心理学実験

自我消耗とは|意志の力は使うと減る?ラディッシュとクッキーの実験と、2,000人の追試で消えた効果

自我消耗とは|意志の力は使うと減る?ラディッシュとクッキーの実験と、2,000人の追試で消えた効果

当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「自我消耗」について解説します。

自我消耗は、我慢をしたり感情を抑えたりして自制心を使うと、その後しばらくのあいだ、別のことで自制が効きにくくなるという考え方のことです。1998年にアメリカの心理学者ロイ・バウマイスターたちが発表した実験がきっかけで、意志の力は筋肉のように使うと疲れて減っていくという説明は、心理学の中でも特に有名な考え方の1つになりました。

仕事で一日中気を張っていた日の夜に、ついお菓子を食べすぎてしまう、といった経験と結びつけて紹介されることも多いので、「意志力は有限な資源」という言葉を聞いたことがある人もいると思います。この考え方を下敷きにした自己啓発書や、重要な決断は朝のうちに済ませよう、といった助言も数多く生まれました。

ところが2016年、世界の23の研究室が同じ手順で行った大規模な追試では、2,000人以上を調べても、自我消耗の効果はほとんど見られませんでした。数百本の研究に支えられていたはずの効果が、なぜ大規模な追試では消えてしまったのか。この話は、心理学の再現性の危機を象徴する例の1つになっています。

焼きたてクッキーの部屋

1998年に発表された最初の実験に参加したのは、心理学入門の授業をとっていた67人の大学生でした。学生たちは味覚の研究だと説明され、実験の前に1食抜いて、少なくとも3時間は何も食べないで来るよう頼まれています。

学生が部屋に入ると、そこには小さなオーブンで焼いたばかりのチョコチップクッキーの甘い香りが立ちこめていました。テーブルの上には、クッキーとチョコレート菓子を積んだ皿と、赤と白のラディッシュを盛った器が並べられています。

学生たちは3つのグループに分けられました。

グループ頼まれたこと
ラディッシュクッキーには手をつけず、ラディッシュを2〜3個以上食べる
チョコレートクッキーを2〜3枚か、チョコレート菓子をひとつかみ食べる
食べ物なし食べる部分は飛ばして、すぐ次の課題に進む

実験者は部屋を出て、マジックミラー越しに学生の様子を見守りました。ラディッシュのグループの学生の中には、クッキーをうらめしそうに眺めたり、手に取ってにおいをかいだりする人もいたそうですが、実際にクッキーをかじった人は1人もいなかったと報告されています。

解けないパズルをいつあきらめるか

食べ終わった学生たちには、味の記憶が薄れるまで時間をつなぐという名目で、別の課題が渡されました。図形を、同じ線を2度なぞらず、鉛筆を紙から離さずに一筆書きでなぞるというパズルです。学生たちには知らされていませんでしたが、本番の2つの図形は、どうやっても解けないように作られていました。

学生は、あきらめたくなったら机の上のベルを鳴らすように言われていて、研究者たちは、ベルが鳴るまでの時間を測りました。

図解

その結果、チョコレートを食べた学生は平均18.9分、食べ物なしの学生は20.9分パズルに取り組んだのに対し、ラディッシュを食べた学生は平均8.4分であきらめてしまいました。クッキーを我慢したことで何かが使い果たされ、その後のパズルで粘れなくなったのだ、とバウマイスターたちは考えます。

ちなみに論文の注には、この結果を、アメリカのロードアイランド州の中学生が科学の自由研究として独自に再現し、ほとんど同じ結果が出たという話まで書き添えられていました。

「意志力は筋肉のようなもの」

バウマイスターたちは、同じ論文の中で、ほかの実験も報告しています。自分で選んで自分の意見とは反対のスピーチをした学生は、その後の解けないパズルで粘りが続かず、笑える映像や悲しい映像を見ながら感情を表に出さないよう求められた学生は、その後の文字の並べ替えパズルの成績が下がった、というものです。

ここから生まれたのが、自制心は使うと一時的に減ってしまう、限りのある力だという考え方でした。筋肉が使うと疲れるように意志の力も疲れるが、筋肉と同じように鍛えれば強くなる、という説明は分かりやすく、その後の10年ほどで、この考え方を支持する研究が数百本も発表されています。

ブドウ糖で回復するという説

2007年には、マシュー・ゲイリオットとバウマイスターたちが、意志の力のもとになっているのは血液中のブドウ糖ではないかとする研究を発表しました。自制心を使う課題の後には血糖値が下がっていて、砂糖入りのレモネードを飲んだ人は、人工甘味料入りのレモネードを飲んだ人より、その後の課題で自制が続いたというものです。

「疲れたら甘いものを」という分かりやすい結論もあって、この説は大きな話題になりました。しかし、自制心を使う程度の頭の働きでは、脳のブドウ糖の消費はほとんど変わらないはずだという生物学の立場からの批判や、砂糖を口に含んですぐ吐き出しただけでも効果が出たという研究も出てきて、血糖値そのものが減ることが原因という説明は、今ではかなり疑わしいと考えられています。

ベストセラーになった「意志力」

2011年には、バウマイスターがジャーナリストのジョン・ティアニーと一緒に、自我消耗の研究を一般向けに紹介した『WILLPOWER 意志力の科学』を出版し、ベストセラーになりました。意志の力は使い切らないよう大事に使い、疲れたら甘いものでブドウ糖を補えば回復する、といった内容は、仕事や子育ての助言としても広く受け入れられていきます。研究の確かさが十分に確かめられる前に、考え方だけが先に社会に広まっていったとも言えるでしょう。

メタ分析が見落としていたもの

自我消耗を支える研究は増え続け、2010年には、198本の研究をまとめたメタ分析で、中くらいの大きさのはっきりした効果があると報告されました。数だけを見れば、心理学の中でもとりわけ確かな現象の1つに見えていたはずです。

ところが2014年から2015年にかけて、エヴァン・カーターとマイケル・マッカローが、この分析を調べ直します。効果が出た研究ほど発表されやすいという出版の偏りを統計的に補正すると、自我消耗の効果はぐっと小さくなり、ゼロと区別がつかないほどになってしまいました。

23の研究室、2,000人の追試

そこで2016年、心理学者マーティン・ハガーたちの呼びかけで、世界の23の研究室が、あらかじめ手順を決めて登録したうえで、同じ方法の追試を一斉に行いました。最初に文章の中の「e」の文字を決まったルールで消していく面倒な作業をしてもらい、その後の課題でどれだけ粘れるかを比べるという方法です。

参加者は合わせて2,141人にのぼりましたが、結果として見られた効果の大きさはごくわずかで、統計的にゼロと区別できませんでした。

この結果には、使った課題が自我消耗を起こすには弱すぎたのではないか、という反論も出されました。そこで今度は、自我消耗の考え方を支持してきた研究者自身も加わって、2021年に36の研究室、3,531人の追試が行われています。研究を主導したのは、バウマイスターの共同研究者として長く自我消耗を研究してきたキャスリーン・ヴォースでしたが、こちらでも効果の大きさはほとんどゼロに近いものでした。

なぜ数百本の研究が間違えたのか

それでは、数百本もの研究が効果を報告していたのに、なぜ大規模な追試では効果が消えてしまったのでしょうか。よく挙げられるのは、1つ1つの研究の参加者が数十人ほどと少なかったこと、我慢させる課題も粘り強さを測る課題も研究ごとにばらばらで、うまくいった組み合わせだけが発表されやすかったこと、そして効果が出なかった研究が引き出しにしまわれたままになっていたこと、の3つです。

1つ1つは小さな偏りでも、何百本も積み重なると、ありもしない効果がはっきり存在するように見えてしまうことがあります。2016年の追試のように、手順と分析の方法を前もって登録し、たくさんの研究室で同時に確かめる方法が広まったのは、こうした反省からだと言われています。

疲れは「なくなる」のではなく「向きが変わる」?

では、一日中我慢を続けた後にどっと疲れる、という多くの人の感覚は気のせいなのでしょうか。

最近では、自制心は燃料のように減っていくのではなく、同じことに力を使い続けると、やる気や注意の向きが別のことに移っていくのだ、という見方も提案されています。疲れたと感じるのは、資源が尽きたからではなく、今の作業を続ける価値が下がったという合図なのかもしれない、という考え方です。

また、キャロル・ドゥエックたちは2010年に、意志の力は使っても減らないと信じている人では、自我消耗のような効果が見られにくいという研究も発表しています。ただ、この研究も2023年に手順を事前に登録して行われた追試では、同じ結果が再現されませんでした。意志の力が減るかどうかは、本人がどう信じているかにも左右される、ということでしょう。正直、私は「意志力は有限な資源だから無駄遣いするな」という助言より、「疲れたと感じたら作業を切り替えればいい」という考え方のほうが、日々の生活にはずっと役に立つと感じています。

自我消耗についてよく出る疑問

大事な決断は朝にしたほうがいいのですか?

自我消耗の考え方から、意志の力が残っている朝のうちに大事なことを決めよう、という助言がよく紹介されています。ただ、ここまで見てきたとおり、意志の力が使うと減るという効果そのものが大規模な追試でほとんど確かめられていないので、この助言にもしっかりした根拠があるとは言いにくいと思います。眠気や空腹で判断が鈍ることはあるので、自分が落ち着いて考えられる時間に決めるくらいで十分でしょう。

自制心は鍛えられないのですか?

自我消耗の考え方では、筋肉と同じように、自制心も繰り返し使えば鍛えられるとされてきましたが、自制心を鍛える訓練の効果を調べた研究でも、効果ははっきりしないという結果が多いようです。自制心そのものを鍛えるより、誘惑が目に入らないように環境を整えるほうが確実だ、という見方も出てきています。

関連する実験と記事

目の前のマシュマロを我慢できるかどうかで将来が分かる、とされたマシュマロテストも、自制心をめぐる有名な実験です。こちらも大規模な追試で、結論が大きく見直されています。

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まとめ

本記事は自我消耗について解説しました。如何だったでしょうか。

焼きたてのクッキーを我慢してラディッシュを食べた学生が、解けないパズルを半分以下の時間であきらめたという1998年の実験は、意志の力は使うと減るという分かりやすい説明とともに、心理学の外にまで広く知られるようになりました。

しかし、出版の偏りを補正すると効果はほとんど残らず、23の研究室と36の研究室が行った大規模な追試でも、はっきりした効果は見られませんでした。数百本の研究があっても確かとは限らない、という教訓を、これほどはっきり示した例はほかにあまりないのではないでしょうか。

ほかの有名な心理学実験は、一覧の記事からまとめて読めます。

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それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。