当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「リトル・アルバート実験」について解説します。
リトル・アルバート実験は、1920年にアメリカの心理学者ジョン・ワトソンと助手のロザリー・レイナーが、生後11か月の男の子に白いネズミを見せるたびに背後で大きな金属音を鳴らし、もともと怖がっていなかったネズミを怖がるように条件づけた実験です。パブロフが犬で示した条件反射が、人間の感情、それも恐怖のような強い感情にも当てはまることを示そうとしたもので、行動主義と呼ばれる心理学の流れを象徴する実験として知られています。
一方でこの実験は、赤ちゃんに恐怖を植えつけたまま、それを消さずに終わったことから、心理学の歴史の中でもっとも倫理的に問題のある実験の1つとして、教科書では反面教師としても紹介されてきました。アルバートと呼ばれた男の子がその後どうなったのかも長く分からず、2000年代に入ってから彼が誰だったのかをめぐる調査が行われています。
本記事では実験の手順と結果を紹介したうえで、この実験が当時何を示したと考えられたのか、そして今の目から見て何が問題だったのかを整理していきます。
恐怖は生まれつきか、学ぶものか
実験を行ったジョン・ワトソンは、当時ジョンズ・ホプキンズ大学の教授で、1913年に「行動主義宣言」と呼ばれる論文を発表した人物です。彼は、心理学は心の中を内側から推測するのではなく、外から観察できる行動だけを扱うべきだと主張していて、人の感情や性格の多くも、生まれつきではなく経験によって学ばれたものだと考えていました。
ワトソンはそれまでの研究で、生まれたばかりの赤ちゃんが生まれつき示す恐怖の反応は、大きな音と、支えを急に失うことくらいしかないと考えていました。それなのに大人になると、犬やネズミ、暗闇など、さまざまなものを怖がるようになります。この違いは、パブロフの犬のような条件づけで説明できるのではないか、というのがこの実験の出発点だったようです。
白いネズミと鉄の棒の音
実験に参加したのは、論文の中で「アルバート・B」と呼ばれている男の子です。母親が病院の乳母として働いていて、アルバートは生まれてからずっとその病院の中で育っていました。ワトソンたちは、彼が健康で落ち着いた、めったに泣かない子どもだったことから、実験に向いていると判断したと書いています。
生後9か月のとき、ワトソンたちはアルバートに、白いネズミ、ウサギ、犬、サル、髪の毛のあるお面とないお面、綿、燃える新聞紙などを次々に見せて反応を確かめています。どれに対しても、アルバートは怖がる様子をまったく見せず、むしろ手を伸ばして触ろうとしたと記録されています。
一方で、アルバートの頭の後ろで、長さ1メートルほどの鉄の棒をハンマーで強く叩いて大きな音を出すと、彼はびくっとして息を止め、何度か繰り返すうちに唇を震わせて泣き出しました。ここまでで、ネズミは怖がらないが大きな音は怖がる、という出発点が確かめられたことになります。
7回の組み合わせで起きたこと
生後11か月になったところで、条件づけが始まりました。アルバートの前にかごから白いネズミを出し、彼がネズミに手を伸ばして触った瞬間に、背後で鉄の棒を叩いて大きな音を鳴らします。
最初の日は2回だけ組み合わせを行い、アルバートはびくっとしたものの、泣くところまではいきませんでした。1週間後に、ネズミと音の組み合わせをさらに5回繰り返したところで、ネズミだけを見せると、アルバートはすぐに泣き出し、体の向きを変えて、ネズミから必死に這って逃げようとしたと記録されています。
合わせて7回の組み合わせで、それまで平気だった白いネズミが、音がしなくても恐怖を引き起こすものに変わったわけです。パブロフの言葉を使えば、大きな音が無条件刺激、白いネズミが条件刺激、泣いて逃げる反応が条件反射にあたります。
ウサギ、毛皮、サンタクロースのお面へ
5日後、ワトソンたちはアルバートに、今度はネズミ以外のものを見せていきました。ウサギを見せると、アルバートは泣いて体を背け、犬や毛皮のコート、綿にも、程度の差はあっても嫌がる反応を見せています。
さらに、白いひげのついたサンタクロースのお面を見せると嫌がり、ワトソンの髪の毛にも少し警戒する様子を見せたと書かれています。一方で、積み木のような毛のないおもちゃでは、いつもどおり楽しそうに遊んでいました。
このように、条件づけた刺激と似た特徴を持つものにまで反応が広がることは「汎化」と呼ばれていて、パブロフも犬の実験で確かめていた性質です。ワトソンは、人が大人になってから持つさまざまな恐怖症も、子どもの頃にこうした条件づけと汎化を経て身についたものかもしれない、と論文の中で述べています。
その後もワトソンたちは、1か月ほど後まで何度か反応を確かめていて、恐怖の反応は弱まりながらも残っていたと報告しています。
恐怖を消さないまま終わった
この実験でもっとも問題になったのは、その終わり方です。ワトソンたちは、アルバートに植えつけた恐怖を、最後には取り除く方法も試すつもりだったと論文に書いています。ところが、アルバートは母親が病院の仕事を辞めたことで病院を離れ、恐怖を消す試みは一度も行われませんでした。
しかも論文の書き方からは、ワトソンたちがアルバートがいつ病院を離れるのかを事前に知っていたことが読み取れます。知っていながら、恐怖を消す時間を取らなかったことになり、この点は後の時代になって厳しく批判されることになりました。
当時は、人を対象にした研究に倫理審査を求める仕組みはまだ存在していませんでした。とは言っても、今の基準で見れば、親に十分な説明をしたのかも分からない状態で、赤ちゃんに強い恐怖を与え、それを残したまま終わらせた実験は、まず許されないものだと思います。
恐怖を消す方法は別の子どもで確かめられた
ちなみに、恐怖を消す方法そのものは、数年後に別の研究者によって確かめられています。ワトソンの指導を受けていたメアリー・カバー・ジョーンズは、1924年に、もともとウサギを怖がっていた「ピーター」という3歳近い男の子を対象にした研究を発表しました。
ジョーンズは、ピーターが好きなおやつを食べているときに、ウサギを少し離れたところに置き、日を追うごとに少しずつ近づけていきました。最終的にピーターは、ウサギを膝に乗せて撫でられるようになったと報告されています。好きなものと一緒に、怖いものに少しずつ慣らしていくこのやり方は、後の行動療法の出発点の1つになり、ジョーンズは「行動療法の母」と呼ばれることもあります。
1人の子どもの実験だった
リトル・アルバート実験は、倫理の問題だけでなく、科学的な弱さも抱えていました。
まず、対象はアルバート1人だけで、比較のための対照もありません。反応の記録も、泣いたか、這って逃げたかといったワトソンたちの観察の記述が中心で、どの程度の恐怖だったのかを測る決まった基準はありませんでした。音を鳴らすタイミングや回数も日によって少しずつ違っていて、論文を詳しく読むと、ネズミを見せたときにアルバートが親指をしゃぶると泣き止むので、恐怖の反応を記録するために指を口から外していた、という記述まで出てきます。
その後、ほかの研究者が同じような実験を試みた例もありますが、1930年代に行われた追試では、赤ちゃんに物への恐怖を同じようには条件づけられなかったという報告が出ています。ある研究では、オペラグラスのような物には恐怖が条件づけられなかった一方で、生きた毛虫では弱く一時的ながら恐怖が生まれた、という結果もあり、何でも同じように怖がらせられるわけではないことも見えてきました。
これは、パブロフの犬の記事で紹介した、生き延びるうえで大事なものほど学習しやすいという考え方とも一致していて、人は毛虫や蛇のような生き物を怖がることを、ほかのものよりずっと学びやすいのだと考えられています。
教科書の中で変わっていった実験
1979年には、アメリカの心理学者ベン・ハリスが「リトル・アルバートに何が起きたのか」という論文を発表し、この実験が教科書の中でどう紹介されてきたかを調べています。その結果、多くの教科書で、恐怖が広がった対象の数が増えていたり、ワトソンが最後に恐怖を消したことになっていたりと、元の論文には無い話が付け加えられていたことが分かりました。
有名な実験ほど、紹介されるうちに分かりやすい形に整えられていく、という現象は、この記事のシリーズで扱っているほかの実験でも何度も出てきます。リトル・アルバート実験は、その最初期の例として挙げられることが多いようです。
アルバートは誰だったのか
アルバートがその後どうなったのかは、長いあいだ誰も知りませんでした。2000年代に入ってから、2つの研究グループが彼が誰だったのかを調べています。
6歳で亡くなった男の子という説
2009年、アメリカの心理学者ホール・ベックらのグループは、当時の病院の記録や乳母の名簿をたどり、アルバートは病院の乳母だった女性の息子、ダグラス・メリットという男の子だったという説を発表しました。ダグラスは水頭症のために6歳で亡くなっていたことも分かり、2012年には同じグループが、彼は実験の時点ですでに神経の病気を抱えていて、ワトソンたちはそれを知りながら「健康な子ども」と書いていたのではないか、という主張まで出しました。
87歳まで生きた男性という説
一方、2014年にはカナダの心理学者ラッセル・パウエルらのグループが、別の候補を挙げています。同じ病院で働いていた別の乳母の息子で、論文の記述どおり「アルバート」という名前を持つ、ウィリアム・アルバート・バーガーという男の子です。
パウエルらの調査によると、バーガーは2007年に87歳で亡くなっていて、家族の話では、動物全般が少し苦手だったものの(それほど強いものではなかったそうです)、それ以外に目立った問題はなく、普通の人生を送ったとされています。動物が苦手だったことが実験と関係あるのかは分かりませんが、年齢や体重の記録は、ダグラスよりバーガーのほうが論文の記述に合っているとされています。
どちらの説が正しいのかは今も決着していませんが、多くの研究者は、現時点ではバーガー説のほうが記録とよく合っていると考えているようです。個人的には、少なくともアルバートが普通の人生を送った可能性があることには、少しほっとさせられる気がします。
ワトソンのその後
実験の直後、ワトソンは助手のロザリー・レイナーとの関係が問題になり、妻と離婚したうえで、1920年にジョンズ・ホプキンズ大学を去ることになりました。その後は広告業界に移り、大手の広告代理店で、心理学の考え方を使った広告の仕事で成功しています。
ワトソンは1920年代に出した著書『行動主義』の中で、「健康な赤ちゃんを1ダース与えてくれれば、その子の才能や好みにかかわらず、医者でも弁護士でも泥棒でも、どんな人間にでも育ててみせる」という有名な言葉を残しています。もっとも、彼自身もすぐ後に「これは事実を超えた主張だと認める」と付け加えていて、極端な環境万能論の象徴として引用されることが多い言葉です。
リトル・アルバート実験についてよく出る疑問
アルバートの親は実験に同意していたのですか?
論文には、母親の同意についての具体的な記述はほとんどありません。母親は病院で働く乳母で、子どもと一緒に病院に住んでいたので、立場の弱い人に十分な説明をしないまま協力を求めたのではないか、という批判も出ています。今の研究であれば、保護者への詳しい説明と書面での同意が必ず求められる部分です。
今の心理学でも恐怖の条件づけは研究されているのですか?
恐怖の条件づけ自体は、今でも重要な研究テーマです。ただし人を対象にする場合は、大人の参加者に軽い電気刺激や不快な音を使い、いつでも自分の意思でやめられる形で行われています。不安障害や心的外傷後ストレス障害の仕組みを理解し、治療法を探るための研究として続けられていて、ジョーンズがピーターで試したような、恐怖を消していく方法の研究もその一部になっています。
関連する実験と記事
リトル・アルバート実験は、パブロフが犬で示した条件反射を人間の感情に当てはめようとしたものでした。条件反射そのものの仕組みは、こちらの記事で詳しく紹介しています。
同じ時代の心理学が、子どもの心の発達をどう考えていたかという点では、愛情がどこから生まれるのかをサルの赤ちゃんで調べたハーロウの実験も近い内容になっています。
まとめ
本記事はリトル・アルバート実験について解説しました。如何だったでしょうか。
もともと怖がっていなかった白いネズミを、大きな音と7回組み合わせただけで、生後11か月の男の子が泣いて逃げ出すようになり、その恐怖がウサギや毛皮にまで広がったという結果は、人の感情も条件づけで作られうることを示したものとして、心理学の歴史に大きな影響を与えました。一方で、対象は1人だけで、その後の追試では同じようには再現されず、恐怖も消されないまま終わったという点で、科学的にも倫理的にも大きな問題を抱えた実験だったと言えると思います。
この実験の後に、メアリー・カバー・ジョーンズがピーターという男の子で恐怖を消す方法を確かめたことは、もっと知られてよい話だと私は思っています。恐怖を植えつけた実験の陰で、恐怖を取り除く方法が見つかっていたという流れまで含めて読むと、この実験の意味もまた違って見えてくるのかもしれません。
ほかの有名な心理学実験は、一覧の記事からまとめて読めます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
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