当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「予定説のパラドックス」について解説します。
過去に戻って悲劇を防ごうとしたのに、その行動自体が悲劇を引き起こす原因だったという話です。親殺しのパラドックスのように矛盾が起きるわけではなく、辻褄はきれいに合っています。それなのに、どうやっても結末を変えられない。矛盾しないからこそ、かえって出口がないという不気味さを持った問題です。
火事を防ぎに行った男の話
分かりやすい例から入ります。
ある男が、自分の家が火事で焼けた過去を変えようと決意します。タイムマシンで火事の当日に戻り、出火元だと聞かされていた台所へ急ぎました。
ところが暗闇で慌てていたため、置いてあった油の缶を倒してしまいます。そこにコンロの火が引火し、家は燃え上がりました。
火事を防ぎに行った行動そのものが、火事の原因だったという形になります。彼が過去へ行かなければ火事は起きなかった。しかし火事が起きなければ、彼は過去へ行こうとしなかった。
ここには矛盾がありません。歴史は最初から最後まで一貫していますが、この輪から抜け出す方法もありません。
矛盾がないという点が重要
このパラドックスは、親殺しのパラドックスとよく混同されますが、性質はかなり違います。
親殺しのパラドックスでは、過去へ戻って祖父を殺すと自分が生まれないので過去へ行けず、すると祖父は死なないので自分が生まれる、という「本物の矛盾」が発生します。論理的にありえない状態です。
一方の予定説のパラドックスでは、どこにも矛盾は生じません。起きたことは全部つながっていて、歴史は一度きり、きれいに閉じています。
問題は別のところにあります。もし歴史がこのように自己完結しているなら、過去へ行った人物には「自分の意志で何かを変える」余地が最初からなかったことになります。彼は火事を防ごうとしたつもりでしたが、実際には火事を起こす役割を最初から割り当てられていました。
名前の由来は神学の議論から
予定説という言葉は、もともとキリスト教神学の用語です。人間の救済は神によってあらかじめ定められている、という考え方を指します。
ここで長く議論されてきたのが、「すべてが定められているなら、人間の選択に意味はあるのか」という問いでした。時間旅行の話とはまったく別の文脈ですが、行き着く疑問は驚くほど似ています。
さらに古い形としては、ギリシア悲劇のオイディプス王がよく引き合いに出されます。「父を殺し母を娶る」という神託を避けるために両親は赤子を捨て、その結果として本人が実の親を知らずに育ち、神託どおりのことが起きてしまう。
予言を避けようとした行動が、予言を実現させてしまう。この構造は2500年前からすでに物語の題材になっていたことになります。
ノビコフの自己整合性原理
現代物理学にも、これとほぼ同じ考え方があります。1980年代にロシアの物理学者イーゴリ・ノビコフらが提唱した自己整合性原理です。
主張はきわめて単純で、「矛盾を生むような出来事は、そもそも起こる確率がゼロである」というものだと思います。
過去へ戻って祖父を撃とうとしても、銃が暴発したり、手が滑ったり、狙った相手が別人だったりして、必ず失敗する。物理法則が矛盾を許さないので、失敗する方の可能性しか実現しない、と考えます。
奇妙に聞こえますが、この原理を採用すれば時間旅行と物理法則は両立できます。代償として、過去へ行った人間の行動は最初から歴史の一部として組み込まれていることになるのだと思います。
予定説のパラドックスは避けるべき困った事態ではなく、時間旅行が可能な世界で唯一許される正常な形だ、という位置づけになるという話になります。
自己整合性原理に向けられた批判
矛盾を消せる便利な原理に見えますが、受け入れがたいと考える人も少なくありません。よく挙げられる不満は次のようなものではないでしょうか。
・確率がゼロになる仕組みが説明されていない:矛盾する出来事が起こらないと言うだけで、何がそれを妨げるのかは述べていない ・都合よく失敗し続ける世界は不自然に見える:銃が暴発し、手が滑り、人違いをする。そんな偶然が必ず重なるのは作為的に映る ・自由意志を実質的に否定している:やろうとしても必ず失敗するなら、選べているとは言いがたい ・検証する手段がない:時間旅行が実現しない限り、正しいかどうかを確かめようがない
とくに1つめは根が深い指摘です。「矛盾は起きない」というのは観察された規則ではなく、理論を成立させるために置いた要請にすぎません。
擁護する側は、これを不自然だとは考えません。エネルギー保存則も「なぜ成り立つのか」を突き詰めれば同じ性質を持っていて、自然界にはそういう制約がもともと備わっているのだ、という立場です。
どちらに与するかは、結局のところ物理法則をどこまで根源的なものと見なすかという感覚の問題になってきます。
フィクションで繰り返し使われる型
この構造は物語との相性が非常によく、名作と呼ばれる作品で何度も使われているように思います。
映画『12モンキーズ』では、主人公が子供の頃に目撃した空港での射殺事件の記憶を手がかりに過去へ送られますが、最後にその記憶が自分自身の死を見ていたものだったと分かります。
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の終盤も、この型で組み立てられています。過去へ戻った本人が、以前に自分を助けたと思っていた出来事の実行者だったという構成です。
私はこの手のオチが出てくる作品がかなり好きなのですが、それは「不思議なことが起きた」で終わらず、最初から全部つながっていたと分かる瞬間の気持ちよさがあるからだと思います。矛盾していない分、後から辻褄を確かめる楽しみが残るという感じでしょうか。
決められた未来と自由意志
とは言っても、この話が心地よいだけかというとそうでもありません。
自己整合性原理をそのまま受け入れると、時間旅行者だけでなく、私たちの選択そのものについても同じ疑いが出てきます。未来から見れば、今日の私の行動もすでに歴史の一部として確定しているのではないか、という疑問です。
もっとも、これは時間旅行を持ち出さなくても、物理法則が決定論的なら同じ問題が生じます。予定説のパラドックスが新しく付け加えたのは、「未来を知ってしまった人でさえ、その未来を変えられない」という一段強い設定です。
知っていても変えられないのなら、知ることに意味はあるのか。情報を持つことと、状況を動かせることは別だという話にもなってきて、私はこのあたりが一番おもしろい部分だと考えています。
3種類のタイムパラドックスを見分ける
タイムトラベルをめぐる難問はいくつかありますが、性質はそれぞれ違います。混同されやすいので整理しておきます。
矛盾するもの、しないもの
| パラドックス | 矛盾するか | 何が問題か | 逃げ道 |
|---|---|---|---|
| 親殺し | する | 自分の存在が否定される | 多世界解釈、自己整合性原理 |
| ブートストラップ | しない | 情報や物体の起源がどこにもない | 起源を求めないと割り切る |
| 予定説 | しない | 結末を変える余地が最初からない | 自由意志の定義を見直す |
親殺しだけが本物の論理矛盾で、残る2つは辻褄が合っています。矛盾しないものの方が扱いに困るという点が、この分野の面白いところです。
予定説とブートストラップの違い
この2つは並べて語られがちですが、輪になっているものが違います。
・ブートストラップ:物や情報が輪の中で完結し、作られた瞬間が存在しない ・予定説:物の起源には問題がなく、輪になっているのは行動と結果の因果関係だけ
火事の例で言えば、油の缶にも台所にも起源の問題はありません。おかしいのは、火事を知ったから戻り、戻ったから火事になったという因果の向きだけです。
言い換えると、ブートストラップは「どこから来たのか」を問う話で、予定説は「なぜ変えられないのか」を問う話になります。
タイムトラベルの関連パラドックス
過去へ行くという設定が、因果関係そのものをねじれさせてしまう関連パラドックスです。
まとめ
本記事は「予定説のパラドックス」について解説しました。如何だったでしょうか。
矛盾が起きないのに、抜け道もない。親殺しのパラドックスが「ありえない」で終わるのに対し、こちらは起こりうるのに何も変えられないという形で気味の悪さを残します。
防ごうとした行動が原因になる。この構造は時間旅行の話に限らず、心配しすぎて失敗を招くような日常の場面にも通じるところがあるように思います。
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