当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「学習性無力感」について解説します。
学習性無力感は、自分の力ではどうにもならない嫌な出来事を繰り返し経験すると、その後、状況が変わって自分の力で何とかできるようになっても、何もしようとしなくなる状態のことです。1967年にアメリカの心理学者マーティン・セリグマンとスティーブン・マイヤーが、逃げられない電気ショックを受けた犬が、後で簡単に逃げられる場面でもうずくまって動かなくなったことを報告したのが出発点で、うつ病の理解や、教育や職場での「やる気」の問題を考えるうえで、今もよく使われる考え方になっています。
「どうせ何をやっても無駄だ」と感じて動けなくなる経験は、多かれ少なかれ多くの人にあるのではないでしょうか。学習性無力感は、そうした感覚が経験によって作られることを動物実験で示したものとして、ビジネス書や自己啓発の本でもよく紹介されています。
ところが、この現象を見つけたセリグマンとマイヤー自身が、2016年に発表した論文で、「無力感は学習されるものではなかった。学習されていたのは、コントロールできるという感覚のほうだった」と、元の解釈を大きく改めています。元の実験の手順を知っておくと、50年後の読み直しが何をひっくり返したのかが、よく分かるはずです。
逃げ方を覚えない犬
話は1960年代の半ば、アメリカのペンシルベニア大学の研究室にさかのぼります。当時、大学院生だったセリグマンとマイヤーは、恐怖の条件づけと逃げる行動の学習を調べる研究に関わっていたそうです。
その研究では、犬にまず、音とともに電気ショックが来るという経験をさせ、その後で、低い仕切りを飛び越えれば電気ショックから逃げられる箱(シャトルボックス)に入れて、逃げ方を覚えるかどうかを調べていました。ところが、事前に逃げられない電気ショックを経験した犬の多くは、シャトルボックスの中でも逃げようとせず、うずくまって鳴きながら、ショックが終わるのをただ待っていたと言われています。
普通の犬なら、ショックを受けて走り回るうちに、たまたま仕切りを飛び越えて逃げられることを覚え、数回でさっと逃げるようになるのが一般的です。セリグマンとマイヤーは、この犬たちが逃げなかったのは、事前の経験から「自分が何をしても結果は変わらない」ことを学んでしまったせいではないかと考え、それを確かめる実験を組み立てました。
3つのグループに分けた実験
1967年に発表された実験では、犬を3つのグループに分けています。
1つ目のグループの犬は、ハーネスで体を固定された状態で電気ショックを受けますが、頭の横にある板を鼻で押すとショックを止められるようになっていました。2つ目のグループの犬も同じようにショックを受けますが、自分の板を押しても何も変わりません。最初の実験では、このグループが受けるショックの長さは、1つ目のグループの犬がショックを止めるまでにかかった時間の平均に合わせてあり、その後の多くの実験では、2頭ずつ組にして、片方が止めたときにもう片方のショックも止まる形が取られています。3つ目のグループは、ハーネスに固定されるだけで、ショックは受けませんでした。
この組み合わせ方がこの実験の工夫で、1つ目と2つ目のグループの犬は、受けたショックの量はほぼ同じになっています。違うのは、自分の行動でショックを止められたかどうか、その一点だけでした。
24時間後のシャトルボックス
1日後、3つのグループの犬をすべてシャトルボックスに入れ、今度は仕切りを飛び越えればショックから逃げられる状況で、逃げ方を覚えるかどうかを調べました。
結果として、ショックを自分で止められた1つ目のグループと、ショックを受けなかった3つ目のグループの犬は、すぐに仕切りを飛び越えて逃げることを覚えました。ところが、自分では止められなかった2つ目のグループの犬は、多くが、ショックを受けても逃げようとせず、その場にうずくまってしまったのです。その後に何度も繰り返された実験でも、逃げられないショックを経験した動物の3分の2ほどが逃げ方を覚えなかったのに対し、ほかの2つのグループでは9割ほどがすぐに逃げられるようになったと報告されています。
たまたま仕切りを越えてショックから逃げられた犬でも、次の回にはまた逃げようとしないことが多く、逃げられるという経験そのものを学べなくなっているように見えました。
セリグマンとマイヤーは、2つ目のグループの犬は、ショックの痛みそのものではなく、自分の行動と結果のあいだに関係が無いという経験から、何をしても無駄だということを学んだのだと結論づけ、これを「学習性無力感」と名付けました。
人間でも起きるのか
この考え方は、人間でも確かめられていきます。1970年代に心理学者のドナルド・ヒロトらが行った実験では、大学生に不快な大きな音を聞かせ、一方のグループはボタンを押せば音を止められる、もう一方のグループは何をしても音が止まらない、という条件を作りました。
その後、別の装置で簡単な操作をすれば音を止められる課題をさせると、最初に音を止められなかったグループの学生は、音を止める方法を見つけるのが遅く、何もせずに音が終わるのを待つことが多かったと報告されています。解けない問題を解かせた後で、解ける問題をさせると成績が落ちる、という実験も行われていて、人間にも似た現象が起きることが分かってきました。
うつ病の説明として
セリグマンは、この現象がうつ病の症状とよく似ていることに注目しました。何をしても状況が良くならないと感じ、意欲を失い、自分から行動を起こさなくなるという状態は、うつ病の人に見られることが多いものです。
ただ、人間の場合は、同じように嫌な出来事を経験しても、無力感に陥る人とそうでない人がいます。そこでセリグマンらは1978年に、人がその出来事の原因をどう解釈するかに注目した改訂版の理論を出しました。
失敗の原因を「自分のせいだ」「いつもそうだ」「何をやってもそうだ」と、自分の内側に、長く続くものとして、あらゆる場面に当てはまるものとして捉える人ほど、無力感に陥りやすく、うつ病にもなりやすい、という考え方です。この説明スタイルという考え方は、うつ病の認知療法とも結びつき、後にセリグマンが打ち出した「ポジティブ心理学」の土台にもなっていったと言われています。
50年後の読み直し
ここまでが、学習性無力感の教科書的な説明です。ところが、セリグマンとマイヤーは、元の実験からほぼ50年たった2016年に、「50年後の学習性無力感」という論文を発表し、元の解釈が神経科学の研究によって逆向きだったことが分かったと書いています。
この見直しのきっかけになったのは、マイヤーがその後何十年もかけて進めた、ネズミの脳の研究でした。逃げられないショックを受けたネズミの脳を調べていくと、脳の奥にある、セロトニンを出す神経が集まった部分(背側縫線核)が強く働いていて、これが受け身の状態を作り出していることが分かってきました。
重要なのは、この部分が強く働くのは、逃げられないことを学んだからではなく、強い嫌な刺激が長く続いたときの、もともと備わっている反応だということです。一方で、ショックを自分で止められたネズミでは、脳の前のほうにある内側前頭前皮質という部分が、「自分の行動で状況を変えられている」ことを検出して、受け身の反応を抑えていたことが分かりました。
つまり、嫌な状況が続いたときに受け身になるのは、学習した結果ではなく、動物にとっての初期設定のようなものだったことになります。学習されていたのは「何をしても無駄だ」ということではなく、ショックを止められたグループが学んでいた「自分の行動で状況を変えられる」ということのほうでした。セリグマンとマイヤーは、この現象を本来は「学習性コントロール」と呼ぶべきだったとまで書いています。
呼び方が変わっても残る実用的な意味
この読み直しは、学問的にはかなり大きな転換ですが、実用的な意味が消えたわけではないと思います。むしろ、「無力感は学ばされるものではなく、放っておけば自然にそうなるもので、それを防ぐのは自分で状況を変えられた経験だ」という形に言い直されたと考えると、教育や職場での接し方を考えるうえでは、元の説明よりも使いやすいかもしれません。
実際、マイヤーらの研究では、事前に自分でショックを止められる経験をしたネズミは、その後で逃げられないショックを受けても受け身になりにくかったと報告されていて、コントロールできた経験が、後のストレスへの備えになる可能性も示されています。
サーカスの象の話について
学習性無力感の説明として、「子どもの頃に杭につながれて逃げられなかった象は、大人になって杭を簡単に引き抜ける力がついても逃げようとしない」というサーカスの象の話がよく使われます。分かりやすいたとえ話ですが、これはセリグマンらの実験とは関係のない逸話で、実際にそうした観察記録があるわけではないようです。
学習性無力感の話を見聞きするときには、犬の実験とこうしたたとえ話が混ざって紹介されていることも多いので、少し注意して読むとよいと思います。
学習性無力感についてよく出る疑問
動物実験の倫理的な問題はなかったのですか?
逃げられない電気ショックを犬に与える実験には、当時から批判があったようです。今ではこうした実験を犬で行うことはほとんどなく、研究はネズミなどを使い、苦痛をできるだけ少なくする条件のもとで行われるのが一般的です。また、2000年代には、アメリカの政府機関がテロ容疑者の尋問の方法を考える際に学習性無力感の考え方を参考にしたのではないか、という問題が明るみに出て、セリグマンが当時行った講演との関係も含めて議論になりました。セリグマン本人は、尋問に使われることは知らなかったと説明しています。
無力感から抜け出すにはどうすればいいのですか?
研究から言えるのは、自分の行動で状況が変わったという経験が、受け身の状態を抑えるということです。大きな問題を一度に解決しようとするより、自分の力で確実に変えられる小さなことを見つけて、実際に変えてみる経験を積み重ねることが、回復の手がかりになると考えられています。ただし、うつ病の症状が続いている場合には、こうした工夫だけで抱え込まずに、医療機関に相談してもらえればと思います。
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行動とその結果の関係を学ぶという点では、学習性無力感の研究は、スキナー箱のオペラント条件づけの流れの上にあると言えるでしょう。
自分の失敗の原因をどう捉えるかという点では、うまくいったことは自分の手柄に、失敗は周りのせいにしてしまう認知バイアスの記事も、ちょうど反対側から同じ問題を扱っています。
まとめ
本記事は学習性無力感について解説しました。如何だったでしょうか。
逃げられない電気ショックを経験した犬が、後で簡単に逃げられる場面でもうずくまって動かなくなったという結果は、「何をしても無駄だ」という感覚が経験によって作られることを示したものとして、うつ病の理解や教育の考え方に大きな影響を与えてきました。
一方で、50年後の神経科学の研究からは、受け身になること自体は学習ではなく、強いストレスが続いたときの初期設定のような反応だったことが分かり、学習されていたのはむしろ「自分の行動で状況を変えられる」という感覚のほうだったと読み直されています。発見した本人たちが半世紀かけて解釈をひっくり返したという経過も含めて、科学の進み方がよく分かる研究なのかなと思います。
ほかの有名な心理学実験は、一覧の記事からまとめて読めます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
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