当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「割れ窓理論」と、その根拠の1つになった「ジンバルドーの放置車実験」について解説します。
割れ窓理論は、建物の割れた窓が修理されずに放置されていると、「ここは誰も気にかけていない場所だ」という合図になり、さらに窓が割られ、やがてより深刻な犯罪まで呼び込んでしまう、という考え方です。1982年にアメリカの政治学者ジェームズ・ウィルソンと犯罪学者ジョージ・ケリングが雑誌の記事で提唱し、その中で、スタンフォード監獄実験で知られる心理学者フィリップ・ジンバルドーが1969年に行った、街に車を放置する実験が紹介されました。
割れ窓理論は、1990年代のニューヨークで治安が劇的に改善したことの説明として世界中に広まり、日本でも、落書きを消したり街をきれいにしたりする防犯活動の考え方として紹介されることが多いです。
ただ、ニューヨークで犯罪が減ったのが本当に割れ窓理論のおかげだったのかについては、ほかの要因で説明できるという反論も根強くあります。一方で、乱れた環境が人のルール違反を増やすこと自体は、その後の実験でかなり確かめられてきたようです。割れ窓理論のどこまでが確かで、どこからが言い過ぎだったのかは、もとになった放置車の実験までさかのぼると分かりやすいと思います。
ブロンクスとパロアルトに置かれた2台の車
1969年、ジンバルドーは、よく似た2台の古い車を用意し、ナンバープレートを外してボンネットを開けたままの状態で、2つの場所に放置しました。1台はニューヨークのブロンクスの、貧しく犯罪の多い地区の路上に、もう1台はカリフォルニア州パロアルトの、豊かで落ち着いた住宅地に置かれています。ジンバルドーたちは、少し離れた場所から車がどうなるかを観察し、記録しました。
ブロンクスの車は10分で狙われた
ブロンクスに置かれた車は、放置されてから10分もたたないうちに荒らされ始めました。最初にやってきたのは、父親と母親と幼い息子の家族連れで、ラジエーターとバッテリーを外して持ち去っていったと記録されています。24時間以内に、価値のある部品はほとんどすべて持ち去られ、その後は窓が割られ、シートが引き裂かれ、子どもたちが壊れた車を遊び場にするようになりました。
48時間のあいだに、この車には23回もの破壊や持ち去りの行為があったと報告されています。しかも、荒らしていった大人の多くは、身なりのよい、ごく普通に見える人たちだったそうです。
パロアルトの車は1週間無傷だった
一方、パロアルトに置かれた車は、1週間以上たっても誰にも手を出されませんでした。ところが、ジンバルドー自身がハンマーでその車を叩いて壊してみせると、状況は一変しました。通りかかった人たちが次々と加わり、数時間のうちに車はひっくり返され、すっかり壊されてしまったと言われています。
ジンバルドーは、この結果から、「誰も気にかけていない」という合図が見えたとき、ふだんはルールを守っている人でも破壊に加わってしまうのだと考えました。ブロンクスでは街の状態そのものがその合図になり、パロアルトではジンバルドーが最初の一撃を加えたことが合図になった、ということでしょう。
1982年の「割れ窓」の記事
13年後の1982年、ウィルソンとケリングは雑誌『アトランティック・マンスリー』に、「割れ窓」という題の記事を書きました。2人は、この中でジンバルドーの実験を紹介しながら、次のように主張しています。
修理されない割れた窓が1枚あると、それは「誰も気にかけていないので、ほかの窓を割っても何も起きない」という合図になる。同じように、落書きや物乞い、路上での酔っ払いといった小さな乱れが放置された地域では、住民が街を避けるようになり、地域の目が届かなくなって、やがて本格的な犯罪が入り込んでくる。だからこそ警察は、重大な犯罪だけでなく、こうした小さな乱れにも目を配り、地域の秩序を保つことが大事だ、という主張です。
ニューヨークで起きたこと
割れ窓理論がもっとも大きく注目されたのは、1980年代から1990年代にかけてのニューヨークです。1985年、ニューヨーク市の交通局はケリングを顧問として迎え、当時落書きだらけだった地下鉄の車両から、落書きを徹底的に消す取り組みを進めました。
1990年には、ウィリアム・ブラットンが地下鉄の警察の責任者になり、無賃乗車などの軽い違反を厳しく取り締まりました。ブラットンは1994年、ルドルフ・ジュリアーニ市長のもとでニューヨーク市警のトップになり、軽い違反の取り締まりを市全体に広げていきます。
その後の1990年代を通じて、ニューヨークの犯罪は大きく減り、割れ窓理論はその成功の理由として、世界中の警察や自治体に取り入れられていったとされています。
ほかの理由でも説明できるという反論
ところが、ニューヨークの犯罪の減少が本当に割れ窓理論のおかげだったのかについては、疑問を投げかける研究者が多いです。
1990年代には、割れ窓理論を取り入れていなかったアメリカのほかの多くの都市でも、犯罪は大きく減っていました。その時期には、街に広がっていた安価なコカインの流行が下火になり、若者の人口が減り、景気が良くなって失業率も下がっています。2006年には法学者のバーナード・ハーコートとイェンス・ルートヴィヒが、ニューヨークの犯罪の減り方は、もともと犯罪が多かった地域ほど大きく減るという統計的な揺り戻しでかなり説明できる、という分析を発表しました。
さらに、軽い違反を徹底的に取り締まる方針は、職務質問や逮捕が特定の人種や貧しい地域に集中するという深刻な問題も生みました。割れ窓理論が「どんな小さな違反も許さない」という取り締まりの口実として使われたことについては、提唱者のケリング自身も、本来の考え方とは違うと懸念を示していたとされています。
落書きがあるとポイ捨てが倍に
ニューヨークの例では、何が犯罪を減らしたのかを切り分けるのは難しいのですが、「乱れた環境を見ると、人はルールを破りやすくなるのか」という部分だけなら、実験で確かめることができます。2008年にオランダのフローニンゲン大学の研究者キース・カイザーたちが、科学誌『サイエンス』に発表した一連の実験がそれです。
自転車のちらし
ある実験では、路地に止められた自転車のハンドルに、広告のちらしを付けておきました。路地にはゴミ箱が無いので、ちらしを捨てるには持ち帰るか、その場に捨てるしかありません。
壁がきれいな状態では、ちらしをその場に捨てた人は33%でした。ところが、同じ壁に落書きがある状態にすると、その場に捨てた人は69%に増えたのです。
封筒からはみ出したお札
別の実験では、郵便ポストの投函口から、5ユーロ札がはっきり見える封筒がはみ出している状態を作りました。ポストがきれいな状態では、封筒を持ち去った人は13%でしたが、ポストに落書きがある状態では27%と、倍ほどに増えています。ポストの周りにゴミが散らかっている状態でも、持ち去る人は増えていました。
このほか、駐車場の柵に「自転車をつながない」という掲示がある場所で、実際に自転車がつながれていると、柵の隙間を通り抜ける近道をする人が大きく増えた、という結果も報告されています。カイザーたちは、あるルールが破られている様子を見ると、それとは別のルールまで破られやすくなると結論づけました。乱れが乱れを呼ぶという割れ窓理論の中心の考え方を、実験で裏付けたと言えるでしょう。
取り締まりより掃除が効いた
では、割れ窓理論を防犯に生かすには、何をすればよいのでしょうか。2015年に犯罪学者のアンソニー・ブラガたちが行ったメタ分析では、地域の乱れに対処する取り組みには、全体として犯罪を減らす効果が見られた一方で、軽い違反者を片っ端から逮捕するような攻撃的な取り締まりでは、はっきりした効果が見られなかったと報告されています。
それより効果があったのは、地域の住民と協力して、空き地の清掃や照明の改善、建物の補修などを行う取り組みのほうだったようです。マサチューセッツ州ローウェルで行われた実験でも、犯罪の多い地点で清掃や行政サービスを強化したところ、警察への通報が20%減ったとされ、逮捕を増やすことより、環境を整えることのほうが効いていたと分析されています。
ジンバルドーの放置車の実験が示していたのも、もともとは「誰も気にかけていない」という合図が人を変えるということでした。その意味では、軽い違反を厳しく罰することより、街を気にかけている人がいることを目に見える形で示すことのほうが、元の考え方に近いのかもしれません。
割れ窓理論についてよく出る疑問
放置車の実験は今の基準で見て信頼できるのですか?
ジンバルドーの実験は、それぞれの場所に車を1台ずつ置いただけの観察で、厳密な比較の実験とは言えません。ブロンクスとパロアルトでは、人通りや住民の暮らし向きなど、違う点があまりにも多く、何が結果を分けたのかを切り分けることはできません。現象を鮮やかに示した観察として受け止め、乱れが乱れを呼ぶことの裏付けとしては、オランダの実験のような条件をそろえた研究を見るのがよいと思います。
職場や家庭にも当てはまるのですか?
割れ窓理論は、職場の整理整頓や小さなミスの放置が大きな問題につながる、という話のたとえとしても使われることがあります。オランダの実験が示したように、ルールが破られている様子を見ると別のルールも破られやすくなる、という傾向は、場所を選ばず働く可能性があると思います。ただ、職場や家庭でそれを直接確かめた研究は多くないので、たとえ話として受け止めておくのがちょうどいいのではないかと思います。
関連する実験と記事
ジンバルドーがこの2年後に行ったのが、スタンフォード監獄実験です。役割と状況が人を変えるという考え方が、そちらでどう検証され、どう揺らいだのかを読むと、割れ窓理論も違って見えてくると思います。
周りの人がどう振る舞っているかを見て、自分の行動を決めてしまう心理は、アッシュの同調実験とも共通しています。
まとめ
本記事は割れ窓理論とジンバルドーの放置車実験について解説しました。如何だったでしょうか。
ブロンクスに置かれた車は10分で荒らされ始め、パロアルトの車は1週間無傷だったのに、ジンバルドーが最初の一撃を加えると一気に壊された、という観察は、「誰も気にかけていない」という合図が人の行動を変えることを鮮やかに示したものでした。この考え方は、落書きがあるとポイ捨てや持ち去りが倍に増えたというオランダの実験で、条件をそろえた形でも確かめられています。
一方で、ニューヨークの治安の回復が割れ窓理論のおかげだったのかについては反論も多く、軽い違反を厳しく取り締まるだけでは犯罪は減らなかったという分析もあります。ニューヨークの話からもオランダの実験からも、割れた窓を見せしめに罰するより、割れた窓を直すことのほうが大事だった、と私には読めます。
ほかの有名な心理学実験は、一覧の記事からまとめて読めます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
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