心理学実験

ローゼンハン実験とは|健康な人が精神科病院に入院できた?精神医学を変えた論文と、捏造の疑い

ローゼンハン実験とは|健康な人が精神科病院に入院できた?精神医学を変えた論文と、捏造の疑い

当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「ローゼンハン実験」について解説します。

ローゼンハン実験は、1973年にアメリカのスタンフォード大学の心理学者デヴィッド・ローゼンハンが、『正気でない場所で正気でいること』という題で科学誌『サイエンス』に発表した研究のことです。精神的な病気のない8人が、「声が聞こえる」と訴えて精神科病院を受診したところ、全員が入院させられ、退院するまで誰も健康だと見抜かれなかったと報告され、精神医学の診断がどれほど当てにならないかを示したものとして、大きな反響を呼びました。

この論文は、精神医学の診断のあり方を見直すきっかけの1つになり、その後の診断基準の大きな改訂にも影響を与えたとされています。発表から50年近くたっても、心理学の教科書や精神医学を批判する本で繰り返し引用されてきました。

ところが2019年、アメリカのジャーナリスト、スザンナ・キャハランが、ローゼンハンの残した資料を調べた本を出版し、論文に書かれた内容と実際の記録との間に、大きな食い違いがあることを明らかにしました。今では、この研究そのものが捏造だったのではないかと指摘する研究者もいます。

「空っぽ」「うつろ」「ドスン」

論文によれば、偽の患者になったのは、ローゼンハン本人を含む8人でした。20代の心理学の大学院生、3人の心理学者、小児科医、精神科医、画家、主婦で、男性5人、女性3人という顔ぶれです。8人はアメリカの東海岸と西海岸の5つの州にまたがる、合わせて12の病院を受診しました。

偽患者たちは、偽名を使い、職業も変えていたものの、それ以外の生い立ちや家族関係はありのままに話すことになっていました。訴える症状はただ1つ、「声が聞こえる」というものです。何と言っているのかと聞かれたら、「空っぽ」「うつろ」「ドスン」と言っているようだ、と答えることにしていました。

そして、入院が決まったら、その時点で症状を訴えるのをやめ、ふだんどおりに振る舞うことになっていました。

全員が入院し、誰も見抜かれなかった

図解

論文によれば、偽患者たちは全員が入院を認められ、1つの病院を除いて統合失調症と診断されました。入院の期間は短い人で7日、長い人で52日、平均で19日だったとされています。

入院中、偽患者たちは症状を訴えず、穏やかに過ごしていました。それでも、病院のスタッフは誰一人として、彼らが健康な人だと見抜かなかったと報告されています。退院のときにも、「統合失調症、寛解」、つまり症状が一時的に治まっているという診断がつけられていて、病気ではなかったとは判断されませんでした。

ほかの患者のほうが気づいていた

その一方で、同じ病棟にいたほかの患者たちは、偽患者を怪しんでいました。最初の3つの入院では、118人の患者のうち35人が、「あなたは病気じゃない、記者か大学の先生だろう」といった趣旨のことを偽患者に言ったとされています。

偽患者たちは観察の内容を記録するため、病棟でメモを取っていました。スタッフはその行動を、「患者は書き物の行動に没頭している」と、病気の症状の1つのようにカルテに書いていたそうです。ローゼンハンは、一度「精神病」というラベルが貼られると、その人のふつうの行動まで、すべて病気のせいだと解釈されてしまうと論じました。

論文によれば、偽患者たちが医師や看護師に「すみません、いつ外出の許可がもらえるか教えてもらえますか」などと話しかけても、相手は足を止めずに短く答えるだけで、目を合わせることさえ少なかったとされています。ローゼンハンは、診断のラベルそのものに加えて、病棟で患者が置かれる力のなさや、人として扱われない感覚も問題にしていました。

実在しない偽患者を見抜いた病院

論文には、もう1つ有名な後日談が載っています。この研究の話を聞いたある研究病院が、自分たちの病院なら偽患者を見抜けると反発したため、ローゼンハンは、これから3か月のあいだに偽患者を1人以上送り込むと伝えました。

その3か月のあいだ、病院のスタッフは、受診した193人の患者について、偽患者の可能性を評価しました。その結果、41人が、少なくとも1人のスタッフから偽患者だと強く疑われたとされています。ところが、ローゼンハンは実際には1人も送り込んでいなかったのです。

正直、この後日談は本編よりも強く診断のあやうさを印象づける話で、論文を読んだ人の多くは、ここで説得されたのではないかと思います。健康な人を病気と診断してしまうだけでなく、本物の患者を健康な人と見なしてしまうこともある。ローゼンハンはこの2つの結果から、精神科の病院では、正気の人とそうでない人を確実に見分けることはできない、と結論づけました。

精神医学に与えた影響

この論文は、精神医学の診断の信頼性が問われていた時代に発表され、大きな議論を巻き起こしました。1960年代から70年代にかけては、精神医学そのものを社会が人を管理するための仕組みとして批判する「反精神医学」と呼ばれる考え方が広がっていて、1962年には、精神科病院を舞台に患者を抑えつける病院のあり方を描いた小説『カッコーの巣の上で』も出版されています。この小説を原作にした映画が1975年にアカデミー賞の主要5部門を受賞したことも含めて、精神科病院への不信感が社会に広く共有されていた時期だったと言えるでしょう。

精神科医のロバート・スピッツァーは、1975年にこの研究を厳しく批判しています。血を飲んでから救急外来に行き、血を吐いてみせれば、医師は胃潰瘍を疑うだろうが、それで内科の診断が当てにならないとは言えない、という趣旨の反論でした。患者が症状を偽れば、どんな医療でも騙されることはある、という指摘です。

それでも、診断のあいまいさへの批判が高まったことを受けて、アメリカ精神医学会は1980年に、診断の手引きであるDSMの第3版で、病気ごとに具体的な診断の基準を定める大きな改訂を行いました。この改訂の中心にいたのは、皮肉にもローゼンハンを批判したスピッツァーでしたが、ローゼンハンの論文も、改訂を後押しした要因の1つだったと考えられています。

記録との食い違い

2019年、ジャーナリストのスザンナ・キャハランは、ローゼンハンが亡くなった後に残された資料を何年もかけて調べ、その結果を『ザ・グレート・プリテンダー』という本にまとめました。キャハラン自身、かつて自己免疫性の脳炎を精神の病気と誤って診断されかけた経験があり、ローゼンハンの研究に強い関心を持っていたそうです。

調べてみると、論文の内容と記録との間には、いくつもの食い違いが見つかりました。

  • ローゼンハン本人の症状:見つかったカルテには、単に「ドスン」という声が聞こえると訴えただけでなく、声から逃れるために耳に銅のものを当てていた、何か月も死にたい気持ちがあった、といった、もっと重い症状を訴えていたことが記されていたとされています
  • 外された偽患者:偽患者の1人だったハリー・ランドーは、入院の体験がむしろ穏やかで支えになるものだったと感じていましたが、そのデータは論文から除かれていました
  • 見つからない偽患者:キャハランが何年調べても、論文に書かれた8人のうち、実在が確かめられたのはごくわずかでした

書かれなかった本

キャハランの調べでは、ローゼンハンはこの研究をもとにした本を出版社と契約していて、『狂気へのオデッセイ』という題で書き進めていたことも分かりました。ローゼンハンの資料を預かっていたスタンフォード大学の同僚、リー・ロスのもとには、その書きかけの原稿がおよそ200ページ残されていたそうです。

ところが、この本は最後まで書き上げられることはなく、ローゼンハンは研究の詳しいデータを、論文の後に発表することもありませんでした。偽患者たちの体験を、本人たちの言葉で詳しく伝えるはずだった本が完成しなかったことも、キャハランが疑問を深めた理由の1つになっています。

2023年には、精神医学の歴史を研究するアンドリュー・スカルが、キャハランの調べた資料をもとに、この研究は「科学的な不正の、見事に成功した例」だったとする論文を発表しています。ローゼンハンは2012年に亡くなっていて、本人に確かめることはもうできません。

ローゼンハン実験についてよく出る疑問

精神科の診断は当てにならないということですか?

ローゼンハンの研究そのものの信頼性が大きく揺らいでいるので、この研究を根拠にそう言うことはできなくなっています。ただ、精神科の診断が、血液検査のようなはっきりした数値ではなく、本人の訴えや医師の観察に頼る部分が大きいことは事実で、診断の信頼性をどう高めるかは、今も精神医学の大きな課題であり続けているようです。

なぜこれほど長く信じられてきたのですか?

精神医学は人を不当にラベル付けしているという主張は、当時の社会の空気にもよく合っていて、多くの人が「そうだろう」と感じる内容だったのだと思います。また、偽患者の名前や病院は秘密にされていたので、ほかの人が確かめることも難しい状態でした。信じたい結論ほど確かめられないまま広まってしまう、という点では、スタンフォード監獄実験とよく似た経過をたどった研究と言えるでしょう。

関連する実験と記事

同じスタンフォード大学で行われ、有名な結論が残された記録の調べ直しで大きく揺らいだのが、スタンフォード監獄実験です。

スタンフォード監獄実験とは|看守役が6日で暴走した実験と、2018年に出てきた演出の証拠senkohome.com/psych-experiment-stanford-prison/

一度「この人は病気だ」と思い込むと、その後の情報を思い込みに合うように解釈してしまう心理は、認知バイアスの記事でも詳しく扱っています。

【認知バイアス】確証バイアス ─ 人は見たい情報しか見ないsenkohome.com/cognitive-bias-confirmation/

まとめ

本記事はローゼンハン実験について解説しました。如何だったでしょうか。

「声が聞こえる」と訴えただけの健康な人が全員入院させられ、メモを取ることさえ病気の症状として記録されたという話は、一度貼られたラベルが、その人の見え方をすべて変えてしまうことを示したものとして、精神医学の診断基準の見直しにまで影響を与えました。

しかし、その元になった記録を調べ直すと、ローゼンハン本人が論文より重い症状を訴えていたことや、都合の悪いデータが外されていたこと、偽患者の多くの実在が確かめられないことが分かってきました。ラベルが人の見え方を変えるという主張そのものは今も考える価値がありますが、それを示した証拠としてこの研究を使うことは、もうできないと考えたほうがよいでしょう。

ほかの有名な心理学実験は、一覧の記事からまとめて読めます。

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それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。