心理学実験

視覚的断崖の実験とは|赤ちゃんはガラスの上の「崖」を渡るか?奥行きの知覚と、本当は怖がっていなかった話

視覚的断崖の実験とは|赤ちゃんはガラスの上の「崖」を渡るか?奥行きの知覚と、本当は怖がっていなかった話

当サイトを閲覧いただきありがとうございます。 本記事は「視覚的断崖(ビジュアル・クリフ)」の実験について解説します。

視覚的断崖は、厚いガラス板の下に、浅い床と深い床を並べて作った見かけだけの崖を使って、赤ちゃんや動物が奥行きを見分けられるかを調べた実験のことです。1960年にアメリカのコーネル大学の心理学者エレノア・ギブソンとリチャード・ウォークが発表し、はいはいができるようになった赤ちゃんの多くが、ガラスでしっかり支えられているにもかかわらず、深く見える側に進もうとしなかったことを示しました。

奥行きを見分ける力は、生まれつき備わっているのか、それとも経験を通して身につけるものなのか。哲学の時代から続いてきたこの問いに、目に見える形で答えようとした実験として、今でも発達心理学の教科書の最初のほうに載っていることが多いです。

ただ、その後の研究では、赤ちゃんが深い側を避けたのは、高さを怖がっていたからではないのではないか、という見方が強くなってきました。何を見て、なぜ止まっていたのかの説明は、この60年でかなり変わってきています。

ガラスの下に作った崖

装置は、床から少し高くした台の上に、厚いガラス板を張ったものでした。台の真ん中には、赤ちゃんが乗れる細い板が渡してあり、その両側で、ガラスの下の様子が違っていました。

片側の浅い側では、市松模様の布がガラスのすぐ下に貼られていて、ふつうの床のように見えます。もう片側の深い側では、同じ市松模様の布がガラスからずっと下の床に敷かれていて、ガラスの端から先が急に落ち込んでいるように見えるようになっていました。どちらの側もガラスで覆われているので、実際には落ちる心配はありません。

図解

母親に呼ばれても進まなかった

実験には、生後6か月から14か月までの、はいはいができる赤ちゃん36人が参加しました。赤ちゃんを真ん中の板の上に乗せ、母親が浅い側から、そして深い側から、順番に赤ちゃんの名前を呼んで手招きします。

真ん中の板から動いた27人の赤ちゃんは、全員が浅い側へははいはいで進み、母親のところまで行きました。ところが、母親が深い側から呼んだときに、ガラスの上を進んで母親のところまで行った赤ちゃんは、27人中わずか3人で、それもかなりためらいながらだったと報告されています。

多くの赤ちゃんは、深い側から呼ぶ母親を見て泣き出したり、反対の浅い側へ這って行ったりしていて、中には、手でガラスをたたいて硬いことを確かめながら、それでも深い側には進まなかった赤ちゃんもいたそうです。ギブソンとウォークは、はいはいができる頃の赤ちゃんの多くは、すでに奥行きを見分けていると結論づけました。

ネズミやヤギでも試された

この実験は、もともと動物から始まっていたとされています。最初に試されたのはネズミで、ネズミは浅い側で過ごすことが多かったとされています。その後、ヒヨコや子ヤギ、子羊、子猫、子豚、子犬、サル、カメなど、さまざまな動物で同じ装置が試されました。

特に印象的だったのは、生まれて間もない動物の反応です。生後1日もたたないヒヨコや、生まれてすぐ立ち上がれるようになった子ヤギや子羊も、深い側には進もうとしませんでした。生まれた直後から歩き回る動物では、奥行きを見分ける力も最初から備わっていることを示す結果だと言われています。

動物ごとの違いもはっきり出ていました。ネズミは、ガラスにひげが届くうちはガラスの感触を頼りに深い側も平気で歩きましたが、真ん中の板を高くしてひげが届かないようにすると、95〜100%が浅い側に降りました。一方、水の中で暮らすカメでは、浅い側を選んだのは76%にとどまり、ほかの動物よりも深さを気にしない様子が見られています。

暗闇で育てた動物では

奥行きを見分ける力が生まれつきなのかを確かめるため、ギブソンとウォークは、生まれてから光をまったく見せずに育てた動物でも実験を行いました。

暗闇で育てたネズミは、生後90日の時点で、ふつうに育てたネズミと同じように浅い側を選びました。さらに研究者たちは、模様の見え方を変えて、ネズミが何を手がかりにしているのかも調べています。頭を動かしたときに、近くの模様は速く、遠くの模様はゆっくり動いて見える運動視差だけを手がかりにした場合には、暗闇で育てたネズミも浅い側を選びましたが、近くの模様ほど粗く見えるという模様のきめの違いだけを手がかりにした場合には、どちらも選ばなくなりました。研究者たちは、運動視差による奥行きの判断は生まれつき備わっていて、模様のきめを使う判断は後から学ぶのだろう、と考えました。

子猫ではもう少し事情が違いました。生後27日まで暗闇で育てた子猫は、最初は深い側にも浅い側にも同じように降りてしまいましたが、明るいところで1週間ほど過ごすと、ふつうに育った子猫と同じように、深い側を避けるようになったそうです。深い側のガラスに何度も乗った経験があっても、それで怖がらなくなるということはなく、視覚が育つと同時に深さを避けるようになっていました。

ギブソン自身の苦労

ちなみに、この実験を考えたエレノア・ギブソンは、夫のジェームズ・ギブソンと同じコーネル大学で研究していましたが、夫婦が同じ学科で教員になることを禁じる大学の決まりがあったため、16年ものあいだ、正式な教員ではなく研究員として働いていました。それでもギブソンは、知覚の発達の研究で大きな業績を残し、1992年にはアメリカ国家科学賞を受けています。

母親の表情で渡るかどうかが変わった

1985年には、この装置を使った別の有名な実験が発表されています。今度は、深さをもっと浅くして、赤ちゃんが渡るべきかどうか迷うくらいの段差にしました。そのうえで、向こう側にいる母親に、喜び、興味、恐れ、怒り、悲しみの表情を作ってもらい、1歳の赤ちゃんが渡るかどうかを調べています。

すると、母親が笑顔や興味深そうな表情を見せたときには、多くの赤ちゃんが段差を越えて渡りました。反対に、母親が怖がっている表情や怒った表情を見せたときには、渡った赤ちゃんはごくわずかでした。悲しみの表情では、その中間くらいだったそうです。

1歳の赤ちゃんは、どうしたらよいか迷う場面で、信頼できる大人の顔を見て、その表情を手がかりに行動を決めている、ということでしょう。こうした行動は社会的参照と呼ばれ、この実験は、その代表的な例として知られるようになったようです。

本当に怖がっていたのか

視覚的断崖の実験は、長いあいだ、赤ちゃんは高さを怖がることを示したものとして紹介されてきました。しかし、その後の研究は、この読み方に疑問を投げかけているようです。

まず、まだはいはいできない赤ちゃんを深い側のガラスの上に乗せた研究では、心拍の変化から、深さの違いには気づいているものの、怖がるというより、興味を持って見ているような反応だったと報告されています。また、はいはいを始めてからの経験が長い赤ちゃんほど、深い側を避けやすいことも分かってきました。

アメリカの心理学者カレン・アドルフたちは、2014年の論文で、段差の前で止まる赤ちゃんは、泣くどころか笑顔を見せることも多く、段差の縁に長くとどまって、下に手を伸ばして探るような行動をとっていると指摘しています。さらに、はいはいで段差を避けられるようになった赤ちゃんも、歩き始めたばかりの頃には、同じ段差から平気で踏み出してしまうことがありました。

アドルフたちは、赤ちゃんが避けていたのは高さそのものではなく、今の自分の体の使い方で、その段差を越えられるかどうかを見て判断した結果ではないか、と考えています。はいはいと歩きで学んだことが別々に身につくのは、赤ちゃんが「怖いもの」を覚えたのではなく、自分の体でできることを一つずつ学んでいることを示している、という見方です。

視覚的断崖についてよく出る疑問

赤ちゃんは段差から落ちないのですか?

この実験の結果を見ると、赤ちゃんは段差を見分けて止まるように思えるかもしれませんが、上で紹介したとおり、はいはいや歩き始めたばかりの時期には、段差から平気で進んでしまうことがあります。階段やベッドからの転落事故は実際に起きているので、赤ちゃんが自分で止まるはずだと考えるのは危ないと思います。実はギブソンとウォーク自身も、実験中に赤ちゃんが真ん中の板の上で体の向きを変えようとして、後ろ向きに深い側のガラスへはみ出してしまうことがあったと書いていて、ガラスがなければ落ちていた子もいたとして、奥行きが分かっていても、赤ちゃんを段差の近くに置いたままにすべきではないと注意しています。

生まれつき奥行きが分かるということですか?

ヒヨコやヤギのように、生まれた直後から歩く動物では、奥行きを見分ける力が最初から備わっていると考えられています。人間の赤ちゃんも、かなり早い時期から奥行きの違いには気づいているようですが、それをどう行動に結びつけるかは、はいはいや歩きの経験を通して学んでいく部分が大きいとされています。

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まとめ

本記事は視覚的断崖の実験について解説しました。如何だったでしょうか。

ガラスで支えられていると分かっていても、母親に呼ばれて深い側を渡った赤ちゃんは27人中3人だけで、生まれたばかりのヒヨコや子ヤギも深い側を避けました。奥行きを見分ける力は、かなり早い時期から備わっているという結論は、今でも基本的には受け入れられています。

ただ、赤ちゃんが止まっていた理由は、高さを怖がる気持ちではなく、自分の体で越えられるかどうかの判断だった、という見方が強くなってきました。同じ装置と同じ結果でも、問いの立て方を変えるだけで見えてくるものが変わる、というのがこの60年の研究のおもしろいところです。

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