてきました。
関連する実験と記事
周りの人の反応を見て「たいしたことではない」と判断が引きずられるという点では、アッシュの同調実験がかなり近い内容になっています。
目の前で溺れている子どもを助ける義務と、遠くの人を助ける義務は同じなのか、を問う思考実験も、傍観者の問題とよく並べて語られます。
まとめ
本記事は傍観者効果とキティ・ジェノヴィーズ事件について解説しました。如何だったでしょうか。
「38人が見ていたのに誰も通報しなかった」という話は、半世紀にわたって都会の冷たさの象徴として語られてきましたが、実際には目撃者の多くは何が起きているのか分からず、通報した人も駆けつけた人もいたことが分かっています。その一方で、ラタネとダーリーの実験が示した「人が多いと、一人ひとりは動きにくくなる」という傾向そのものは、その後も多くの研究で確かめられています。
私が一番面白いと感じたのは、2020年の防犯カメラの研究で、現実の揉め事では9割の場面で誰かが割って入っていたという結果です。一人ひとりは迷っても、人が多ければ誰かは動くというのは、傍観者効果の話を少し明るい方向から読み直させてくれる数字だと思います。
ほかの有名な心理学実験は、一覧の記事からまとめて読めます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
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📚 シリーズ:有名な心理学実験(5/59)