当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「認知的不協和」の実験について解説します。
認知的不協和とは、自分の中に矛盾する2つの考えや行動があるときに感じる不快な状態のことで、人はその不快さを減らすために、考えのほうを行動に合わせて変えてしまうことがある、とする理論です。1957年にアメリカの心理学者レオン・フェスティンガーが提唱し、1959年には、退屈な作業を「楽しかった」と人に嘘をつかせると、謝礼が少ない人ほど、本当にその作業を楽しかったと思い込むという、直感に反する実験結果で広く知られるようになりました。
イソップ寓話の「酸っぱい葡萄」のキツネは、手の届かない葡萄を「どうせ酸っぱいに決まっている」と決めつけて去っていきますが、あれも認知的不協和の典型的な例として挙げられることが多いです。高い買い物をした後で、買ったものの良いところばかり探してしまう、といった経験にも心当たりがある人は多いと思います。
一方で、有名な1ドルと20ドルの実験には、後の時代になって手順や解釈への疑問も出されていて、2024年には世界中の研究室が参加した大規模な追試の結果も発表されています。その追試で何が起き、何が起きなかったのかは、元の実験とその前後の研究を知っておくと、ずっと面白く読めると思います。
予言が外れた日の教団
フェスティンガーが認知的不協和の考えをまとめるきっかけの1つになったのは、1950年代の半ばに彼と同僚たちが行った、ある小さな宗教団体の観察でした。
アメリカのシカゴ近郊に住む1人の女性が、宇宙人からのメッセージを受け取ったと主張し、1954年12月21日に大洪水が起きて世界が滅びるが、信じる者は空飛ぶ円盤に救い出されると予言していました。彼女のもとには信者が集まり、仕事を辞めたり、財産を手放したりして、その日を待つ人まで出ていたそうです。
フェスティンガーたちは、身分を隠して信者として団体に入り込み、予言の日の前後の様子を記録しています。予言の日の真夜中、円盤は来ず、洪水も起きませんでした。彼らの本によれば、信者たちは信仰を捨てるどころか、明け方になって女性が「皆の信仰の光によって、神は世界を救うことにした」という新しいメッセージを受け取ったと告げると、それまで避けていた報道機関に自分から連絡を取り、熱心に布教を始めたとされています。
フェスティンガーたちは、仕事や財産を捨てるほど深く関わってしまった人にとって、「予言は間違っていた」と認めることはあまりにも苦しいので、むしろ信仰を強め、周りの人を仲間に引き込むことで不快さを減らそうとしたのだと考えました。この観察は1956年に『予言がはずれるとき』という本にまとめられ、認知的不協和の理論を印象づける事例として長く引用されてきました。
本に書かれた経緯は事実と違っていた
ところが2025年、歴史研究者のトーマス・ケリーが、新しく公開された当時の記録をもとに、この本の中心的な主張が事実と違っていたとする論文を発表しました(学術誌には2026年に掲載)。ケリーによれば、予言が外れた後、女性は予言を撤回し、グループは解散して、布教もやんでいたそうです。
さらにケリーは、潜入した研究者たちが超常的な体験をしたふりをしたり、グループの中で指導的な役回りを担ったりしていて、その影響を伏せたまま、信者たちが自発的に信仰を強めたかのように書いていた、と指摘しています。認知的不協和の理論そのものは、この後に紹介する実験で別に確かめられてきたものですが、理論の出発点として有名だったこの事例は、今では根拠として使えなくなったと考えるのが妥当でしょう。
退屈な作業と、次の人への嘘
この考えを実験で確かめたのが、1959年にスタンフォード大学でフェスティンガーと大学院生のジェームズ・カールスミスが行った実験です。
参加したのは心理学の授業を受けていた男子学生で、まず1時間ほど、ひたすら退屈な作業をさせられました。最初の30分は、12個の糸巻きをトレーに並べてはトレーを空にすることを繰り返し、残りの30分は、板に刺さった48本の四角い杭を、1本ずつ4分の1回転させていく作業です。
作業が終わると、実験者は参加者に、この研究は「作業への期待が成績にどう影響するか」を調べるもので、次の参加者には事前に「とても楽しい作業だ」と伝えることになっている、と説明します。そして、いつもその役をしている助手が来られなくなったので、代わりに次の参加者に「とても楽しくて面白い作業だった」と伝えてくれないか、と頼みました。
1ドルの人と20ドルの人
このとき、一方のグループには謝礼として1ドル、もう一方のグループには20ドルが支払われました。当時の20ドルは、今の価値に直すと200ドル近くになる、学生にとってはかなりの金額だったと思います。比較のための対照群は、嘘をつく依頼をされずにそのまま次に進みました。
参加者は待合室にいた女子学生(実はサクラ)に、作業がどれほど楽しかったかを話し、その後、心理学部の別の担当者から、参加した実験について「作業はどれくらい楽しかったか」を尋ねる聞き取りを受けます。この聞き取りでの答えが、実験で本当に測りたかったものでした。
結果は、−5から+5までの尺度で、対照群が−0.45、20ドルのグループが−0.05だったのに対して、1ドルのグループは+1.35と、はっきり「楽しかった」側に寄っていました。たくさんお金をもらった人ではなく、わずかしかもらえなかった人のほうが、退屈な作業を楽しかったと評価したわけです。
なぜ少ないほうが「楽しかった」になるのか
フェスティンガーの説明はこうです。20ドルをもらった人は、「お金のために嘘をついた」と自分を納得させられるので、心の中に矛盾は生まれないでしょう。ところが1ドルしかもらっていない人は、「退屈な作業だった」という考えと、「楽しかったと人に言った」という行動のあいだに矛盾を抱えることになります。
1ドルでは嘘をついた理由として不十分なので、この矛盾を解消するいちばん簡単な方法は、「実はそれほど退屈ではなかったのかもしれない」と、自分の考えのほうを変えてしまうことだった、というわけです。行動を正当化する理由が足りないとき、人は考えのほうを行動に合わせる、というこの説明は、「報酬を多くすれば人の考えも変えやすい」という当時の常識とは正反対のもので、大きな話題を呼んだと言われています。
厳しい入会儀式と、選んだ後の評価
認知的不協和の理論は、その後もさまざまな形の実験で確かめられていきます。
1959年には、エリオット・アロンソンとジャドソン・ミルズが、女子学生にある討論グループに入るための「入会テスト」を受けさせる実験を行いました。恥ずかしい言葉を男性の実験者の前で読み上げるという厳しいテストを受けた学生は、簡単なテストを受けた学生よりも、後で聞かされた退屈なグループの議論を、面白くて価値のあるものだったと評価しました。苦労して手に入れたものほど価値があると思いたくなる、という結果で、厳しい新人研修や部活動の伝統が続いていく理由の説明に使われることが多いようです。
また1956年には、ジャック・ブレームが、女性たちにトースターやコーヒーメーカーなどの家電を評価させ、同じくらい気に入った2つの中から1つを選んでもらう実験を行っています。選んだ後にもう一度評価してもらうと、選んだほうはより高く、選ばなかったほうはより低く評価されるようになっていました。選ばなかったほうにも良いところがあったという事実が、自分の選択と矛盾するので、評価を引き離して不快さを減らした、という説明です。
自己知覚理論との論争
一方で、認知的不協和の説明には、早い時期から別の解釈も出されていました。1967年に心理学者のダリル・ベムが出した「自己知覚理論」です。
ベムは、人は自分の気持ちを、他人の気持ちを推し量るのと同じように、自分の行動を外から観察して推測しているのではないかと考えました。1ドルで「楽しかった」と言った自分を振り返ると、「たった1ドルでそう言ったのだから、本当に楽しかったのだろう」と推測するのが自然で、そこに不快な矛盾を持ち出す必要はない、というわけです。
ベムは、実験の手順を読んだだけの第三者に参加者の気持ちを推測させても、元の実験とよく似た結果が出ることを示し、長い論争が続きました。その後の研究では、矛盾した行動をとった人が実際に体の興奮のような不快な状態を示すことも報告されていて、今では、状況によってどちらの説明も当てはまる、と考えられることが多いようです。
選んだ後の評価の変化は測り方の問題だった?
2010年には、ブレームの「選んだ後に評価が変わる」実験の手順そのものに、統計的な落とし穴があるという指摘も出されました。最初の評価にはどうしても誤差が含まれるので、人が選んだという事実そのものが、本当の好みについての情報になってしまい、矛盾を解消しなくても見かけ上の変化が生まれてしまう、というものです。この問題を避けた手順で調べ直すと効果は小さくなるという報告もあり、研究の進め方そのものが見直されることになりました。
2024年の大規模な追試
2024年には、19か国の39の研究室が同じ手順で行った、認知的不協和の大規模な追試の結果が発表されています。使われたのは、1ドルと20ドルの実験を発展させた、自分の考えと反対の意見(ここでは授業料の値上げに賛成する意見)の作文を書かせる手順で、参加者はおよそ4,900人にのぼりました。
理論どおりなら、「書くかどうかは自分で決めていい」と言われて反対意見を書いた人のほうが、「書くよう指示された」人よりも、書いた内容の方向に考えを変えるはずでした。結果を見ると、値上げに賛成する作文を書いた人は、関係のない作文を書いた人よりも、値上げを受け入れる方向に考えを変えていて、この部分は理論と合っていました。ところが、肝心の自分で選んで書いたかどうかによる差は、再現されなかったのです。
この結果だけで認知的不協和という考え方そのものが否定されたわけではなく、どんな条件で矛盾が不快さを生み、考えを変えさせるのかについての理解が、思っていたより弱い土台の上にあったことが分かった、と受け止めるのがよさそうです。正直、60年以上も教科書の定番だった手順が、ここまで大規模に確かめられたのは最近になってからだというのは、少し意外な気がします。
認知的不協和についてよく出る疑問
日常のどんな場面で起きていると言われているのですか?
よく挙げられるのは、タバコが体に悪いと知りながら吸い続けている人が「吸っていても長生きする人はいる」と考える場面や、高い買い物をした後に、その商品の良い評判ばかり探してしまう場面です。また、誰かに頼みごとをされて手伝った後で、その人を前より好きになる、という「ベンジャミン・フランクリン効果」も、「好きでもない人のために手伝った」という矛盾を解消しようとする働きとして説明されることがあります。
予言が外れた教団の調査は正確だったのですか?
前の節で紹介したとおり、2025年の史料研究では、予言が外れた後に女性は予言を撤回し、グループは解散していたとされていて、本の記述は事実と違っていた可能性が高くなっています。もともと、研究者が信者として入り込むことで団体の人数が増えたように見え、信者の確信を強めてしまうのではないか、という方法上の問題も指摘されていました。この事例を「予言が外れると人は信仰を強める」根拠として引用するのは、今は避けたほうがよいと思います。
関連する実験と記事
自分の考えに合う情報ばかりを集め、合わない情報を避けてしまう確証バイアスは、認知的不協和を避けようとする働きとして説明されることが多い現象です。
すでにつぎ込んだ時間やお金がもったいなくてやめられないという心理も、自分の過去の選択を正当化したいという点で、認知的不協和とよく似ています。
まとめ
本記事は認知的不協和の実験について解説しました。如何だったでしょうか。
退屈な作業を「楽しかった」と人に言わせると、20ドルをもらった人より1ドルしかもらえなかった人のほうが、本当に楽しかったと思い込んだという結果は、人は行動に合わせて考えのほうを変えることがあることを示したものとして、心理学の中でもとりわけ有名なものになりました。苦労して手に入れたものを高く評価する傾向や、選んだ後に選んだものの良さばかり探してしまう傾向など、日常の多くの場面を説明する考え方として今も広く使われていると思います。
一方で、自己知覚理論との論争や、測り方の落とし穴の指摘、そして2024年の大規模な追試ではっきりした効果が確認できなかったことを考えると、認知的不協和は「いつでもどこでも起きる法則」ではなく、条件しだいで起きたり起きなかったりする現象だと考えておくほうが、今の理解に近いはずです。
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それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
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