当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「ポルチンスキーのパラドックス」について解説します。
ビリヤードの球をワームホールに撃ち込むと、球は過去へ抜けて出てきて、まだ穴に入る前の自分自身を横から弾き飛ばしてしまいます。弾かれた球は穴に入れないので、そもそも過去へ戻ってこられません。人間の意志をいっさい持ち込まずに作られた、純粋に物理だけの時間旅行の矛盾です。
ビリヤード球で作った矛盾
設定を整理します。
ワームホールの入口と出口が用意されていて、入口から入ると「5秒前の出口」から出てくるとします。時間をさかのぼる装置だと考えてください。
ここに向かってビリヤードの球を1つ、まっすぐ撃ち込みます。球は入口に吸い込まれ、5秒前の出口から飛び出してきます。
問題はその先です。出てきた球の進路が、ちょうどこれから入口へ向かおうとしている自分自身に横から当たるように設計されていたとします。
ぶつかられた球は進路を変え、入口を外れて通り過ぎてしまいますが、入口に入らなかったのなら、過去へ戻ってくることもありません。戻ってこないのなら、誰も球を弾かないので、球はまっすぐ入口へ入るはずです。
入れば弾かれ、弾かれれば入れず、入れなければ弾かれない。祖父を殺すパラドックスとまったく同じ形の堂々巡りになります。
人間ではなく球を使う意味
親殺しのパラドックスには、昔から便利な逃げ道が用意されていました。「人間には自由意志があるから、実際には引き金を引けないだけだ」という説明です。
心変わりするかもしれないし、手が震えるかもしれない。人の心が絡む以上、そこに逃げ場を作れてしまいます。
ポルチンスキーの設定が優れているのは、登場するのがビリヤードの球だけというところです。球には意志も迷いもありません。撃ち出す角度と速さを決めれば、あとはニュートン力学が結果を決めるだけです。
なので、この矛盾は、心の問題ではなく物理法則そのものの問題として立ち上がってきます。「時間旅行を許すと物理法則が壊れるのか」という問いを、まっすぐ突きつけた形になっているのだと思います。
ソーンたちが出した意外な答え
1990年頃にこの問題が提起されたあと、カリフォルニア工科大学のキップ・ソーンと、その学生だったフェルナンド・エチェベリア、グンナー・クリンクハマーが本格的に計算しました。
彼らが調べたのは「本当に解が存在しないのか」という点になります。そして1991年、答えが見つかります。
矛盾しない解は、ちゃんと存在していました。
からくりはこうです。戻ってきた球が、正面からではなく「かすめる程度」に当たる場合を考えます。軽くこすった球は完全に弾き飛ばされるのではなく、進路がほんの少しずれるだけです。
そして、そのわずかにずれた進路のまま入口へ入り、少し違う角度で過去に出てくると、ちょうど自分自身をかすめる軌道になる。「軽く当たったから軌道がずれ、ずれたからこそ軽く当たれた」という、完全に閉じた筋書きが成立します。
解が多すぎるという別の問題
ここで話が終われば、めでたく解決ですが、計算からは、もっと厄介なことが分かりました。
自己整合的な解は1つではなく、無限に存在していたのです。
同じ角度、同じ速さで球を撃ち出しても、その後どうなるかが一通りに決まりません。かすめ方の違う無数の筋書きが、すべて物理法則を満たしてしまいます。
これは古典物理学の常識からするとかなり異常な事態です。普通、初期条件を決めれば未来は一意に決まりますが、時間旅行を許した途端、「初めの状態だけでは何が起きるか決まらない」世界になってしまうということになります。
矛盾が消えた代わりに、決定論が壊れた。問題の形が変わっただけとも言えて、私はここが一番面白いところだと思っています。
決定論が壊れるとはどういうことか
解が無限にあるという結果は、聞き流しやすいわりに影響が大きいものです。何が失われるのかを整理しておきます。
・通常の力学:撃ち出す角度と速さを決めれば、その後の軌道は完全に1通りに決まる ・時間旅行を許した場合:まったく同じ角度と速さから、無数の異なる筋書きが生じうる ・どれが実現するかを決める法則がない:物理法則はどの筋書きも等しく許してしまう ・確率を割り振る方法もない:無限にある解のどれがどれくらい起こりやすいかも決められない
科学が予測という仕事をできるのは、初期条件から未来が一意に決まるという前提があるからです。ここが崩れると、計算はできても予測にならなくなります。
量子力学もランダム性を含みますが、性質が違います。あちらは「どの結果がどれくらいの確率で起こるか」が厳密に決まっていて、確率としては完全に予測できます。
ポルチンスキーの問題で失われるのは、その確率すら定まらないという一段深い水準です。矛盾は消えたが、代わりに未来を語る言葉そのものがなくなったと言った方が近いかもしれません。
自己整合性原理を支える結果
この計算結果は、ノビコフの自己整合性原理を後押しするものとして受け止められました。
自己整合性原理は「矛盾を生む出来事は起こる確率がゼロである」という主張です。言葉だけ聞くと都合のよい言い逃れに見えますが、ビリヤード球という具体例で実際に矛盾しない解が構成できると示されたことには重みがあります。
とは言っても、これで時間旅行が可能だと証明されたわけではありません。そもそも過去へ戻れるワームホールを作れるのかという段階で、必要になる負のエネルギー密度など未解決の問題が山ほど残っています。
分かったのは、「もし時間旅行ができたとしても、力学だけを理由に即座に否定はできない」という一点です。それでも、否定の材料が1つ減ったことの意味は小さくないと思います。
提唱者はどんな物理学者だったのか
ジョゼフ・ポルチンスキーは、超弦理論を代表する研究者の一人です。
彼の最大の業績は1995年のDブレーンの発見で、これは弦理論の発展を大きく加速させました。晩年の2012年には、ブラックホールの地平面で何が起きるかを問うファイアウォール問題も提起しています。
こうして並べてみると、ポルチンスキーという人は既存の理屈を素直に延長した先で、誰も見たくない結論を平然と取り出してみせるのが得意だったのだろうと感じます。ビリヤード球の話も、時間旅行という曖昧な話題を、逃げ場のない力学の問題に翻訳したという点で同じ性格を持っています。
そもそもタイムマシンは作れるのか
ポルチンスキーの問題は、時間旅行が可能だと仮定したうえでの話でした。では肝心の装置は作れるのでしょうか。
提案されてきた仕組みと、それぞれの壁
一般相対性理論の方程式には、過去へ戻れる経路を含む解がいくつも見つかっています。ただし、どれも実現には高い壁があります。
| 提案された仕組み | 発表 | 必要になるもの | 主な障害 |
|---|---|---|---|
| ゲーデルの回転宇宙 | 1949年 | 宇宙全体が回転していること | 実際の宇宙は回転していない |
| ティプラーの円柱 | 1974年 | 無限に長い高密度の円柱 | 有限の長さでは成立しない |
| モリス=ソーン型ワームホール | 1988年 | 負のエネルギー密度 | 必要量が莫大で維持できない |
| ゴットの宇宙ひも | 1991年 | 光速近くですれ違う宇宙ひも | 開いた宇宙では実現不可と判明 |
共通しているのは、通常の物質では絶対に用意できない条件が必ず要るという点です。とくに負のエネルギー密度は、量子効果としてごく微量なら実在が確認されているものの、ワームホールを支えられる規模には遠く及びません。
時間順序保護仮説
こうした状況を受けて、ホーキングは1992年に時間順序保護仮説を提出しました。
主張は「物理法則は、過去へ戻る経路が作られるのを必ず妨げる」というものです。時間旅行が可能になる直前に量子的なゆらぎが無限に増幅され、装置そのものを壊してしまうと考えます。
ホーキングはこの仮説の目的を「歴史学者が安心して仕事を続けられるようにするため」だと冗談めかして書いていますが、証明はされておらず、量子重力理論が完成しないと決着はつきません。
タイムトラベルの関連パラドックス
過去へ行くという設定が、因果関係そのものをねじれさせてしまう関連パラドックスです。
まとめ
本記事は「ポルチンスキーのパラドックス」について解説しました。如何だったでしょうか。
人間の意志を取り除いてもなお矛盾が残るのかを確かめるために、ビリヤードの球という徹底的に単純な道具が選ばれましたし、答えは、矛盾しない解は存在するが、多すぎて未来が決まらないというものでした。
問題を突き詰めると、想定していたのとは別の場所が壊れる。物理の思考実験にはこういう展開がときどきあって、私はそこに惹かれています。
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