当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「ラットパーク実験」について解説します。
ラットパーク実験は、1970年代の後半にカナダのサイモン・フレーザー大学の心理学者ブルース・アレクサンダーたちが、広くて仲間のいる囲いで暮らすネズミと、狭いケージに1匹だけで入れられたネズミとで、モルヒネを溶かした水をどれだけ飲むかを比べた実験のことです。依存症は薬そのものの力だけで生まれるのではなく、その生き物が置かれた環境に大きく左右されるのではないか、という考えを確かめるために行われました。
この実験は、2015年ごろから、イギリスの作家ヨハン・ハリのTEDトークや、それを元にした人気の解説動画で取り上げられ、「依存症の反対は、しらふではなくつながりだ」という言葉とともに世界中で広まりました。孤独なネズミだけが薬に溺れ、楽園のネズミは見向きもしなかった、という分かりやすい話として知っている人もいると思います。
ただ、その後に行われた追試では、元の結果ははっきりとは再現されていません。一方で、環境が薬物を求める行動を変えること自体は、別の研究で何度も確かめられてきました。ラットパークの話は、どこまでが確かで、どこからが言い過ぎなのかを分けて読む必要があると思います。
ケージのネズミへの疑問
アレクサンダーが疑問を持ったのは、それまでの依存症の動物実験のやり方でした。当時の実験では、ネズミを1匹ずつ狭いケージに入れ、レバーを押すと薬が体に入る仕組みを用意すると、ネズミは薬を取り続けることが知られていました。この結果は、薬そのものに、生き物を依存させる強い力があることの証拠と考えられていました。
これに対してアレクサンダーは、ケージに1匹だけで閉じ込められること自体が、社会的な動物であるネズミにとって大きなストレスなのではないか、と考えます。何もすることがなく、仲間もいない環境だから薬に頼るのであって、もっと自然に近い環境なら、ネズミは薬にそれほど引きつけられないのではないか、という仮説です。
ネズミのための「楽園」
そこでアレクサンダーたちが作ったのが、ラットパークと呼ばれる大きな囲いでした。広さは標準的な実験用ケージのおよそ200倍あり、オスとメス合わせて16〜20匹のネズミが一緒に暮らせるようになっていました。中には、遊ぶためのボールや回し車、隠れたり巣を作ったりできる場所があり、ネズミたちは自由に動き回り、仲間と交流し、子どもを作ることもできました。広さはおよそ9平方メートルで、囲いの壁には、ネズミの目を楽しませるための景色まで描かれていたそうです。
飲み水には2種類が用意されていて、ネズミは自分で選んで飲むことができます。1つはふつうの水、もう1つはモルヒネを溶かした水です。モルヒネは苦みが強いので、ネズミが味だけで嫌がらないように、砂糖で甘くしてありました。飲み口は、どのネズミがどちらをどれだけ飲んだかを記録できる仕組みになっていました。
ケージのネズミは何倍も飲んだ
比べる相手として、同じようにモルヒネ入りの水とふつうの水を選べるようにしたうえで、ネズミを1匹ずつ標準的なケージに入れたグループも用意されました。
その結果、ケージのネズミは、ラットパークのネズミよりもはるかに多くのモルヒネ入りの水を飲みました。条件によっては、ケージのオスがラットパークのオスの19倍もモルヒネを飲んだと報告されています。ラットパークのネズミは、全体としてはふつうの水のほうを好んでいたそうです。
依存した後で楽園に移すと
アレクサンダーたちは、別の実験も行っています。ネズミにほかの飲み物を与えず、モルヒネ入りの水だけを57日間飲ませ続けて、体を薬に慣れさせました。その後、そのネズミたちをラットパークに移し、ふつうの水も選べるようにしています。
すると、ネズミたちはふつうの水を飲むようになり、離脱症状も軽いものにとどまったと報告されています。薬に慣れた体であっても、環境が変われば、自分から薬を遠ざけることがある、という結果でした。
有名になったのは発表から30年以上後
アレクサンダーたちの論文は1978年から1981年にかけて発表されましたが、当時はそれほど大きな注目を集めなかったようです。有名な科学誌には掲載を断られ、研究資金も続かずに、ラットパークはほどなく取り壊されたとされています。広く知られるようになったのは、2015年にヨハン・ハリが依存症についての本を出し、TEDトークでラットパークを紹介してからです。
同じ年には、科学解説で人気のあるYouTubeチャンネルが、ハリと協力して依存症についての動画を公開し、たくさんの人に見られました。このチャンネルは後に、1つの考え方だけを事実のように紹介してしまったとして、この動画を自ら公開停止にしています。ラットパークの研究が、実際の研究の評価よりもずっと強い主張として広まっていたことを、制作者自身が認めた形です。
ポルトガルの例と一緒に語られた
ハリはTEDトークの中で、ラットパークに続けて、2001年に薬物の個人的な使用や所持を刑事罰の対象から外し、その分の予算を治療や社会復帰の支援に回したポルトガルの例も紹介しています。依存症の人を罰して孤立させるのではなく、社会とのつながりを取り戻させるべきだ、という主張の裏付けとして、ネズミの実験と国の政策が並べて語られたわけです。
ポルトガルの政策の効果そのものについては、評価する声と慎重な声の両方があり、ここでは深入りしません。ただ、小さなネズミの実験が、国の薬物政策の話と並ぶほどの重みを持って語られるようになったことは、研究の実際の規模を考えると、少し行き過ぎだったのではないかと私は思っています。
追試では再現されなかった
研究として見たとき、ラットパークにはいくつか大きな問題がありました。1つは、実験に使われたネズミの数が少なかったことです。もう1つは、その後に別の研究者が試したときに、同じ結果が出なかったことでした。
1996年には、当時大学院生だったペトリーという研究者が、20匹のネズミを使ってラットパークの結果を再現しようとしましたが、元の結果は再現できなかったと報告しています。ペトリーは、使ったネズミの系統の違いが影響したのではないか、と考えました。また、別の研究者マイケル・ボザースは、孤立がヘロインの摂取に影響することは確かめつつも、孤立していなくてもネズミはヘロインやコカインを取り続けることを示していて、孤立だけが依存の原因とは言えないとしています。
それでも環境は影響していた
では、環境は依存に関係がないのかというと、そういうわけでもありません。その後の研究では、遊び道具や仲間のいる豊かな環境で暮らした動物は、薬物を求める行動が弱まることが、何度も報告されてきました。
2008年にフランスの研究者たちが発表した研究では、コカインに慣れさせたマウスを、小屋や回し車、トンネルのある広いケージに30日間移したところ、コカインを求める行動や、きっかけを与えられて再び求めるようになる行動が弱まったと報告されています。
人間についても、よく知られた例があります。ベトナム戦争中、アメリカ兵の間ではヘロインが安く手に入り、精神科医のリー・ロビンズたちの調査では、現地でヘロインを使った兵士は34%、依存の症状が出た兵士は20%にのぼったとされています。ところが、帰国後の追跡調査では、帰国後1年以内に再び依存した人は5%ほどだったとされています。3年以内に再び依存した人も12%ほどで、依存はいったん始まるとほとんど抜け出せない、という当時の考え方とは大きく違う結果でした。戦場という環境を離れたことが大きかったと考えられていて、ラットパークと一緒に紹介されることの多い研究です。
ラットパーク実験についてよく出る疑問
孤独が依存症の原因なのですか?
孤独や社会的なつながりの少なさが、依存症のなりやすさや回復に関わっていることは、多くの研究で指摘されていますが、ラットパークの話のように孤独こそが依存の原因で、つながりさえあれば依存は起きないとまで言い切れる証拠はありません。薬そのものの作用や遺伝的な要因、生活の苦しさなど、いくつもの要因が重なっていると考えるのが、今の理解に近いでしょう。
アレクサンダーはその後どんな主張をしたのですか?
アレクサンダーはその後、人が依存症になる大きな理由は、社会の中での居場所やつながりを失うことにある、という考え方を発展させ、2008年には依存症と社会の関係を論じた本も出しています。研究としての実験の評価とは別に、依存を個人の弱さだけの問題として見ない、という考え方が広まるきっかけの1つになったのは確かだと思います。
関連する実験と記事
ネズミに十分なえさと広い場所を与えたのに、社会が崩れていったという、ある意味でラットパークと逆の結論を示したのがユニバース25です。
レバーを押すと報酬が出る箱で、動物の行動がどう作られるかを調べたのがスキナー箱です。依存の動物実験の多くは、この仕組みを使っています。
まとめ
本記事はラットパーク実験について解説しました。如何だったでしょうか。
狭いケージに1匹で入れられたネズミが、広い囲いで仲間と暮らすネズミより何倍もモルヒネを飲んだという結果は、依存は薬の力だけで決まるのではなく、環境にも左右されるという考えを、とても印象的な形で示したものでした。
ただ、実験の規模は小さく、追試では元の結果が再現されていません。それでも、豊かな環境が薬物を求める行動を弱めるという研究や、ベトナムからの帰還兵の調査を合わせて見ると、環境が大事だという考え方そのものは、むしろ強まってきたとも言えます。「つながりがあれば依存は治る」とまでは言えないものの、つながりが回復の大事な支えになる、というくらいの距離感で受け取るのがよさそうです。
ほかの有名な心理学実験は、一覧の記事からまとめて読めます。
それでは次の記事も閲覧いただけると幸いです。
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